World Delete ー私を旅に連れてってー

天蛙-アマガエル-

第一章 序章は魔法の世界から

第1話 リアリティーは向こうから

 父の息子の俺が先頭に立ち、最後尾の父が棺桶かんおけの中で健やかな休憩を過ごしている。今、この場の空気を表すなら『哀』と皆が答えるだろう。傍らには暗い雰囲気で気が滅入めいった妹が俺のそでを力強く握っている。

 父はぜんのような存在だった。身寄りのない、幼少期の記憶もない俺を養子に迎えてくれた。元々一流鍛冶一家から破門されたと言っていた、本当は勝手な養子縁組に反対されて自ら縁を切ったという事を死ぬまで俺から隠し通した。人の暮らしを与えてくれた、生きるすべを教えてくれた、頼れる友人と出会わせてくれた、文字通りの恩人だ。ここ一年は何処か旅に出かけて行っていた。時々顔を見せたが店はいつのまにか俺の武具店になっていた。旅先で何をしていたか分からないが、多くの場所で善業ぜんぎょうをして回っていたのだろう。度々店に見知らぬ宛先から感謝の手紙が送られてきていたからだ。

 

「どこで何をしてたんだよ」


 父のいたいが森深くの場所で発見された。死体の周りには緑色のスライムたちが見守る様にっていたそうだ。



 城下町の路上に貼り付いていた雪が溶け始める季節。焼き煉瓦れんが造りの二階建て建築の地下工房で黙々もくもくと作業に勤しむ青年がいた。

年齢は18歳。先代である父の養子の彼は刀鍛冶かたなかじ家業かぎょうを継いだ。母親もいない。唯一の家族は5歳年下の妹だけだった。

 父の死後、妹と家業を残された当時14歳の彼は、先代から受け継いだ刀鍛冶の技術と、友人と鍛えた武術を城内拳闘会で披露し王族の信頼と中級階級の地位を勝ち取った。

貴族の中には彼を元下級職人と毛嫌いするものも多かった。しかし、人当たりの良い彼は忽ち城下町中に名が広がり、その名は他国の王族の耳にも入っていた。

青年の名前は『ディウ=ハウンドレッド』



太陽のように燃え光る木炭の詰まった炉の温度は千二百度近くに昇る。火花を散らして叩いて鍛えた鉄塊を、脳内の設計図に描かれた刃を目指して整える。熱された刀身を微温湯ぬるまゆで冷却し後処理を含めて工程を終えると、出来上がったものを金床に寝かせた。

工房から出ると素早く洗面所に移動する。猛火でかいた汗で濡れた衣服を洗濯カゴに全て放り込む。

全裸になり、両腕を天井に勢いよく突き刺すように背筋を引き延ばす。まるで木材をへし折ったような軽快な音を腰が鳴らす。風呂場に入り空の木桶きおけで浴槽に溜められた水を掬いあげる。それで肩から背中の汗を洗い流す。炉の高熱と湿気によって熱く火照った身体は急激に冷却され、激しく頭に伝わる程に左胸は内側から肋骨を叩く。しかしそれは蓄積された疲れが吹き飛んだと錯覚するほどに爽快に感じた。

風呂場から出て籠のそばに綺麗に畳まれた白のバスタオルを使い、全身の水滴を拭き取る。

タオルを腰に巻いて洗面所を出た。ダイニングに出るとテーブルで妹が昼食をとっていた。

 熟した葡萄ぶどうのような濃色の髪を肩まで伸ばし、黄金色こがねいろの瞳がこちらに向いている。


「シチューを作ってみたんですけど昼食にどうですか?」


 そう言って妹は食器を傾け根菜と鶏肉の入ったクリーム色のシチューを見せつける。俺の胃袋は視聴覚の情報で腹の虫を鳴らした。


「着替えたら食べるよ」


ずり落ちようとするバスタオルを片手で押さえながら寝室へと向かう。寝室に入りタンスから下着を、腰からタオルをそれぞれ手に取り素早く下着を装着した。次いでクローゼットを開ける。そこには外出用の私服や愛用しているトレンチコートなどが並んでいる。

