030


 視界が赤い。血と炎。怒りによって燃え上がっている。

 限界を超えた負荷に心臓が激しく音を鳴らし、筋肉が熱を持つ。

 だが、それがいい。その熱さこそが俺の身体を駆り立てる。

「この人間、ヤマの道具を持っているのか! ならば、獄炎……!!」

 怒りによってか手のひらに生まれた炎は通常よりも大きかった。赤々と燃えるヤマの炎。食器と屍肉をぶち撒け、うぞうぞと周囲に群がってくるシスターローブを纏ったデーモンの一群に投擲する。

「ヒギィイイイイイ」「アガァアアアアアアアアア」「カミサマァアアアアアアア」

 ローブが焼けたことで修道女のデーモンの全容が明らかになる。人間の身体にイモムシの胴体を持ったもはや人の残骸でしかない存在。

 そこに追撃の獄炎が飛び込む。異常に甲高い悲鳴。火球が爆発し、デーモンの肉片が散乱する。

「ちぃッ、威力が低い……! 人の身では仕方がないか! ならばッ!」

 意識は二重だ。俺の意識の上に俺ではない意識が被っている。俺の身体は俺とそいつが動かしている。それが俺の知らない知識を用いる。

 俺たちの意思は同じだ。デーモンへの怒りに全ては支配されている。魂が叫ぶのだ。デーモンを滅ぼせと。だから俺は俺に乗っている意識に抗うことなく全力で助力を行う。

「ゼウレよ! 雷を司る天上の神よ! 金剛龍マルガレータの名において奇跡を願う! 汝が正義と徳をここに顕現せよ!」

 ずるり、と俺の身体から致命的なほどに何かが絞り出されていく。それは生命というには濃く。精神というには薄いもの。

 魔力だ。だが、ゼウレの奇跡を顕現させるには俺の魔力では圧倒的に足りない。

 料理人を倒したことで拡張された俺の魔力だが、せいぜいが獄炎を二発撃つのが限界。如何に信仰を祈りで補ったとしても足りないものは足りない。

 足りない魔力。足りない信仰。ならば足りない部分を別の部分から捻出するしかない。

 龍の知識が教えてくれる。足りない力を足りさせる方法。

 それは魂を消費すること。

 周囲には殺しきれないデーモンの群れ。

 腹の奥から抑えきれない怒りが噴出する。思わず俺は心で叫んでいた。

(使え! 俺の魂を使え!!)

「おぉ、おぉおお! 助かるぞ! 人間! デーモンども、たらふく喰らえぃ!!」

 何か取り返しの付かないものが消費される感覚。自分が欠けていく喪失感。

 だが身体は魔力で満たされる。

 俺を中心に発動する強烈なゼウレの権能かみなり。それは周囲のデーモンに寸分違わず命中し、片端から消滅させていく。

「プギィイイイイイイィイイ!!」「イャアアアアアアアアアア!!」

 神の力に晒され、デーモンの悲鳴が響き渡る。

 奇跡の顕現が終われば、周囲には何も残らない。ただ焦げた皿や屍肉だけだ。あとはデーモンの落とした銅貨やローブ。

 しかし戦いは未だ終わっていない。悠長に拾っている暇などない。

「雑魚どもは滅した。後は貴様だけだ」

「ウゥウ……。ワタシガ何ヲシタァアアアアアアアア」


 ――クルシイ


 ――オナカヘッタ


 ――タベタイ


 ――ノロッテヤル


 目の前のデーモンが呻く。その口から発せられるのは呪いの言葉だ。

 まるで瘴気のように俺の身体に纏わりついてくる呪いの魔力。

 だが、俺も龍も意には介さない。

 無意味だからだ。

「貴様、デーモンに堕ちたとはいえ元は善神大神殿の修道女長だろう。なぜ辺境の民がチルド9に服従したのか忘れたのか?」

(そうだ。俺があそこまでして税金を払っていたのはこのためだ)

