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 星の娘よ。

 星の娘よ。

 星の娘よ。

 槍に貫かれ、炎に焼かれても、それでも貴女は美しい。


       ―聖女処刑譚『斥力の聖女』編 序文―



 石煉瓦で造られたダンジョン。その一室に詰まっていた囚人デーモンたちの死骸が消えていく中、俺は部屋の中央に置かれた長櫃を開けてがっくりとした気分を味わった。

「ここも違ったか……」

 デーモンどもを蹴散らすのに使ったハルバードを片手に、聖女カウスを振り返る。


 ――そこには……。


 あの後、聖女カウスに時折肩を貸しつつ探索を続ければ、長櫃は3つ見つかった。

 中に入っていたのは指輪が1つ、強い神秘を感じる蝋材が3つ、それと今回の矢の束だ。

 未だ本命たる聖女カウスの弓は見つかっていない。

「これは聖女カウスが持っていた方がいいでしょう」

 30本ほどだろうか。俺は鉄矢の束を聖女カウスに押し付け、周囲に目を向ける。ここは広間というほどではないがそこそこ広い空間だ。先程までみっちりと囚人のデーモンが詰まっていたが俺が今持っているハルバードを振り回して全て殺し尽くした。

 デーモンが使っていたものだろうか、血に塗れ錆びついた拷問具などが転がっているが興味は薄い。

(この部屋は通路の突き当りだ。周囲のデーモンも来る途中に始末した。出入り口は一つ。挟撃の心配もない)

 逆に言えば逃げる場所がないということでもあるが、そこは問題ない。

 とても簡単な解決法がある。この部屋の入り口にデーモンが殺到してきたなら俺が全て殺せばいいのだ。

 振り向く、押し付けた鉄矢が床に転がっている。肩で息をする聖女カウスが壁に肩を持たれかけている。石煉瓦とはいえ、瘴気に塗れた汚らしい壁だ。聖女たる方が触れていいものではない。

 俺は眉をしかめ、言うだけ言ってみる。

「あー、少し休みましょう。聖女カウス」

 そう、見ての通りだ。聖女カウスの疲労はもはや無視できないほどになっていた。

 少しでも探索を効率良くする為に探索の奇跡だけ使って貰い、道中の戦闘は全て俺が受け持った。それでもこの疲労だ。

 それに、ここまで弱りきれば聖女カウスにもう一度の奇跡の行使はできない。使えば倒れる。その確信がある。

 奇跡に詳しくない俺でもわかるのだ。襲ってくるデーモンでもわかるだろう。

 わかっていないのはこの聖女だけだ。

 頭痛をこらえるように頭に手を当てた聖女カウスが拒絶するように首を振った。

「あと、あと少しなのです。キース様。あと少し」

「何度も聞きましたよ。毎回毎回あと少しあと少しと」

 ため息がでかけるがやめておく。別に聖女カウスと喧嘩したいわけではないのだ。

(やっちまうか……)

