第183話予期していた日
その日はいつも通りの朝から始まった。
寝癖を付けながらベッドから起き上がり、洗面所で顔を洗った後、買い置きしてあったパンを口に放り込みながら、チビチビと牛乳をコップに注がず直に飲む。
朝食が終われば、支度だ。
再び台所へ行き、歯を磨き、それが終われば服に着替える。
1人暮らしである北條の朝はそんなものだ。今日もまた、北條は同じように過ごし、時間までベッドに寝転がっていた。
異変に気付いたのはそこからだ。
外から聞こえる音。
人や車の往来を知らせる音や生活音がいつもより小さく感じられたのだ。
ちょっとした違和感。
視界の端にチラリと虫が入ったり、部屋の隅にゴミが溜まっていたことに気付いたりと後回しにしても問題のないような違和感だ。
だが、その違和感を感じ取ったことが北條の命を救った。
違和感を感じ取り、体を起こした瞬間だった。
パリン、と硝子の割れる音と共に先程まで自分の頭があった個所に小さな穴が開く。僅かな硝煙の匂いを北條の鼻が感じ取る。
何が起きたのかを理解が遅れるものの、これまでの経験が北條の体を動かした。
「オッラァアアアア‼」
ベッドから飛び降り、窓から距離を取った瞬間にダイナミックに窓から獅子のような目つきをした男——
「あんた、何もんだよ?」
「あん? 俺の顔を知らねぇのか……って、知らねぇか。お前本部に来たことねぇもんな」
「本部? それってまさか——」
「お前の想像通りだぜ。俺はレジスタンス本部所属の異能持ちだ。名前は——ってそこまで言う必要ねぇか」
「異能持ち、ね。何でそんなビックな人が俺ん家の窓からダイナミック入室してくるんだよ。玄関は反対側だぞ?」
北條が親指で玄関を指す。
別に部屋に人が来ることを拒まない北條だが、流石に窓から入ってくることについては文句を口にする。
そんな北條を見て獅子郷は獰猛な笑みを浮かべた。
「随分と余裕じゃねぇか。不意打ちだと思ってたのによ。まさか予期してたのか?」
「…………」
北條が押し黙る。
レジスタンスが北條の命を狙ってくる理由など1つしかない。
いつ来るかは分かってはいなかったが、狙われる理由が分かっている以上取り乱すことはない。
「俺、何もしてないけど」
苦し紛れに北條は弁明を企みる。
「おいおい、それは何かの冗談か? お前が吸血鬼だってことはもう分かってんだよ。それとも、何時バレたのかを知りたいのか? それなら前にお前が強盗犯と一緒にいた吸血鬼とやり合った時だよ。まぁ、その前からお前には疑いがあったみたいだけどな。あの時石上がお前等の戦いを見てたんだ」
常人よりも一回り太い首をゴキリと鳴らし、獅子郷は戦闘態勢に入る。
「それじゃ、殺すか。吸血鬼は皆殺しだ」
「くそったれがッ‼」
慈悲はなく、ただ殺意と憎悪を持って、獅子郷は北條に襲い掛かる。
殺し合いが確定していることに表情を歪め、北條は部屋の真ん中にある小さな四角いテーブルを蹴り上げる。
獅子郷の視界が塞がれた瞬間を狙って北條はクローゼットの中へと駆け込む。
「おいおいそんなとこに隠れて何しようってんだ? 逃げるのならせめて玄関に向かえよ。まぁ出て行っても狙撃されるだけなんだけどな」
寄りにもよって逃げ込んだのは狭いクローゼットの中。
子供がかくれんぼの場所として利用するならまだしも命のやり取りで逃げ込む場所ではない。
北條の行動に思わず獅子郷は呆れてしまう。
だが、獅子郷がクローゼットを開け放った時、いるはずの北條の姿がなかったことでその表情は歪む。
「クソがッ‼ ここは逃走用の脱出口かよ‼」
クローゼットの底に開けられた人1人がギリギリ通れる程度の穴。そこから1階に逃げたのだと悟った獅子郷は急いで外に出て下の部屋へと扉をこじ開けてはいる。
下の部屋は空き部屋で誰もおらず、上のクローゼットから繋がる天井の穴も簡単に塞がれているだけだった。
獅子郷が部屋の中を探る。そして、ひっくり返った絨毯とその下に隠されていたであろう穴を見つけ、ミシリと拳を軋ませた。
「野郎ッ随分と逃げ慣れてるじゃねぇかッ。人間に化けてる間に身に着けたみたいだなぁッ」
獅子郷が無線機を手に取り、命令を出す。
「テメェ等、標的が下水から逃走した。ここから地上に出る下水の出口調べて見張れ‼ 俺はここから標的を捜索する」
無線機に向かって怒鳴り散らすと獅子郷は返事も待たずに穴を拳で大きくすると戸惑うことなく飛び込む。
「逃げられると思うなよ。テメェはもう明日の鐘すら聞くことはできねぇ。なんせ、俺に狙われたんだからなぁッ‼」
獅子郷が下水の中を突き進む。獅子郷の部下達も命令に従って下水から地上に出られる出口目掛けて走り出した。
獅子郷達が遠ざかり、静けさが戻ると
「危なかった……本当にバレるかと思った」
壁に背を預け、ギリギリの状況を乗り越えたことに安堵する。
クローゼットに開けられた穴。あれは確かに北條が逃走用として用意した穴だ。北條が住んでいる部屋の真下にある部屋の穴もわざわざ別名義で部屋を借りて北條が用意したものだ。
理由は言わずとも命を狙われた時の保険である。
しかし、今回は相手が異能持ち。レジスタンスの一般隊員とは格が違う相手だ。
そんな相手の意表を突いたとしてもすぐに追いつかれてしまう。だからこそ、北條は今回は逃走用の穴を囮に使った。
分かりやすく開けられた人1人が逃げられる穴。クローゼットを開けると直ぐに気付いてしまうその穴のせいで獅子郷は上段で息を顰めていた北條の存在に気付かなかったのだ。
綺麗に嵌ってくれたものの、ギリギリだったのは事実。
冷や汗を流して北條は生きていることを喜ぶ。
「……バレたのか」
ずっと隠していた吸血鬼の秘密。
それが遂にバレた。
いつバレるのかと不安だったためか、バレて仲間に命を狙われる立場になったと言うのに北條はむしろ落ち着いていた。
逃走していないとバレるのは時間の問題。その間に隠れ場所にいかなければと北條は荷物を纏める。
もし、何らかの方法で秘密がばれ、レジスタンスが自分の命を狙ってくることがあれば、北條は戦わないと決めていた。
自分とレジスタンスの戦いには何の利益もないと考えたからだ。
喜ぶのはレジスタンスと敵対している者達だけ。
例え命を狙われたとしても北條にとってレジスタンスは敵ではないのだ。それに第21支部で過ごした日々は楽しかった。
戦う道を選べば、どこかで赤羽や朝霧、加賀、結城と戦うことになるかもしれない。そんなこと北條は御免だった。
もうレジスタンスにはいられない。これからは秘かに逃げ延びながらの生活になるだろう。
それでも出来ることはやっていこう。
そう思いながら北條は住み慣れたアパートから離れて行った。
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