第108話恐怖

 

「Foooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooooo‼」

「ひ、飛縁魔様ッ。落ち着いてください」


 使い魔から送られてくる映像にスタンディングして興奮を隠しきれない飛縁魔。その隣には磯姫——ではなく、配下の女吸血鬼の姿があり、興奮した飛縁魔を何とか落ち着かせようとしていた。

配下の吸血鬼に嗜まれても飛縁魔は興奮を抑えきれず、はしゃぎまわる。

 彼女にとっては待ちに待って来た展開だ。

 穴だらけの即席作戦でこの状況を作って3日間。

 当初の予定では、バイト探しに勤しむ北條の元に少年を誘導させてから、人払いをしてジドレーを送り込む予定だった。

 そのために北條の目の着く所にチラシを配置して誘導先を限定させたり、邪魔をしていたりもした。

 最後の1つ。ようやくその場に向かうと言った所で北條が個人的な依頼を受けて地獄壺跡地に向かっていったことは予想外だったが、それでもやることは変わらなかった。

 使い魔を放ち、レジスタンスや北條の動きを監視、ジドレーの邸宅で飛縁魔が気を引いている間に磯姫が少年を脱出させて地獄壺跡地の方向へと逃がす。

 そして、使い魔に少年を案内させて北條の所まで誘導すればミッションコンプリートだ。

 映画が始まる前の子供のように手にはポップコーンとコーラを持ってはしゃぎまわる飛縁魔。尤も食べることなど出来はしないが、こんなものは気分である。

 飛び散るポップコーンを気にもせずに視線は使い魔から送られてくる映像に釘付けだ。


「Ler’t Fight‼」

「飛縁魔様。キャラが変わっております⁉」


 始まりのゴングを鳴らす。

 遠方からの開始の合図など聞こえるはずもないが、偶然か。それとも飛縁魔が狙ったのか。ゴングを鳴らすと同時に戦いの火蓋は切って落とされた。





「——返せ」

『逃げろ宿主マスター‼』


 ルスヴンが叫んだのは、ジドレーが地を蹴ったのと同じ瞬間だった。

 伸びて長くなった爪。ボサボサの髪。荒れた肌。不健康そのものを体現したジドレーはその見かけによらずに動きは俊敏だった。

 北條は背負っていた2人をかなぐり捨てる。凡そ乱暴にも見えるその行為は、北條の余裕の無さを現していた。

 左肩から斜め下に何かが通った。

 北條にはそれしか分からなかった。下を見れば体から血が噴き出ているのが見えた。戦闘衣バトルスーツを切り裂き、その下の肉すらも容易に切り裂かれた。

 一体何をされたのか。その答えは目の前にある。

 ジドレーがやったのはごく単純。右腕を振りかぶり、斜め下に振り抜いただけだ。


「————」


 更に1歩、ジドレーが接近する。

 ヘルメットとジドレーの顔がぶつかりそうになる。瞳孔も開きっぱなしで不健康間違いなしの顔色をしている吸血鬼。

 そこでようやく北條は相手がジドレーだということに気付く。

 3度も大規模侵攻を防がれているだけあって、その容姿はレジスタンスに行き渡っていた。

 腰から上を吹き飛ばす蹴りが放たれるが、それも北條は回避する。2メートルの距離が空いた所で互いに睨み合った。


「(た、助かった。ありがとうルスヴン)」

『礼ならば後にしろ宿主。この汚ダルマは今の余には厳しいぞ』


 心臓をバクバク言わせながら、礼を口にする北條。

 実の所、ジドレーの攻撃に北條は全くついていけていなかった。

 1度目も反応できず、本来ならば左肩から斜めに真っ二つになる所をルスヴンが体を一時的に乗っ取って半歩後ろに動かし、2度目も同じように回避させなければ北條はもう生きてはいなかった。


