104
轟音を立てて巨大な茎がへし折れる。土煙を立てて花の君の本体が地面へと墜落する。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ…」
炎剣の柄が手からこぼれ落ちる。全力を使い切ったが故の脱力。だが、それは今は命取りだ。
立っていることすら奇跡のような状況でも未だ戦いは終わっていない。炎剣を犠牲にすることで花の君を支える巨大茎はへし折れたが、相手の本体に攻撃は届いていない。
俺では、死力を尽くしてなお足りない。だから、殺すために。今なお死力の底を尽くさなければならない。
躊躇せずソーマを取り出す。蓋を開ける暇すら惜しい。瓶の口を親指でへし折りそのまま口をつける。
肉体を犯す呪毒と瘴気が癒やされていく。底をついていた生命力が賦活される。
「ふぅぅぅぅぅ」
息を吐きながら前進する。目標。地面に叩き落とした花の君の本体。
炎剣を拾う暇はない。相手が倒れている今。相手が体勢を崩している今。今しかない。殺すなら! 殺しきるなら!!
周囲から迫ってくる茨をギザギザ刃の剣で迎撃しつつ、走り出す。
「おぉおおおおおおおぉおおおおおお!! 邪魔だぁッ!!」
地面から溢れ出す
俺から逃げ出すように、花の君の本体である巨大な薔薇がずるずると地面を這っていく。
「逃げるなァ! 戦え貴様ァ!!」
ギザギザ刃にオーラを流して一閃する。ソーマによる肉体の蘇生は完璧だ。死に体のデーモンが作った急造のデーモンなぞ紙の壁にすら劣る。
立ちふさがるデーモンどもを蹴散らしながら俺は奴が逃げる以上の速度で追い続ける。
「何が魔宮八業将だ! 何が花旺天蓋だ! 何が花の君だ!!」
俺の咆哮に怯えたようにデーモンどもが道を開け始める。ここのデーモンどもはダンジョンのデーモンにない思考がある。自身を生存させようという本能がある。故に怯えれば立ち止まる。ダンジョンのデーモンならば怯えても俺へと突っ込んでくるだろうデーモンどもが、花の君の支配力が落ちたことで棒立ちになる。
「貴様は君主だろう! デーモンの君主だ!! デーモンの軍勢の上に立つもの! ただものでないデーモンであるはずだ!!」
それがなんだそのザマは! 死に犬のように俺から逃げやがって。糞が。リリーの死を美化する為にお前は俺に立ち向かえ。最後まで雄々しく戦え。小汚い薄汚れたデーモンであろうと、デーモンらしく人を怯えさせる威容を誇れ!!
願いを込めながら俺へと先より本数を減らした迫りくる茨を叩き落としていく。敵まで、あと数歩の距離。
(無様だが、やはり巨大だ)
人よりも巨大な花の化物がずるずると地面を這っている。その歩みは亀なれど、その巨体が持つ力はただの人なら1000人とて殺して余るほどに残っている。
敵は弱っていた。しかしなお脅威だ。近づけば近づくほどに濃密な魅了の込められた芳香が香ってくる。
それは人を惑わし、心を破壊し、争わせる魔性。
(だが、俺には意味がない)
「キース。助けてくれ」
リリーの姿をした幻影が俺の前に倒れこむ。
俺には龍の目がある。龍の瞳には魔性を暴く力がある。如何な魔性が俺を惑わそうとも、俺の右目には真実だけが見えている。
リリーの形をしていても、そこにあるのはただの花人間だ。手を伸ばしたリリーに見えようとも、毒花の頭が俺へ向かって毒茨を向けている姿が、真実を見抜く龍の目には見えている。