紺色のデニムシャツと灰色のナイロンのパンツを選び、履く。濃緑のうりょくのトレンチコートを手に取り、腰のベルトを引き締めてダイニングに戻った。


 すると、ダイニングテーブルに先程のシチューとブレッドボックスが置かれ、その食卓に妹がスプーンを添えていた。シチューからは湯気が立ち上っている。


 背もたれにコートを掛け、椅子に座りブレッドボックスに手を伸ばす。綺麗きれいな焼き色のバゲットを先端から千切り、それをシチューに絡めて食した。

シチューのコクと唾液に触れたバゲットの甘みが口中に広がり、無意識むいしきに食事の手が進む。


「どうですか?」


「うん。美味しいよ」


「それなら良かったです。まだ残っているので御夕飯にもお出ししますね」


  それほど俺の言葉が嬉しかったのか、妹は瞼を下ろして目を細め、優しい笑顔を作った。


 バゲットと皿が空になったところで食事を終えた。


 食器を重ねて妹がそれを流し台に運ぶ。

 身支度を済ませて玄関向い、革製のかばんを背負い、胸に護身用の短剣ダガーを装備した。愛用のブーツの靴紐くつひもを締めていると肩を背後から叩かれた。振り向くと四角く膨らんだミント色の布を持った妹と、腰を下ろした俺の目があった。


「お腹空くと思って、サンドウィッチを作ってみたんです。ビルさんの分と二人分」


「ビルも喜ぶと思うよ、ありがとう」


「気をつけて下さいね」


「行ってきます」


 見送る妹に手を振り、家を出た。陽射ひざしに目を細め眉毛の上に右手の平で日傘を作る。

 目的地は城下町と王城を囲む国境となる巨大な壁に作られた凱旋門がいせんもんにある検問所。道中に城下町の住人達の挨拶に応えているとあっという間に到着した。六つの検問と兵舎で構成される検問所の先では入国者が馬車や自動車で長蛇の列を作っていた。

 ぼんやりとその光景を眺めながら兵舎に向かう。煉瓦造りの兵舎の客人用玄関の側には、軍服を着た見張りの兵士が気を緩めない険しい表情で直立していた。彼らの視野に入り、睨まれた途端にやや背筋が凍りついた。ここを訪れた回数は今まで数え切れないが、人を束縛するような兵士の視線は馴れない。

見張りの一人がドアチャイムを鳴らしドアに報告をする。外開きの扉の中から同年齢の金髪の美青年が、その背後に彼の護衛が登場し、凛々しい表情の美青年は真っ先に俺の元へ駆け寄り、護衛は見張りの二人に向かって敬礼を返していた。美青年は純白に黄金色の装飾が施された制服を身にまとい、頭にのせていた軍帽ぐんぼうを護衛に預けた。


「わざわざこんな事に付き合わせてすまないな、ディウ」


「いいよ、今日は定休日だったから」


挨拶と短い会話が終わり、俺とビルは検問所に向かった。ビルは検問を何食わぬ顔で通ったが俺は胸の内ポケットから出した身分証をサバサバした女出国審査官に提示した。出国の理由を聞かれ審査官の質問に真面目に回答する様子を見て、ビルは検問の先で呆れながら催促した。困った俺は女性出国審査官の様子をうかがった。苦い表情を浮かべた審査官が身分証を返却し、俺はそれを申し訳ない気持ちで受け取り駆け足でビルと合流し、足並みをそろえて歩き出した。


「今日は森に行くはずだよな?」


「ああ。湖の岸にある遺跡に住み着いているゴーレムを討伐する」


「狙うのは?」


「スチールゴーレム」


「それはまた手強そうな敵だな。でもなんでロックやアイアンは対象外なんだ?」


「あそこの遺跡で頻繁ひんぱんにゴーレムが出現していることは知っているだろ?」


「探索に出かけた新人冒険者が泣きべそかいて相談しにくるから。把握はしているつもり」


「最近はスチールゴーレムが異常なほど繁殖している。冒険者ギルドでもその数にほとほと参っているらしい」


「それで軍部に連絡があったと」


「はじめは一個小隊で駆除しようと計画されたが、父が俺とお前に任せると。

採集した素材は全てお前に寄付するそうだ」


「それはありがたい」


 草原のはげた車道を通り、知る限りの実戦例けいけんを踏まえてゴーレム討伐を計画していると、目的地の広大な森が見えてきた。その樹木のそばではスライムが生活している。こちらに興味を持ったスライム達が物欲しそうに近寄って来る。俺とビルは膝を折って彼らの頭頂部を撫でた。