 俺は手首をぐりぐりと回して、調子を確かめる。今からする不敬に内心で苦笑する。聖女様相手にこんなことをしようと思いつく時点で、やはり俺に信仰心は備わらない。

 篭手から腕を引き抜く。そんな俺の様子にも聖女カウスは気づかない。だから踏み込み。

「失礼」

「あ」

 ふらふらと立っていることさえおぼつかない聖女カウスの顎先に拳をかすらせた。神造の兵器たる聖女にこんなもんが効く時点で心底まで弱り切っているのだ。この聖女殿は。

 白目を剥いて倒れる聖女カウスの身体を抱きとめる。内心でオーキッドに謝罪しつつ、片手で聖女カウスを抱えたまま床に毛布を敷き、聖女カウスを横たえた。

 さて、急がなくてはならない。

 倒れた聖女の気配をデーモンが嗅ぎつけるかもしれない。流石に聖女カウスを護りつつ聖域を張るのは難しい。

 俺は袋から黄色の蓋の、結界構築特化聖水を一本取り出すと周囲に撒き、中央の長櫃の隣に聖印を設置する。

「星神よ。お前の娘に安息の場を」

 俺の祈りでは効かないだろうが、ないよりマシと祈りの言葉を唱え、スクロールを消費して聖域を張る。

 聖水の効果だろう。瘴気が薄れ、清浄な気配が漂う場を見ながら俺はうむ、と頷いた。

「深層であろうと、これだけやれば一眠りする程度には聖域も保つだろう」

 あとは、と俺は袋から取り出したものを見て嫌な笑いが浮かぶのを自覚する。

「また死にかけの女にこれを使うことになるとはな……」

 リリーにも使った、神秘を回復する香炉の出番だ。


                ◇◆◇◆◇


「……う……ん……」

 火は焚けないので毛布を重ねて冷えないようにしてやった聖女カウスが呻きと共に目を覚ました。

「起きましたか」

「……ええ、3日ぶりに寝ましたよ……」

 聖女カウスが向けてくる恨みがましい視線に面倒臭げな視線を返してやる。

 ここで無駄に使った時間、地上では時が過ぎているのだ。一年か二年か。それとも……。

 嫌な想像を打ち払い、俺は視線を出入り口に戻す。

 聖域を張ったとはいえこの領域のボスデーモンを倒していない。強力な眷属を差し向けられれば聖域にも侵入してくるだろう。

 油断はできない。それでも少しだけ心と身体を俺も休める。体力の回復に努めるため、干し肉の塊を噛みちぎり、ワインをぐびぐびと飲む。

 げふー、と酒臭いゲップをしてから顔をしかめる聖女カウスに向けて言ってやる。

「食事を用意しておきました。貴女はとにかく腹を満たした方がいい」

 偽聖女の時に異界穴の奇跡を使えたとは思えない。

 故に、聖女カウスは食料を持っていない筈だ。

 飲まず食わずだった筈なのだ。

(そう。もしあの異界穴に何か入っているなら、身を護る武器ぐらいは入っている筈だからな……)

 物資を持っていたなら、わざわざ俺から弓を受け取る必要も、いや、そもそも牢屋におとなしく入っている必要もなかったのだ。

(これに俺が早く気づければよかったんだがな……)

 いや、これが俺も辺境の民でしかないということだろう。

 聖女様が食事を必要とするほど弱るなど考えもしなかったということだ。

「はぁ、キース様、ありがとうござ――」

 聖女カウスは俺におざなりな感謝の言葉を述べかけ、そこで初めて気づいたように香炉に目を向けた。

「――これも、キース様が?」

「神秘回復の香です。多少体調も回復したと思いますが、どうですか?」

「ええ、まぁ……身体の調子は、勿論よくなりました」

 俺が手を掠らせた顎を撫でつつ複雑そうな顔をする聖女カウス。俺はにっと笑ってやり、それはよかったと大きく頷いてから頭を下げた。

「聖女カウス、先ほどは失礼しました。従者2人のことは俺も心配です。ですが、そもそも貴女が倒れては本末転倒」

 む、という顔をする聖女カウスに、俺は自分の顔を指さした。

「先の無礼の分、俺を殴っても構いません」

 言って自分でも思うが、俺は、何を馬鹿なことを……。

 女の攻撃だから、いくら食らっても大丈夫、などと甘いことは欠片も考えない。

 聖女カウスは武闘派の聖女だ。その攻撃を無防備に喰らえば怒りのほどにもよるが最悪死ぬ。

 とはいえ、ここでしこりを残すのもまずい。聖女カウスの面目に関わるからだ。それは今後の探索での意思疎通を困難にするだろう。

 さりとて辺境人として偽聖女ならともかく本物の聖女をこの迷宮深層に放置するなどできるわけがない。

(そもそも、俺も気まずいしな)

 聖女様に恨まれたまま死なれるなんて、本当に、その、困る。俺の薄い信仰にも関わる一大事だ。

 だからここで一発食らって聖女カウスにすっきりしてもらう。もちろん死ぬほどの攻撃を受けたら即座にソーマを飲む。即死しないように武神にも祈る。

 そんな覚悟をしながら頬を差し出す俺に向けて、聖女カウスは深く深く溜息を吐いた。そうして立ち上がり、俺に頬に手を当てる。

 覚悟をして歯を食いしばった俺に向けて、聖女カウスは手を振り上げ、そうしてそっと手を下げた。

「その顔だけで溜飲は十分に下がりました」

 頬を撫でられる。その手付きはまるで……。

「ここで貴方を殴ったら私がただの馬鹿娘ではないですか」

 ッ、心に叱咤する。俺は触れたままの聖女カウスの手をそっと退け「では食事を」と用意してあった肉とパンとワインを指し示す。一応、少しだけ猫から買った干した果実も添えてみた。

「ええ、キース様の心づくし。ありがたくいただきます」

 保存食だが、猫から買ったこれらには多量の神秘が含まれている。聖女カウスの回復にはちょうどよい筈だ。

(ふ、あの猫め。さすがは商業神の眷属と言ったところか)

 この量の神秘を含む食材は辺境とてなかなか手に入らないだろう。

 出入り口を警戒しつつ少し待てば食事を終えた聖女カウスが立ち上がっている。

 腕や足を動かし、身体の調子を確かめ、ぽん、と手を叩き、よし、と呟いた。

「八割といったところでしょうか。絶好調とはいきませんが、弓と従者を探すだけなら十分です」

 聖女カウスが調子を整える間に俺は周囲を片付けていた。毛布や香炉を袋に戻し、聖印に目を向け……目を伏せる。

(聖印から神秘が薄まり、銀が黒く腐食している……)

 だが助かった。

 俺は聖印に向け感謝の祈りを口にし、立ち上がる。では行きましょう、と聖女カウスの方に目を向ければ、聖女カウスが俺に向けて手を差し出してくるところだった。

「キース様、行きましょうか」

「聖女カウス。俺は妻子ある身、あまり調子に乗らないでいただきたい」

 拒絶すれば、残念そうに聖女カウスは唇を尖らせた。

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