地下一階 瘴気の下水道 憎肉の調理場

009


「降下方法なのだが、いくつか秘密にしなければならないこともあるので先に行ってて貰えないだろうか。もちろんこの穴を傷つけたりはしないし、瘴気が外に漏れるような方法でないことは保証する」

 穴の縁。どうやって降りるのかと疑問に思った俺は、準備を終えたリリーにそう言われた。

 どうやって降りるのか知りたくないわけでもなかったが、恩人の言うことだ。こっそり見るなどという裏切りはできん。

 仕方なしに懐から取り出したスクロールを破く。

「お、こんな感じなのか」

 転移はほぼ一瞬だ。少しの浮遊感と共に最近見慣れたいつもの場所に戻ってくる。

 見渡せば、いつもの遺跡前広場である。変化は特にない。猫も広間にある大岩の上で欠伸をしていた。俺に気づくとにゃーんという顔で「おかえりにゃ」と言ってくる。

「おかえりってお前。まぁいいけどよ」

「にゃんにゃんにゃごにゃご」

 何を猫のふりをしているのだろうかこいつは。

 俺は聖域の中に腰を下ろす。金粒が結構余ったので、地上の店でいくらかの装備は調えてきたが、本格的な道具を揃えるには時間も金も足りない。

 水筒、ランタン、油、ロープ、弓と矢(矢はそんなにないが)、ブーツ、デーモンの毒に対する解毒薬を数種類……エトセトラエトセトラ。

 服も新調した。エルフ製のミスリルの服、なんてものは手に入らなかったが、剣戟にも耐えられる程度に分厚い皮の服だ。それなりにあった金粒も、これらの準備で全部使ってしまったが、まぁいい。

 ぐっぐ、と柔軟体操を行い、型の訓練をする。皮の服は未だ硬いままだが、動けばこなれて動きやすくなるだろう。

「にゃにゃ、何か買うかにゃ?」

 で、足元には糞猫さん。リリーは未だ来ていない。ゆっくり降りているのだろうか?

 そうだ。聞きたいことがあったんだこいつには。

「それより、お前。地上に戻ったら三ヶ月経ってたんだがどういうことだよ」

「にゃ? ああ、こんな瘴気まみれのダンジョン潜ってたらよくあることにゃ」

 言われた猫は、それの何が悪いのかという顔である。にゃごにゃご、些細な事にゃよ、じゃねぇよ。

 そういえばこいつ自身が神の眷属だったな。確かに時間感覚がルーズでもしょうがない。

 首を掴んで顔の前に持ってくるとにゃごにゃご言いながら説明してくる糞猫さん。

「にゃ、地獄めぐりやってればしょうがにゃいことにゃよ。地獄と現世では時間の感覚が変わるにゃ。瘴気によって時の進行すら狂ってしまうにゃよ。深い層ほどそれは顕著ににゃって、おみゃーは時の流れから取り残されるにゃ。それを防ぐには潜らにゃいことが一番にゃよ」

 この広間までならば時間は正常だが、一歩でも遺跡に入ってしまえば時の感覚がおかしくなるらしい。

 どうするにゃか? 地上に帰るにゃか、と問われる。


 ……地上の連中はきっとここの探索をしないだろう。


 辺境の人間が強いのは、辺境を愛し、家族を愛するゆえにこそだ。

 俺は聖衣を持っていない。聖衣を持てていない。それは俺を愛する人がいないのと同時に、俺が愛する人間がいないことを指している。

 もちろん故郷は愛している。辺境人であることに誇りも持っている。

 武者修行の末に結局ダベンポートに戻ってきてしまったのも、辺境しか俺を受け入れてくれる土地がなかったからだ。

 神秘の消えた大陸は息苦しかった。

 辺境と違い、あの土地は寂しいのだ。ただ広く、人間だけの住む世界。

 竜や巨人のいない土地。精霊の消えた大陸。亜人たちの絶えた場所。

 行商人の息子であるが故に、土地とのつながりを持てなかった俺。それでも爺は俺を拾ってくれた。俺を育ててくれた。

 きっとこの遺跡は俺にしか攻略できない。

 俺が生まれ、辺境で育まれたのはここを探索するためだったのかもしれない。

(……理由を探す、なんてのは少し感傷が過ぎるか)

 それでも、戦う理由が1つでも増えるなら、辺境人はいくらでも強くなれる。

「やるよ。デーモンがいるなら、滅ぼすのが俺だ」

「キースは面白いにゃ」

「そうかい。お前ほどじゃないと思うがね」

 にゃししと笑う猫に俺も笑みを返す。



「ここがダンジョンか」

 しばらく待つとリリーがやってくる。どうやったのかはわからないが、本人が言うようにきちんと降りられたらしくその身体には傷ひとつない。

 聖騎士の鎧、魔法の剣、神秘の絶えた大陸だが、王国最高の騎士の1人であるリリーの装備は辺境の一般的な戦士程度には神秘を帯びている。

「にゃにゃ。新しいお客さんにゃね」

「おお、ダンジョン猫殿!」

 猫の前に立ったリリーが猫の前に傅く。にゃにゃ、と満足気に猫が鳴く。

「みゃーは商業神バスケットの眷属ミー=ア=キャットにゃ。敬うにゃ」

 聖印を片手にリリーが猫の前で祈りを捧げた。あいつ、商業神の信徒なのか? 王国の聖騎士といえばゼウレの信徒かとも思ったが、俺のように複数の神を奉じているのかもしれない。