 本来、野生のモンスターが人間に懐くことはこの森のスライムを除いて珍しい。

 彼らの気が済むまで頭部を撫で回してやると、スライムの一家はふっと森林の中に消えていった。彼らを追うように遺跡を目指して薄暗い獣道に足を踏み入れる。


「リナもあれくらい素直に甘えてくれるといいのに」


「15歳の女の子には小恥ずかしくて無理だろ。気難しい年頃の子を変に子供扱いすると嫌われるぞ」


 そんなものなのかと不思議がると、その横でビルは左袖を捲って質素な腕時計で時刻を確認した。


「そろそろゴーレム狩りを始めないと茶会に遅刻する」


「茶会?貴族嫌いのお前にしては珍しい用事だな」


「そんな堅苦しいものじゃない。お前の家で行う茶会だ」


 つまり家に立ち寄り、世間話に付き合わされるということだ。茶会とは程遠い。呆れてため息を吐く。


「小さい頃は別に気にならなかったが、王子が中流階級と行動していて大丈夫なのか?」


「衛兵を数十人側に置くより、お前と同じ建物内にいることの方が何百倍も安全だ。

それに、この国では俺みたいな王族は他国ほかとは別物だからな」


 ビルの俺に対しての圧倒的信頼は友情以外にもある。

 古の学問として魔法が存在するが、それは生物が自身に備蓄している魔力を消費して様々な現象を引き起こすものだ。俺やビルは生まれつき魔法又は魔術と呼ばれるものに近い能力を使うことが出来る。これらの能力はビルのような大国の王族にのみ出現することから王家の『紋章』と世間的に呼称されている。能力を持つ者は文字通り体の一部にあざのような跡を持ち、その形は様々な種類が存在する。

 紋章を持つ者は現象や物体を操ることができ、この力を使い魔王を討ち取った人物がビルの父、英雄と称される国王様だ。


「確かに、俺には技術も能力もある。でもビルや王様に気に入られるほどのものじゃない。実際に俺のことを嫌う貴族も多いだろ?

