029


 俺はその時わたしであった。

 いや、わたしが俺であったのか。

 両者の意識は合一し、現在は過去となり、過去は現在となっていた。


 俺は、龍である。


 四肢には強靭な力が宿り、刃を弾く金剛の鱗を纏い、迅雷と共に疾駆する。

 およそこの世に存在する全てから自由であるこの体は、いつかの神殿の空を飛ぶ。


 その異変がいつ起こったのかは定かではない。

 平和だった大神殿に、大陸王都よりゼウレの血を引く国王がやってきた次の日。

 その日はどれだけ探してもエリザの姿がどこにもなかった。

 心配になったは一日中あらゆる場所を探索していた。

 またぞろお転婆に街の外にでも行ったのかと少しばかり山々の向こうなど遠出をし帰ってくると……。


 ――街に死が満ちていた。


 何が起こったのか、誰が起こしたのか。

 大神殿の足元に作られた善神の信徒たちの街にデーモンが満ちていた。人々は襲われ、攫われ、侵され、殺され、血と悲鳴が街々を満たしていた。

 胸中に満ちる怒り。だがそれよりも心を満たすのはなぜという疑問だ。どうやったのだ。ここはその辺の村にある聖堂ではないのだぞ。辺境の信仰を一挙に集め、天上の神々が直接の祝福を与える善神大神殿だぞ。

 木っ端な邪悪では触れるだけで消し飛ぶ聖域のはずだ。

 罵りを口にし、デーモンを滅しながら私は飛ぶ。焦りが我が身体を動かしていく。

 エリザは朝から見つかっていない。この異常と結びつけて考えてしまう。何か取り返しの付かないことが起こっているような。

 いや、たとえ関係がなくとも私は彼女を護ることを命じられている。探しだし、護らなければ……。

 神殿に戻る。巨大な神殿は龍の身であるこの身体でも自由とはいかないが入ることができる。

 だが、神殿の中にもデーモンがいる。信じられない思いで片っ端から消滅させていく。

 デーモンを蹴散らしながらエリザを探す。どこにもいない。絶望が心に染み渡ってくる。

 どこだ。どこにいる。糞ッ。

 気づけば私は厨房にいた。デーモンに友が襲われている。助けて事情を聞く。

 デーモンたちは突然神殿の地下から湧き出てきた、らしい。

 信じられないを連呼する友をほうっておくわけにもいかず、私は自らの目を抉り、彼の守護の為に置いておくことにする。

 龍の眼球。ただあるだけで世界を犯す力の塊。これを基点としてこの部屋に守護の魔法を掛ける。

 友よ。待っていろ。エリザを見つけたら、この異常をすぐにでも解決してやるからな。

 みぎめは、からだが去っていくのを見ていた。


 ――そしてみぎめは友の終わりを見ることになる。


 からだはいくら待っても戻ってはこなかった。

 友はデーモンに恐怖し、厨房から出ることはなかった。

 我が守護の結界が瘴気の侵入を防いでいたこともその一因だったろう。ここから出なければ安全ということもあった。

 だが、それは甘かった。

 時が経つにつれ、部屋自体が変質し、汚臭。汚れ。結界で防ぐこともできぬ呪いが侵食してくるようになる。

 時間の感覚も狂う。

 部屋も狂う。

 世界は狂う。

 厨房は既に何者かに取り込まれていた。

 変化は徐々に訪れていた。

 部屋の中に染み出してくる何かの肉。

 いつのまにかどこからか運び込まれたかわからない死体が天井に吊るされるようになる。

 小さなデーモンが侵入はいってくるようになる。

 全ては龍の力でも防げぬ強すぎる呪いのせいだ。

 私は友を護るだけで精一杯だった。

 だが、友は狂ってしまった。

 あらぬ方向を見ながら誰かに謝罪を続けるようになる。

 目は左右ともがどこを見ているのかもわからなくなり。

 口からは意味のない言葉が漏れるようになり。

 そして我が守護を貫通した呪いに身体が覆われるようになった。

 全身から瘴気を垂れ流すようになり……。

 そして、デーモンになった。

 なって・・・しまった・・・・

 私はそれを見ているだけであった。

 だが、それが私には耐えられず、私は守護の魔法を変質させ、この部屋から友が出られないように魔法を掛けた。

 せめて彼が人を害さぬようにとの祈りを込めて。

 そして私もまた、瘴気に抗えず、身体から呪いが溢れるようになっていく。

 この身がかつて滅ぼした鼠のデーモンとなるなど、皮肉でしかないが。

 しかし。


 しかし、許せぬ。 ――怒りが……。


 どうしても、許せぬ。 ――怒りが、身体の底から……。


 何が起こった。知りたい。そして、報いを受けさせたい。 ――を支配する。


 おおおおおおおおおオオオおおおオオオおおお!!


「おおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 俺は叫んでいた。目の前には半身を断ち切られ、悲鳴を上げるデーモンがいる。

 『修道女』のデーモンだ。あの地下で人の死骸を食らっていた醜悪なるデーモン。それが俺の目の前で巨大な肉斬り包丁により半身を断ち切られ、悲鳴をあげていた。

 誰がやったのか。

 わたしがやったのだ。

「おおぉおおお。おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 肉斬り包丁に全身から絞り出した怒りのオーラを載せ、突撃する。


 どうしてここに俺がいるのか。

 あの厨房に俺はいたのではなかったのか。

 わからない。 ――どうでもいい。

 わからない。 ――デーモンを滅ぼしてやる。

 わからない。 ――怒りが俺を支配している。


 正しく、俺は理性を失っていた。


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