流星待ち

遠野リツカ

流星待ち 前

 ——浅瀬の方にぷかぷかと漂う白い物体は海月で、ライトで照らしたらぼんやりと仄白く光るだろう。太陽の光を受けて輝く天体の月と同じように。

 場所によっては何匹も集まって大きな塊となっている。


「体を大きく見せて、ニンゲンどもを怖がらせてやろう」

「枝で突いてきたら、怒ってやるんだ」

 

 そんな話し合いが、もしかしたら海月同士で行われているかも。……なーんて、ファンシーなことをぼんやりと僕は考えていた——。





 さく、さく、さく。

 ざあぁぁぁー……。


 足の裏に伝わる、砂のひんやりとした心地良さ。ぬるい空気を断つような波の音。

 

 僕は浜辺を散歩する、この夜のひとときが好きだ。静かで、自分以外に人がいない。どこか現実から離れてはいるけれど、夢とはまた違う。そういうふわふわとした空間を漂いながら、ぼんやりとどうでも良いことを考える。


 無性に唐揚げが食べたい、だとか。

 猫という生き物はシルエットからもう可愛いよな、とか。 

 あとは……。波打ち際に落ちている海月は生きているのか、死んでいるのか。水に戻してやったらまたふよふよと旅をしていくのか。


 僕はちらりと波打ち際の方に目を向けた。

 半透明な白い物体がぐでりと横たわっている。しかもひとつだけじゃなくて、点々と。

 海月と思わしきそれらに向かって、おーいしっかりしろ、と心の中で呼びかける。


「バカじゃねーの!」


 うわっ。


 僕の心の中での呼びかけに応えたのは海月……、ではなく、向かい側から歩いてくる集団のひとりだった。もちろん僕ではなく、周りにいる仲間に言ったものである。

 そそくさと彼らとすれ違わない内に砂浜を後にする。別に僕に対して何かしてくると決まったわけではないけれど、お酒の缶を手に持ちふらふらとしていたから、念のため。

 

 ああ、家に帰れという啓示なのだろうか。帰って勉強をしろと。お前が散歩をしている間に同級生たちは塾や家に籠もって勉強をしているぞ、差を付けられるぞ、と。

 そんなことはわかっている。でも僕には使いすぎた頭を冷やす時間が必要なんだ。勉強法は人それぞれなんだから許して下さい。なんて、誰かに責められたわけでもないのに必死に言い訳してみる。


 僕は家の方に向かってふらふらと歩いた。しかし帰るわけではなく、海とは反対側の、家から歩いて十五分ほどのところにある公園に行く。普段は子どもが多くてなかなか近寄らないから、訪れるのは久しぶりだ。まあそうでなくとも高校生が公園になんて滅多に行かないが。


 そこに辿り着くと、僕は入り口で一度足を止めた。


 広場の真ん中で存在感を放つ、滑り台やジャングルジムなどが組み合わさった遊具。どこにでもあるものだ。変わっていることを挙げるとするならば、滑り台に流れ星の絵があしらわれていることくらいだろうか。


 そのてっぺんに人影があった。こんな時間に子どもが出歩いているわけがない。……まあ「高校生もまだ子どもだろう」って言う人もいるかもしれないが。


 またヤンキーか、それとも酔っ払った社会人とかか。僕はじっと目をこらした。


「…………あれ?」


 思わず声が出た。そこにいたのは、同じクラスのみなみイチカさんだったからだ。Tシャツにハーフパンツというラフな格好で膝を抱え、ぼーっと空を見上げている。彼女の肌は全然日に焼けていなくて、まるで仄かに発光しているかのように見えるくらい白い。


 彼女は時々膝に顔を埋め、しばらくその格好でじっとした後また顔を上げて空を見上げるという行動を何回か繰り返した。


 その様子が気になって近づいていくと、ふ、と彼女が視線をずらしてこちらを見た。


清瀬きよせくん……?」


 微かな風にも吹かれて消えてしまいそうな、儚げな声が僕の名前を紡いだことに驚く。僕たちは全く会話をしたことがなかったからだ。


 いや、僕だけではない。南さんは学校でほとんど誰とも話さない。いつも一人でいる。そんな彼女に名前を覚えて貰っているとは。


「こんばんは」


 そう挨拶すると、彼女もぺこりと頭を下げて返してくれた。


「何してるの?」


 滑り台の下から南さんを見上げて問う。


「…………」


 彼女はしばらく無言で僕の顔をじっと見つめた、と思ったらだんだんと視線をずらしていき、瞳をあっちこっちに移動させていた。戸惑っているような表情に見える。人と喋るのが苦手なのだろうか。


 やがて、泳いでいた目がゆっくりと停止し、おどおどとしていた彼女は薄く口元に笑みを浮かべた。

 さっきまでとは打って変わって、ミステリアスで、冷たさを感じさせる表情。

 彼女は小さくこう呟いた。


「——自分の、生まれた星を探してるの」


 え?


 生まれた、星?


 そんなの地球しかないだろう。だったら探さなくともとうに見つかっている。僕の頭の中は「?」でいっぱいだった。


 そんな僕の気持ちを読み取ったのか、それとも顔に出ていたのか。南さんはふふっと小さく声を出して笑った。


 瞬間、チカッと目の前で星が瞬く。彼女の笑顔は、その白い肌も相まって月のように美しかった。

 薄暗い中で、彼女だけが輝いて見えた。


 固まって動けない僕をよそに、南さんは滑り台を下り、


「じゃあ、また」


 と言って去ってしまった。僕はずっと、彼女の後ろ姿を眺めていた。


 そして彼女が完全に見えなくなってから首を動かして空を見上げた。そこには星が点々と光っている。


「生まれた星…………?」


 その言葉と彼女の声がこびりついて、その日は帰ってからも勉強に集中できなかった。

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