俺とつるんでそっちの貴族の信頼が揺らぐことはけして良いことではないと思うけど」


「俺はお前のことは腕が立つ親友としか思ってはいないが、父はお前の利用価値に期待している。

城下町ではかなりの有名人。普通市民に毛嫌いされる軍のイメージアップを望んでのことだろう

そもそも、俺は貴族共が大の嫌いだしな」


「まるで看板娘の扱いだな」


聖戦せいせんに呼ばれないだけましと思えばいい」


「それもそうだな。それでも仕事で外国に出向けば、真剣勝負や暗殺の危険があるのは勘弁してほしいよ。

おかげでリナを連れて商売交渉ができないんだ」


「お前なら自衛の心配もいらないだろ。お前に護衛をおくとそれこそ民衆からも貴族からも騒ぎが起きかねない

えこひいきだってな」


「いい迷惑だよ。全く。

まぁそのおかげで仕事が増えているからいいけどさ」


「反対にその刺客あいてたちはいい練習相手になっているだろ。

いざという時に戦えなくては話にならない」


「いざという時?」


「魔王の再来が現れた時、聖戦の武力状況などなど。

俺たちが生まれる何十年も前。

魔物達を率いていた魔の狂信者」


魔物を率いた魔物に魔王とは、単純だが分かり易い呼称だ。


「ならそれなりにいい種族だったんだよな、魔王って。ドラゴン....ヴァンパイアとか」


「楽しそうなところ悪いが、魔王の種族や経歴は全くの不明だ。もしかしたら精神異常サイコパスのエルフっていうのも在り得る」


「エルフがサイコパス?それは只のダークエルフじゃないのか?」


「ダークエルフもほかのエルフと生物上相違大して違いはない。

エルフやヴァンパイアのような知能の高い魔物のほとんどが戦争で死滅しめつして、父も魔王がどんな種族だったのかは知らない。それを知る術はない」


「王様も知らないのか」


「生きたまま焼き殺したらしいからな。悠長ゆうちょうに尋問する時間もなかったのだろう」


「でも焼死体があれば種族ぐらいはわかるだろ。死体はどこにあるんだ?」


「さあな。父が仲間の治療のために去った後、憲兵の調査団が訪れた時に死体の大部分はその場になかったらしい。

残った部位も燃焼と損失で判別ができなかった。本当にそれが魔王のものなのかも不明だ」


「それ以外の部分は今でも見つかっていないのか?」


「いいや。

燃えカスが風に飛ばされたか、スライムがむさぼったか、生き残った魔物が復活を計画して持ち去ったか」


「一つ目と二つ目はともかく、三つ目は不可能じゃないか?」


「生命を増やす果実がある以上、死体から蘇生させる術が開発される可能性もある。

現に父はそれを恐れて果実の個人の売買や国家間の貿易の禁止を条約で結んだんだ」


「聖戦の時だけしか使われないのはそのためだったのか」


「もしその魔王が蘇り再び宣戦布告せんせんふこくしようものなら、父にわってその首を打ち取る。

その時はディウも付いて来てくれるよな?」


新品ぴかぴかの勲章で着飾った知らない士官のもとで戦うのはごめんだからな」


「素直じゃないな」


「男相手に素直になれるかよ」


「それもそうだな」


 軽薄に笑うビルに俺も内心親しさを浮かべた。突き出されたビルの手の平を握りしめて熱い握手を交わす。


 しかし、唐突に唸る爆音によって終了した。


 それは鼓膜と地面を激しく揺らした。握手の手を離し俺は短剣ダガーを構えた。ビルも腰に下げた片手剣の柄に手を伸ばす。

 巨木が薙ぎ倒される音、金属同士の摩擦音、それらは森中の木々に反射して二人の体中に伝わる。


 音はおさまり、しばらく沈黙が続く。その時間を打ち破るようにビルの側に生える巨木がへし折れ宙に浮いた。若葉色わかばいろの木の葉を散らせる巨木の下には、背丈が3m近くある金属色の巨人がその巨木を剛腕ごうわんで力強く支えていた。巨人の皮膚ひふの所々には同色の鉱物が埋め込まれている。

 漆黒の眼球の中の瞳は不気味な青白い光を持ち、それをこちらに無心の様子で向けている。


 モンスターの中でも上級の討伐難易度に位置するゴーレムはすでに攻撃体勢に入っていた。ベテラン冒険者ですら立ち尽くす状況を俺とビルは冷静に飲み込む。


俺の脳内にはビルの邪魔をしないことだけがあった。


「ディウ、手を出すなよ」


 ビルが剣を抜く。俺は獲物を譲るように身を引いた。


「まだ遺跡には到着していないが」


 怪物を前にして俊敏しゅんびん戦闘体勢かまえに入り、さらにはそれを単騎ひとりで戦闘を望む敵。この光景を前にしたゴーレムは、喉を震わせトロッコのブレーキ音のような咆哮ほうこうをあげ威嚇いかくする。


 鼻筋に重ねて目標に向けた質素なビルの片手剣の刀身は、文字通り光線をまとい神々こうごうしく輝きだした。


 ゴーレムが巨木を投げ込んだ頃にはもうビルの姿は無い。ゴーレムの視界には巨木を回避する俺の姿しか見えていないだろう。


 鬼神が満ちた親友ビルは、すでにゴーレムの股下にひそ膝関節ひざかんせつに一撃を加えられていた。


 光沢をもった青黒い鮮血が純白の軍服と湿った地面に飛び散る。ゴーレムも足先を地面にめり込ませるほどに耐える、結局は自重で両足の膝が引き千切れ、転倒する。


「なんともグロテスクに倒れたな」


 ゴーレムの腹部にビルが馬乗りになる。

 素早くゴーレムの両脇に刀身を突き刺し自由を奪う。ゴーレムは四肢の自由を失い本能的に顔面を突き出して抵抗をするが、ビルは躊躇ちゅうちょなく額に深々と剣を突き刺した。傷口から染み出す血液は高熱の刃により瞬時に水分だけが蒸発していく。


「これは、討伐難易度の見直しが必要だな」


 ビルは頬に付着した血液を袖で拭き取りそう捨て台詞を吐いた。軍服の汚れを払い落とし、入れ替わるように俺はゴーレムの死体に駆け寄る。短刀をゴーレムの強固な皮膚に入れ鉱物を剥ぎ取り始めた。