「(分かってるよ。お前が警告を飛ばす前にここに着いたんだ。どれだけの実力者かは理解できる)」


 北條はルスヴンを信頼している。その感知能力にも疑いを持ってはいない。

 相手は感知をすり抜けて来たのではなく、ルスヴンの感知範囲に入ってから警告を飛ばすまでのタイムラグをついてここまでやって来たのだ。

 力を隠すなどと言ってはいられない。全てを出さなければ生き残ることも出来はしないと理解する。


 その北條の目の前にいるジドレーもまた、北條に対して違和感を抱いていた。

 殺したと思っていた。それなのに相手は生きている。ヘルメット越しでもジドレーの目には相手の表情が分かっていた。

 だからこそ、相手が反応できていないことも分かっていた。それなのに相手は回避に移った。体が勝手に動いたとでもいうのか。

 ギリッと歯を軋ませる。

 自分の物を奪った人間が、まだ生きている。それが許せない。

 殺す。今度こそ殺す。言葉を口にする間もなく殺すと殺気を高めていく。


「うっ」


 殺気が空間を軋ませる。

 その影響を一番に受けたのはミズキだ。少年も恐怖に震えているが、ジドレーの傍に仕えてきたこともあってその空気には一種の耐性のようなものがついており、まだミズキよりも真面に頭は働いていた。

 だが、ミズキには耐性はない。

 ミズキからすればそこは猛毒に犯された空間そのもの。その場にいるだけで死を予感させられる。


 すぐそこには地下通路への入口。

 一刻も早くここから逃げなければならない。地下通路に逃げ込まなければならない。あそこならば対処が出来る。自分の庭に入ればどうとでも出来る。

 入り組んだ地下通路への絶対的な安心感。それがミズキを行動に移させた。

 恐怖のあまり抱きしめていた少年を抱えてそのまま地下通路の入口へと一気に駆け抜けた。

 その行為が、ジドレーの琴線に触れるとも知らずに。


「何をしている——」


 腹の底からの声が響き渡る。ジドレーの視線が北條からミズキへと移り変わった。

 北條が異能を解放し、強化された肉体で拳を振るう。

 全力の一撃。それに対し、ジドレーは避ける素振りすらもなく、視線をミズキにやったままだった。

 ジドレーの横顔に拳が減り込む。それでも尚ジドレーは、自分の所有物を盗もうとする者以外はどうでもいいとばかりに地面に足を叩き付けた。


「それは、俺の、物だぞ」


 ジドレーを中心地としてその場に爆撃が落ちたかのような衝撃が走り、地面が爆ぜた。

 それはまるで噴火だった。地面の下から衝撃が走り、北條達を空へと打ち上げた。宙に投げ出される中で北條は視界の隅にミズキと少年が映っていた。


「おっらああああああああああああああああああああああああああああああああ‼」


 迷っている暇などなかった。

 拳を繰り出した北條を無視してジドレーは少年を連れたミズキを狙ったのだ。ならば、狙うのは今も1つ。

 一緒に打ち上げられた石やパイプ、鉄骨などを叩き落とし、最短距離でミズキの元まで向かう。

 そして、あと一蹴りで辿り着く所で北條が見たのは予想通りミズキに狙いを定めるジドレーの姿。

 姿を捉えた瞬間に北條は大氷壁を出現させる。大きさ50メートルにも及ぶ氷壁はジドレーを阻む処か弾き飛ばし、北條達を守る。


「え——」

「急ぐぞ‼」


 絶望の状況にいたミズキは助けに入って来た北條を見て安堵ではなく、思考を停止してしまう。

 人間相手ならば兎も角、吸血鬼相手に戦えるとは思っていなかったのか、目を丸くしていた。

 だが、北條にそれに反応する暇などない。

 直ぐに2人を抱えて地面に降り立ち、急いで距離を取る。

 拳を繰り出した瞬間に味わったのは、巨石を殴っているかのような感覚だった。相手は何もしておらず、見てもいなかった。

 完璧に決まったはずなのに、ダメージすら与えられていなかった。今の自分では勝てないと言うことが分かってしまった。


 大氷壁を出した際、氷壁を挟んだ向こう側でジドレーはこちらを見ていたのを感じた。

 その視線は槍の如く北條を突き刺し、絡めとった。

 何もされていないのに、北條は戦う前から恐怖が芽生えた。無意識に北條の足は速くなる。何時だって戦っていた。仲間のために。自分自身のために。しかし、何も考えずにただ逃げたのは、今回が初めてだった。

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