「無駄だッ!!」
ギザギザ刃で一閃。悲鳴も零さずにデーモンは消滅する。
同時に、これではダメだとわかったのか香気が高まり、俺の精神を操ろうと妖しさの種類を変えた。
ぐらぐらと地面が揺れ、ぐるぐると脳を回転させられる感覚。五感を直接操ってきたのだ。
だが俺にはリリーがいる。如何な完全な方向感覚を持つ辺境人の感覚が惑わされようと、リリーの皮から伝わる暖かさは本物だ。
花の君とは逆方向に誘導されそうになったところを、顔に被ったリリーの皮が、引きつるようにしてそちらではないと教えてくれる。
「喝ッ!!」
精神に喝を入れる。脳を犯していた呪毒が強いオーラによって破壊され、正しく現実が戻ってくる。
「無駄なことをするな! 戦えぃ!!」
その巨大すぎる巨体は芋虫のようにうごめいている。花の君はそれでも俺より逃げている。
閉じた花弁が膨らむ。瞬間、薔薇の口より噴き出した毒花粉により、瘴気の色が毒々しく変化する。
「ッ……」
咄嗟に咳き込むようにして口元を抑える。
劇毒だ。近づくだけで肺が焼けただれる。臓腑が腐り落ちていく。
「無駄な、ことをッ!!」
ソーマで肉体が完治していようともこれだけの毒を直接受ければ常人ならば即死だろう。しかし俺の腹のうちに燃える怒りは気炎となってそれらを焼いていく。
この程度で俺が止まるものかよ。
この状況は既に経験している。
狩人の時の方が深い絶望があった。勝てないと、相打ちになるしかないと覚悟しなければならないほどの恐ろしさがあの狩人にはあった。
だがこの相手にはそれがない。俺から無様に逃げ出すデーモンめ。今すぐだ。今すぐ殺してやる。
この程度の抵抗は抵抗にすらならない。血を吐きながら俺は追いつく。
青い花弁を閉じて、ただただ俺より逃げ出す花の君。
その身体を動かしていた触手を一閃。人の腕ほどの太さのあるそれを次々に断ち切っていく。
『ヒギャアアアアアアアアアアアアア!!』
無様。無様。無様。こんなものにリリーは殺されたのか。こんな化物にリリーは殺されたのか。こいつがリリーを。リリーを。
怒りが俺の脳を焼く。腹の底から烈火のごとくオーラが吹き出してくる。それら全てをギザギザ刃に乗せ、俺は生えてくる端から触手を切り裂くと、その青い花弁へと刺突を突きこんでいく。
悲鳴をあげる主を助けようと、小さな青薔薇の咲き誇る細い茨が俺の身体に巻き付こうとするも、リリーの皮から放たれる聖なる気配によりその多くが退散していく。
「ふんッ!!」
それでも全ては退けられない。俺へと巻きついたものは、ただただ筋力で引きちぎった。
「この程度かッ!!」
叫び。青い花弁の内側へと乗り込む。
中では女の形をしたデーモンが怯えたように俺に背を向けていた。
「チカヅカナイデ!!」
まるで野盗に襲われた乙女のような仕草。人間を真似たぎこちない動き。
「タスケテ! タスケテ!!」
ただただ俺への同情を乞おうとする醜悪な姿だ。そんなもので、俺が騙されると思うのか?
剣を一閃。腕と足を同時に切り飛ばす。
「ヒギャアアアアアアアアアアアア!!?!? ナンデ!? ナンデワタシガァアアアア!?」
(なんだこれは。これが花の君か? こんなものがデーモンか?)