 スチールゴーレムの外皮から採集できる金属は、磨くことによって油膜に似た金属光沢が浮き出る。装飾として人気で冒険者協会が定めた入手難易度も相まって白金以上の値段で取引される。


「いきなり出くわしたな。遺跡はまだ先にあるはずだけど」


「ゴーレムの奇襲は珍しい。こちらから仕掛けなければ攻撃することはないはずだが」


「他に誰かがゴーレム討伐に来ているのか?」


「その可能性があるな。しかもあのゴーレムは無傷のまま俺に襲いかかってきた」


「ということは、討伐者はゴーレムに殺されたってことか」


「いや、それは違う」


 否定するビルがゴーレムの四肢を見るように指差して誘導する。それに従ってゴーレムの拳と足を確認した。


「綺麗だろ?泥以外に血液も付着していない。まだ誰も仕留めていない証拠だ」


 ゴーレムの戦闘は巨木や岩石の投擲、格闘攻撃が主だ。しかし、前者の攻撃で標的を仕留めたとしても、必ず自らの手で止めを入れ、取り逃しを防ぐ習性を持つ。

この森のゴーレムは遺跡の周辺だけに生息し、侵入者や敵対生物を発見すると一つの標的に対して一体のゴーレムが対応する。この統率された集団行動と容赦ようしゃの無い習性により冒険者の間では『魔の親衛隊』と呼ばれている。


 寸分の興味も持ち合わせなかった俺は、ただ無意識にその手の平を凝視する。ビル分析は正確で文句の付けようもない。しかし俺はそれに少し違和感を抱いていた。


 採集を終えると、茂みを激しく揺らし、謎の物体が自分の足元に飛び出した。それは先ほど愛撫したスライムだった。


「追ってきたのか?」


 俺の質問に答えるはずもなく、スライムは俺の表情を確認すると一目散に膝に飛びついた。


 これには冷徹なビルも微笑ほほえむむ。しかし表情は微笑むというよりも嘲笑あざわらいに近かった。


でてほしいようだな」


 困ったと口から漏らしながら俺は自然にスライムの頭頂部を撫でていた。


「今はスライムに構う時間はない。放っておけ」


「そばにいたらお前が危険なんだ。大人しく仲間のところに戻れ」


「・・・。」


 だがスライムは自ら離れようとしない。こちらが膝からがそうと力もうとも断固として剥がされまいと抵抗する。


「話が通じてないようだが?」


 何度か同じことを言い聞かせ、引き剥がすとこを挑戦するがスライムに離れる気はないようだった。

 根負けした俺が「邪魔にならない程度に付いて来るならいいぞ」と諦めると、スライムは俺の頭上に飛び乗った。


「やられたな」


「こいつ、ずる賢いな」


 スライムの低い体温は掻いた汗を引かせていく。


「いい清涼剤が手に入ったと思えばいいか」


 和む出来事で緊張が完全に解れるわけもなく、帽子の如くスライムを頭に乗せて遺跡を目指す。

 警戒を緩めず、ビルを先頭に遺跡に到着した。ツタやコケが壁のそこら中に貼り付いた遺跡。大口の門の前には遺跡の敷地の倍以上の面積を持つ湖が広がっている。広大で綺麗な湖の周りに生物の姿はない。それが逆に不気味に感じた。スライムもそれを感じたのか頭から飛び降りた。


「ゴーレムの姿がないな。討伐者のことを追っていったのか?」


「それにしては静かすぎる。まるで・・」


「まるで?」


 冷静沈着なビルの言葉が途切れた。ビルは遺跡の門の先を覗いている状態で硬直していた。


「まるでどうした?」


 門の先に何があるのか。俺はビルを追い越し、門前から暗い遺跡の入り口に出た。


 そして、俺は目の当たりにした光景に恐怖した。


 薄暗い石レンガの通路の奥、赤く燃え盛る光が暗闇の中に置かれている。その周囲に反射光で紅に染まったゴーレムの死体が無数に転がっていた。

 殺伐さつばつに満ちた光景に口を開け唖然とした。通路内に充満する鉄分の臭いで吐き気を催し、臭気に怯むことなくスライムは死体に駆け寄っていった。喉を昇る物体を無理に飲み込み、脳内の整理を終えた俺はそのあとに続いた。