(……それとも神秘の失せた王国からすればあらゆる神々は信仰対象なのかもしれないな)

 辺境人にとって神とは身近すぎて無分別に奉じるものでもない。有益で祈りに値するなら祈るが、商業神のような割と身近すぎてかつあまり徳が高いように見えない神などは敬うには敬うが、恐れ奉るという感じではない。

 なぜなら商業神は、金を稼げないものがいくら祈っても加護を与えないのだ。そして金を稼げる者相手ならば祈りを捧げなくとも加護を与えてくる。そういう神であるので辺境人は商業神にはあまり積極的に祈りを捧げないし、商業神も気にしないのである。

 そういう神に祈ってしまう辺り、リリーは神秘の区別がついていないのかもしれなかった。

「それで、ミー=ア=キャット殿。その……」

 気まずそうに俺をリリーがちらちら見た。その視線に含まれる意味に気づかない俺ではない。

 降下の際もそうだったが、どうにも俺がいると問題があるようだ。肩を竦めて望む返答をしておく。

「そうだな。俺は席を外そう。地下に行ってくる。ああ、そうだ。猫、リリーに聖印を3つ渡しておいてくれ。使い方も説明してな」

「にゃにゃ、わかったにゃ。いってらっしゃいにゃ」

 すまない、というような顔をするリリーに気にしてないと小さく手を振っておく。

 こんなところに自分から来たがるぐらいだ。人に言えない秘密があるのだろう。気にならないと言えば嘘になる。だが、それが恩人である以上は、俺もことさらに暴こうとは思わないのだった。

 無論、話してくれるなら力になれるが、本人が望んでいない以上はなにか干渉をするつもりもない。



 恩人の邪魔になると思い、遺跡に入った俺は剣を振るい、中庭までのもどきを排除した。小部屋や大部屋には入らない。目的は地下だ。

 それと、盾の様子も確認しておいた。これは歯車の部屋で手に入れたもので、猫に鑑定して貰った結果、『頑丈』『硬化』の聖言が刻まれていることがわかっている。

 白く塗られた木の盾だが、かなりの達人に付与を施されたようで、もどきの攻撃を正面から受け止めてもビクともしない。ゲルデーモンを倒してからも何度か使ったが目的地は地下だ。新しい階層に赴く以上、改めて確認しても文句はないだろう。

「で、ここか」

 中庭にたどり着く。犬のデーモンが襲ってきたが、来るのがわかっているのだ。素手ではなく、盾と剣を使い、無傷で処理をする。もちろん素手で倒した方が速いのだが、あれは全身にオーラを纏う必要があるため消耗がそれなりに激しいのだ。節約できるなら節約したい。

 ついでに前回作っておいた休憩所も確認しておく。聖印で作られた聖域に変化はない。せっかくなので少しだけ一息つかせてもらう。

 祈りの言葉の刻まれた室内。血文字が少し目に悪いが、瘴気はない清浄な場所である。一息つくには十分なスペースだ。

「よし、行くか」

 水を飲み、装備の点検をし、気合を入れなおすと俺は中庭に足を向ける。

 そこにあるのは上へとせり上がった噴水。そこに据え付けられた人1人が入れる程度の鉄の扉だ。

 扉の周辺を確かめる。ぐるぐると回すタイプのハンドルがつけられたドアだ。水の中にあっても大丈夫なように気密というものが保たれているようだ。

 罠らしきものがないのを確認した俺は、がっしりとハンドルを握る。みちっとして動かないが、ぐぐぐぐと全身にオーラを込めて回すと一瞬の抵抗の後に、前の歯車部屋のバルブのようにぐぐぐと動き出す。

 開く扉。ばちゅん、と腐った水と瘴気の入り混じった不快な空気が溢れでた。

 水の音を聞いて、ああ、と俺はため息を吐いた。

「覚悟はしたが……やだなぁおい」

 開放された扉の中は階段部屋のようで全体的に狭い。中にデーモンの姿はない。錆びた鉄の階段が見えた。手すりもあって滑り落ちる危険がないが、中の湿り、腐った空気に吐きそうになる。

「壁も湿ってるな。この先は下水施設か?」

 ここにもヒカリゴケがあり、視界はなんとか確保できる。

 だが酷い臭いだ。

 針も買ってあるので気穴を封じて嗅覚を殺してもいいが、それだと体内の気の流れがおかしくなり、戦闘に支障が出る可能性があった。

 買っておいた嗅覚殺しの果実を取り出す。

「苦いんだよなこれ」

 これは辺境でとれるそれなりに一般的な果実だ。指先につまめる程度の大きさで、服用するなら青い時期のものが良いとされる。

 こいつは腐り果て、強い臭いを発するようになった死体型のデーモンと戦う時に役に立つのだ。

 勇気を振り絞り、そいつを口の中に入れると奥歯に挟んで噛み砕いた。

「~~~~~~~~~ッ!!」

 吐き出したくなる気分を抑え、ぐっと舌で味わってから嚥下する。強烈な臭いに鼻と舌がおかしくなる。一時的な味覚と嗅覚の麻痺である。

 水で口の中を洗い流したい気分を抑えながらさぁと俺は扉に手をかけるのだった。

「行くぞ」

 入り口時点で涙目な俺だった。



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