 辺境人にとってコールドQに従属することには大きな意味がある。

 かつてまつろわぬ民であった辺境人に向かってゼウレの血を持つチルド9の王は言った。


『チルド9に従属せよ。辺境民がチルド9の為に血を流す限り、貴様らの身体にデーモンの呪いは届かない。辺境の民に振りかかるあらゆる呪いを王家の血が引き受けよう』


 国家も持たず、ただ己の身体一つでデーモンと戦っていた辺境人は初代王のその言葉に感銘を受け、チルド9に従属した。そして暗黒大陸と繋がる唯一の港の傍に城を築き、デーモンと戦うための拠点とした。

 王との契約は今までバラバラだった辺境人が一つにまとまる理由にもなったのだ。

 この契約は辺境が大陸と隔絶された4000年が経っても破られていない。

 チルド9との契約は続いている。

 故に、辺境人の身体に呪いは通じない。

 俺の身体が肉斬り包丁を持ち上げる。みちみちと筋肉が音を立てて断裂する。料理人のデーモンを倒したことで肉体が成長し、筋力が上がっている感覚はあるが、それでも肉斬り包丁ほどの重量のある武器を扱うには筋力が足りない。

「剣と力の神ヘルクルスよ! 邪悪を滅ぼす力の加護を!」

 俺の身体を今動かしているのは龍の瞳に宿っていた弟龍マルガレータの魂の欠片である。瘴気に汚染され、その魂はだいぶ失われているが、それでも人間を圧倒的に超える魂だ。

 そして龍が放つ言葉。それは言葉であって言葉にあらず。世界そのものに語りかける聖なる言葉である。

 俺の身体も魂も神の奇跡を賜るには信仰の力が足りない。だが龍の言葉は世界そのものに語りかけて無理矢理に力の行使を可能とする。

 当然、こういった無茶を通すなら代償は必然である。足りない信仰の分、相応の魔力を必要とする。特に俺はゼウレを信奉しているが、ヘルクルスのような武神には一定以上の祈りを捧げたことがない。まさか神を殺すことを目的にすると知っていれば信仰していたかもしれないが。いや、全ては過ぎたことだ。

 俺の感慨など知るかとばかりに奇跡の代償を取り立てられる。

 全身から失われる魔力。

 搾り取られ、だが足りない。盾の持つ集魔の効果で魔力を補給することはできているが、それでも圧倒的に足りないのだ。

 故に。

(構わん! 持っていけ!)

 俺の魂が悲鳴を上げる。奇跡の行使に足りぬ魔力を無理矢理に捻出する。

 何かまずいという感覚はもちろんある。

 だが、それ以上に。

 俺はッ、俺たちは……ッ。怒っている。

 この世の全てのデーモンを滅ぼしたい。

 目の前にいるデーモンを滅ぼしたい。

 身体が感じる嫌悪とは別に、脳が知っている邪悪とは別に、魂が感じる憎悪がある。

 このダンジョンに挑んでから胸糞の悪くなることばかりだった。

 俺が幼いころから馴染んできた全てが馬鹿にされている。

 人が邪悪に踏みにじられている。

 俺が育った土地の足元でデーモンが群れをなしている。

 爺が安らかに眠れねぇだろうがよぉおおおおおおおおおお!!

「おおおおおおおおおおおぉおおおおおぉおおおぉおおおおお!!!」

 俺たちは叫ぶ。

 叫び、肉斬り包丁を高らかに掲げ、腕に宿る剛力を以って修道女のデーモンを真っ二つに切り裂いていた。

「アアア……オナカガ……スイタ……」


 ――記憶の流入――『修道女』の記憶だ――神に祈りを捧げる少女を見ている修道服の女――「あの子の教育をすればよいのですね」――時に厳しく、時に優しく少女は様々な作法を学ぶ――本当ではないとしてもその様はまるで母と娘のようで――記憶は終わる。


