第3話 もしかして、王妃様は前向き!?

 神聖グノーシア王国、現グノーシア国王の妻にして王妃であるエミリア・アーノルドはこっそりとため息をついた。

 スチュワード家の令嬢ジュリアは彼女に贈ろうと準備していたドレスを着せることで急場を凌いだのはいいものの、息子のヘンリーが働いた無礼を鑑みれば胃は痛むばかり。


「さきほどはヘンリーがごめんなさいね。彼、最近王族としての責任でいっぱいいっぱいになっているみたいで……」

「いえ、悪いのは私なのでお気になさらず。復興で大変な時期だというのに、ヘンリーさんにご迷惑をおかけしちゃったみたいで……ごめんなさい」


 しゅんと項垂れるジュリアの様子に、エミリアの胸が切なくなるほど締め付けられる。

 と、同時に、息子の言葉を思い出して苦々しい気持ちが込み上げてきた。


『母上はあいつらのねじ曲がった性根を知らないだけです……っ!えっ、性根がねじ曲がっていない貴族など存在しない……?』


 こんなにも気立てが良くて、顔も綺麗な女性を婚約者にしてあげたというのに。性根がねじ曲がっているということは、そう簡単に折れないという強い精神力の現れだと何故わからないのか。

 だというのに意志薄弱なヘンリーったらあっちにふらふら、こっちにふらふら。おまけに、王妃の素質は血筋じゃなくて性格で選ぶべきなんて宣う始末。

 あの人陛下も『お年頃なんだろ、よくあるよくある』の一点張りで頼りにならない。

 それに比べて、スチュワード公爵のなんと頼り甲斐のある紳士か。『貴女の美しさに比べれば、幾億の財宝すら輝きを失う』なんてメッセージカード付きの花束を贈ってくれる。惜しむべくは、不貞を疑われぬよう、処分しなければいかなかったことか。


「ねえ、ジュリア。私、貴女こそが王妃に相応しいと思ってるの」

「えっ!?」

「この世の中にはそりゃ善人は沢山いるわ。でも、正しいだけでは政治は回らないの。ヘンリーはあの通り、なんでもかんでも手の届く範囲にあるものは助けようとするわ」


 エミリアがそっと窓の外を見れば、そこには一羽の鳥が止まっていた。

 ヘンリーが幼い頃、巣から落ちた雛を哀れんで拾って甲斐甲斐しく世話をしたことがあった。潤沢な餌と外敵のいない環境で鳥はすくすくと育ち、そして野生の鳥よりも遥かに早く死んだ。


 理由は簡単だ。


 人に育てられた鳥は飛ぶことを知らない。

 飛べない鳥はやがて肥えて、体を壊し、あっという間に天へ召された。

 そのことを、幼いヘンリーは理解できずに何日も塞ぎ込んだ。

 その時は微笑ましい話で済んだが、大人となってもその悪癖は治らなかった。


 この前も、戦争にて滅ぼした敵国の帰化を斡旋し、教育の機会を与えた。職を得られるようにと名前を与えた、その行為は一見善行に見えるだろう。

 それでも、名前を与えられた国民の目に薄寒いものが見えて、それがエミリアを不安にさせるばかりだった。


「その、王妃様。そう仰っていただけるのは大変ありがたいのですが、私よりもっと相応しい人が……」

「ジュリア、どうか自信を持って欲しいの。そして、どうか私のことは『お母様』と。そう呼んでちょうだい」

「そ、それは……!」


 びっくりした表情のジュリア。見れば見るほどスチュワード公爵に似ていてとても微笑ましい。

 ああ、あの人に会うより先に公爵に出会えていれば今頃自分が妻となれたのに……と過去を悔やむ気持ちに蓋をする。


「なんて、流石に無理よね。でも、いつかは呼んでちょうだい。約束よ?」

「い、いつか呼びますから悲しい顔をしないでください!」

「ほんと?」

「本当です、ホント!信じてください!」


 ぶんぶんと首を縦に振るジュリアの姿を見て、沈んでいた気分が軽くなる。

 ふと時計を見れば、思っていたよりも長い時間を過ごしていたことに気づく。


「本当はもう少しお喋りをしたいのだけど、あまり遅い時間になっても困らせちゃうわね。今日の埋め合わせは後日必ずするわ」

「お、おかまいなく!!それよりもドレスのクリーニング代……」

「気にしなくていいのよ。でも、そうね。今度遊びに来てくれるかしら?」


 ぱあっと顔を輝かせるジュリアにエミリアも釣られて表情を緩める。

 やはりヘンリーに婚約を破棄すると言われたショックで精神的に退行しているようだ。とはいえ、やはり愛した人と瓜二つの彼女の素直な反応は可愛らしいもので、エミリアは名残惜しさを噛みしめつつジュリアを見送る。

 彼女を乗せた馬車が見えなくなった頃になって、ようやく振り返ってヘンリーの部屋へと向かう。


 ーーええ、ええ。ヘンリー、あなたにとって一番善い道を指し示すのはこの母たるエミリアの務めです。


 固い決意を胸に宿し、エミリアは己に立ち塞がる試練の扉を両手で押し開けたのだった。

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