呆れて物も言えない。
「ワタシハタダ、花ノ妖精サンニ元気ニナッテ欲しかった……だけなのに」
リリーを模した顔に浮かぶ幼い子どものような容貌。しかし容赦はなかった。俺には、それがただのデーモンにしか見えなかったからだ。
すとん、とその胸に突き刺さった刃を呆然と女のデーモンは見た後。
「……ありがとう……わたしを解き放ってくれて……」
「お前――」
流し込んだオーラがその身体を消し飛ばす一瞬。微笑む女。その姿はまるで、本当の人間のようにも見えて。
――瞬間。
音もなく、気配もなく、そもそも殺意すら見えず。
ただただ背後より俺を貫く極大の茨。
まるで槍のように鋭く尖った茨の槍が、リリーの皮が張り付いていない鎧の背面から、鎧ごと俺を貫いていた。
油断ではない。高位のデーモンなのだ。完全に惑わせずとも攻撃の気配を消すぐらいはやってのける。
「ぐッ、はぁッ!!」
見下ろせば俺の心臓が、視線の先にある。背後より俺を貫いた茨の槍が。俺の心臓を串刺しにしている。
首だけ振り返れば、ちょうど背後。玉座のように盛り上がった瘤の上に、小さな。本当に小さな姿のデーモンがいる。
裸の小人。子供が妖精と勘違いしてしまいそうな姿形をした、だが、紛れもなくデーモンだ。
龍の瞳が断定する。弱所だけで構成されたこれこそが、花の君の本体なのだと。
『ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャ!! ヒッカカッタヒッカカッタ!! マヌケマヌケ!! ギャギャギャギャギャ!!』
死が。足元に這い寄ってきていた。
如何な辺境人とて、心臓を貫かれれば死ぬ。俺の身体から堰を切ったように生命がこぼれ落ちていく。
背後のデーモンが俺の絶望を啜り貪ろうと奇声を上げかけ「エ?」と呟いた。
『ナンデ、ゼツボウ、シテ、ナイ?』
俺の身体に充溢するのは生命のオーラ。
心臓を貫かれたことで指輪より発動したベルセルクの権能。
慌てたデーモンが花人間や茨による壁を俺と奴の間に作り出すも、既に俺は動いていた。
「間抜けはお前だ」
お前の居場所だけが問題だった。あの女のデーモンが本体でないことなどわかりきっていた。あんな三文芝居に油断する間抜けが辺境の戦士にいるわけがねぇだろうが。
口の端より血が落ちる。足はふらつき、魂は身体から抜け出しそうだ。
だけれど、手はギザギザ刃の剣を強く握り、身体から溢れる生命のオーラを剣身に注ぎ込み終えている。
怯えた小さなデーモンが俺から距離を取ろうとする。
『ア、ア、マ、マッテ』
「いいからお前はもう死ね」
身体を貫く茨の槍を叩き切り、デーモンとの間にいた花人形を拳でぶっ飛ばし、絡みつく茨を引きちぎる。
恐怖に怯える小さなデーモン。俺から逃げようと小猿のように距離を取ろうとするも、この距離で、この間合でベルセルクの加護ある俺を振り切ることなど不可能だ。
『ヒィィ、アアアアアアアア』
数歩の距離で追いついた俺は、ただただ無様で醜悪なデーモンに振りかぶった剣を振り下ろすのだった。
――溢れるのは過去の記憶ではない。
「キース」
リリーが笑って手を伸ばしていた。周囲には見知らぬ人々。だけれど直感が教えてくる。
リリーの父親らしき壮年の男。母らしき女。妹らしき少女。兄らしき青年。数え切れぬほどの騎士たちが、領民が。皆が笑っている。
領地の豊かさを示すような、頭を垂れるほどに実った麦穂が、地平も見えぬほどに広がっていた。
そんな中。リリーが俺へと手を伸ばしている。
「ここは、温かいな」
――幻視は途切れる。
目の前では俺に切り裂かれた花の君の本体が、消えていくところだった。
デーモンが死に、残る黒いルークの駒とソーマの瓶、そしてリリーの鎧櫃。
「終わった……」
消えていく。
本体が倒されたことで花の君の全てが消えていく。
まるでそこに何もなかったかのように。淡雪のように解けていく。
全ての生命力が傷口から流れ落ちる前に、デーモンの落としたソーマを使って傷を癒やした俺は聖印と聖域のスクロールを取り出し、空を見上げた。
霧に包まれた空。死体だらけの森。醜悪な人食い植物たち。
森の中では、花の君の名残である頭に花を咲かせた茨のようなデーモンがちらほらと蠢いていた。
(あれもこのダンジョンに根付いていくのか?)
疑問に答えは帰ってこない。
俺はデーモンを倒したことにより、ぽっかりと瘴気が消え去っている中、花の君により破壊された聖域を再設置する。
「リリー」
花の君が残したリリーの鎧櫃を手に俺は呟いた。
「帰ろう。地上に」
晴れ晴れとした気持ちには、なれなかった。
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