「糞ッ……。ここのデーモンはこんなものを見せるのかッ」

 俺自身魂が消耗しきっていて龍の言葉に応える余裕はない。デーモンを倒したことによる力の流入に耐える必要もあったからだ。

 肉斬り包丁を肩に担いだ龍の意識にせめてチェスの駒を拾うようにと言う余裕もない。

「デーモンごときが私の記憶に干渉するなど忌々しいが……。今はいい、それよりも次のデーモンだ。片っ端から邪悪を滅ぼし、この悪夢の元凶を破壊してくれる」

 龍の視線の先には巨大な穴がある。恐らく酒呑が下に降りていったのはこの穴を使ってなのだろう。

 そして穴の隣には扉があり、穴を落ちて進む力のないものはそちらから行くのが正しいのだと思われた。

「面倒だが、この身体では穴を降りるのは……」


 そうして龍は歩き出し――


「き、貴様は……ッ」


 驚愕に足を止める。


 ――穴の底よりドレスを着た女がこちらを見ていた。

 じぃっと。不気味に。粘ついた視線で。

「王妃メアリー!!」

 龍の意識が叫びを上げる。驚愕と憎悪の混じった声。

「マルガレータの欠片ね。駄目じゃない。人間の身体で遊んじゃ」

 そいつはふわふわと宙に浮いている。

「メアリー! 貴様、そこまで意識が残っているなら、なぜこんなところにいる!」

 俺たちに見られたことを確認するとそいつは穴の底からゆっくりと上がってくる。

 巨大だ。大人の男二人分の巨体。そいつは闇のような邪悪なドレスを纏い、目だけを仮面で隠している。

 大理石のような真っ白な肌に、蠱惑的に歪む唇だけが血のように赤い。

 そして、驚くべきことに。魂が震えるほどの美しさも有している。

 そのアンバランスさが、ただただ怖い。

「あらあら、これは異なことを。貴方の身体もこの底に待っているんですよ。マルガレータ」

「なにを馬鹿な事を! 我が身体に意思あらばこのような地獄、吐息の一つで崩壊させておるわ!!」

「片目がない。片目がないと嘆いていましたわ。さぁ、マルガレータ。これも良い縁。挑戦者の身体から離れてこちらに戻って来なさいな」

「断る! デーモンに堕ちた愚かな女め。貴様の身体に宿るゼウレの血が泣いているぞ!!」

 肉斬り包丁を構える俺の身体。

「おい、どうした人間。身体の動きが鈍いぞ!!」

 龍の意識が動揺に震える。構えがなっていなかった。野良犬にすら負けかねない覇気のない構え。

 それは、俺と奴の意識が一致していないからだ。

「あらあら、人間の方は乗り気ではないみたいね」

「人間! 気合を入れろ! 奴はお前を見逃さないぞ!!」

 龍の叱咤。デーモンの嘲笑。今の俺には全てが重い。

 魂を消耗しすぎたせいもある。心に力が入らない。

 強力なデーモンを倒した直後ということもある。身体は極限に疲れている。

 だが、それよりも。

「ほほほ。そんなことはありませんわ。わたくし、これでも淑女でしてよ。順番は守りますわ」

 ただただ、このデーモンが恐ろしかった。

 怒りよりもなお強く身体と魂が訴えてくる。


 ――勝てるわけがない!!


 ――勝てるわけがない!!!!


 ――勝てるわけがない!!!!!!


 それは生物としての格の問題だった。

 人間を圧倒的に上回るデーモンの武威。ただあるだけで周囲の生物を絶命させる超越種。

 これが、本物のデーモンである。

 今まで出会ってきたデーモンですら、大陸人を絶滅させるのに十分な力を持っていたというのに。

 こんなものが地上に溢れたら、一体何が起こるのか。

 身体の怯えが止まらない。

 ガタガタと身体から力が失われていく。同時に龍の意識が身体から離れていく。

(人間! 脅威を前に腑抜けたか! しっかりしろ!)

「む…無理だ……今の・・俺では……」

「さて、それとは別に少し灸を据えておきましょうか。またぞろ龍の力で暴れられても困りますわ」

 俺の頭上で周囲の惨状を見たデーモンが厭らしく嗤う。

「歌え。歌え。破壊神よ歌え。微睡まどろみより浮き上がる泡沫が如き力を歌え」

 呪文と共にその背に浮かび上がるのは具現化した破壊神の力。

 俺は、それを見上げながら動くことすらできない。

 身体に力が入らない。

 魂に力が入らない。

 こんな状態であんな恐ろしいものを喰らえばただでは済まないだろう。

 生きてさえいられるか。

「死なぬよう、努めなさい」

 頭上から死の具現が降ってくる。

 俺はそれを見ているだけしかできなかった。


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