 光源は手の平に納まる太さの赤い棒。先端からは延々と煙をあげて光り、それを手に取った。


「どうだ?」


 冷静を取り戻したビルも合流する。

 死屍累々ししるいるいの通路は鉄臭く、すべての死体に銃弾の着弾痕が確認できる。入口付近の死体は四肢が千切れた痕跡が確認できる。


「これは・・酷い」


 俺は悲傷し。


「この数を、この狭い通路内で、凄い」


 ビルは称賛した。


 スライムも死体に寄り添い、身体を平たくさせている。その姿は悲しく見えた。


 垂れ下がった手に持った棒の光が消える。

 ビルが自身の能力を使い、灯りを手の平に作り出す。電球程の大きさの小さな光の塊は更に奥の物を照らした。

 膝を突き、背を丸める小柄な鎧だ。白と水色の二色で塗り分けられた、関節部付近も含め全身を装甲で覆った鎧だ。平面図形が組み合わさった構造のそれは、人形だろうか。


「鎧?」


「機械人形・・」


 工業先進国の新兵器か、魔王軍の残党の仕業か、俺とビルは状況を忘れて考察を始め、時間を壊すようにスライムが動いた。勢いよく機械に向かって飛び、鎧兜よろいかぶとの上で飛び跳ねる。


「故障した機械はそのぐらいじゃ直せないぞ。危険だから戻ってきなさい」


「もう飼い主だな」


「そうだったら大人しく従ってほしいよ」


 スライムを捕まえようと腕を伸ばす。すると微かに謎の音声が耳に入った。耳を澄ます。音声は兜に近付くほどに強くなっている。本物の人間の声のようだった。


「ディウ、どうした?」


「人の声だよ。聞こえないか。女性の声だ」


「女?人間の言葉なんて聞こえないが、ほんとに聞こえるのか?」


 ビルにそれが聞こえないことは不思議だが、確かに聞こえる。それは人間の女性の声で、言葉の内容は曖昧だが、語調は弱っていた。


 俺は両手で兜を鷲掴わしづかみにして持ち上げた。

 兜と首元の隙間からは萎み始めた風船のように空気を吐き出され、兜が外れていくに連れて中から人肌とショートの黒髪が見えた。

 兜は見た目に反して軽量で、目庇まびさしの下の目元は黒いガラスで覆われている。ガラスは人の眼を縁取ったような形で、それより下の鼻からあごも頑丈な金属で形作られている。まるで人間と機械の混合物のような形貌だ。


 その兜の中には女性の首があった。後ろ髪は首元を隠さない程度に切られている。

 血の通った人肌。閉じた瞼。「大丈夫か」と聞くと女性はそっと瞼を開ける。


 内心、動いた女性に驚いた。


「本当に人間だったのか、よく気が付いたな」


 か弱い意識の中、女性が絞り出した言葉は途切れ、朦朧もうろうとする意識の具合が伝わってくる。


「今は安静にしていた方がいい。」


 女性の身体に反して装備に大きな損傷は見られない。女性はくたびれた様子でまぶたを下げた。

 背負い鞄のタスキを女性にかけ。妹に小さい頃にやったように、自身の体重の倍以上の重量のある女性とその鎧を背負った。その重量は想像以上で、体を浮かせ続けることも怪しいほどだ。


 背後でただただ光景を眺めていたビルが呆れ、咄嗟とっさに詠唱を始める。紙に記せば百文字程度の詠唱を終えると、俺の体は赤いもやのようなオーラに包まれる。その場に立つことでさえ苦痛だった体は、女性を軽々と持ち上げた。


「お前はまず、行動の前に考えることを覚えた方がいい」


 口調では呆れていても、周囲に散乱した女性の持ち物と思われる物体を拾うビルの姿に信頼を感じられた。


「身体強化の魔法分の魔力は貸しだ」


 皆に尊敬される王子の発言とは思えない。


 拾い終えた物を鞄に詰め終えると、ゴーレムの死体を跨いで通路から出た。外は夕暮れ時。茜色の陽の光は背の高い樹木で遮られ、周囲は湖の反射光で照らされる。

 闇と光の境界が明瞭な光景は、人生のうちで目にした景色の中で圧巻だった。それは脳内に残る死体の山と無意識に比較しているためだろうか。


 鞄の中のサンドウィッチは食べれそうにない。

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