第39話ぎゃぐしーん

 薄暗い部屋の中で長椅子の背凭れに深く凭れ掛かり、この世の終わりを目にしたかのように絶望を瞳に灯した男2人。言うまでもなく北條と加賀である。

 さっきまでババ抜きでどちらが生活費を払うかなどの賭けをやっていたのだが、協力を求めた相手が悪かった。

 結城のおかげで勝てた加賀もいつの間にかかさ増しされていた報酬に度肝を抜かれ、協力するふりをして裏切る癖にキッチリ報酬は分捕られる。

 仲間内でも容赦のない取り立てに2人が意気消沈するには十分だった。


「今月、どうしよう」

「知るか」

「何時まで項垂れてんのよ」


 これからどうやって生きて行こうか。最悪水で飢えを凌ぐしかないと覚悟している2人に声を掛けるのは全ての元凶勝利の女神

 項垂れる北條達に早く立ち直れと言わんばかりの態度に流石に2人もカチンと来てしまう。

 しかし、ここで飛び掛かる訳にはいかない。だって相手は女性なのだ。そう、2人は紳士なのだ。手を出すことなどしはしない。暴力では何も解決しないからだ。決して、決して2人で飛び掛かっても半殺しにされるだけとかそういう理由ではない。


「……はぁ、安心しなさいよ。それに…………その、今月は少しぐらいなら奢ってあげるわよ」

「え、マジ?」

「————」


 有り得ないものを見るかのように2人が結城を見る。

 流石の結城も飢えるまで縛り取るつもりはない。なんならやりすぎたかなとほんの少し思っていた所だ。

 それを面に出すのは恥ずかしく結城の顔はほんの少しだけ赤くなっていたが。


「これが——生ツンデレ!?」

「何か分からないけどそれ不快ね」


 またもや漫画の知識を披露する加賀に結城が軽蔑した視線を送る。

 この男、それで奢る話がなくなったらどうするつもりなのだろうか。巻き込まれることだけは御免だとばかりに北條はそっと距離を置いた。


「何だよ。別に良いじゃないか。ポイント高いぜお前!!」

「何のポイントよ。それで何かいいことが起こるの?」

「男心が擽られる」

「意味が分からないわ」


 グッと親指を突き出してテンションを上げる加賀に対し、逆に結城はドンドンと温度が下がっていく。それでも尚加賀は止まらない。自分の得意分野のことになると話が止まらない人状態である。


「分かってない。分かってないなぁ。さっきのお前は好感度が高かったぞ? 顔を赤らめながらも俺達を気遣うその姿勢、マジでグッと来た」

「おい、やめろ」

「よく漫画でもあったんだ。『べ、べつにアンタのためなんかじゃないんだからねっ』て言いながら好意を抱く男の子になんやかんや理由を付けて手作り弁当を渡しに来る女の子」

「それが私だとでも言いたいのか?」

「エグザクトリィ!! 寸分違わずさっきの態度はツンデレのデレ!! リアルでツンしてるだけあってデレもレベルが高かったぜ!!」

「誰がリアルでツンしてるだ。それにエグザクトリじゃなくてイだ。exactly。これが正しい発音だ。言葉を学べ馬鹿野郎」


 2人の温度差がかなり違う。話が進んでいくにつれてどんどん瞳が冷徹になっていく結城。これ以上話が進むと力の行使でもしそうだ。しかし、残念ながら、ブレーキの壊れた加賀は構わずアクセル全開で炎の中に飛び込んでいく。


「お前がいくら否定をしてもツンデレをマスターしていることには違いない。よっ、ツンデレマスター!! もういっそのこと文系女子の格好は止めてこの制服着ない? これ昔日本のJKって奴らが学校に行く時に使ってたらしいんだけど……」

「…………」

「そう!! この制服を着て後はツインテールにしてくれれば……違うな。これを着て、ツインテールで『お兄ちゃんっ』って目端に涙を溜めて言ってくれればっ!!」


 そろそろ止まれ。心の中で北條が呟く。最早、色々とやべー奴にしか見えなくなってきている。親しき中にも礼儀あり。自分の趣味を他人に押し付けることは悪である。度が過ぎれば、丸めた紙屑の如く肉塊が作られかねない。

 何が加賀を駆り立てているのか。目を血走らせ、鼻息を荒くする変態爆走車加賀信也。自分の夢のためならば、そこが地雷だと分かっていても踏み抜いていく漢である。


「そして——あわよくばその光景をカメラに納めさせていただきたい!! 全ては漢の夢のため!! 人類が紡いできたオタク魂を絶やさないために!!」

「——————分かった」

「何!? 本当か!!」

「あぁ、良いぞ。ってやる」

「(あ、本気だコレ)」


 さっきのやってやるは間違いなく殺ってやるの方だな。と加賀の後姿に合掌する。

 口の端を引き攣らせるほど怒りを迸らせる結城だが、残念なことに加賀は気付いていない。何というか、夢とはこれほど人を我を失わせ、蒙昧させるらしい。恐ろしいものだ。


「では————早速!!」

「おう、受け取れ。お兄ちゃんクソ野郎

「オボッッッッォオウェ!?」


 そこから先は北條は目を瞑っていたため何があったかは目撃していない。部屋の角に蹲り、膝を抱えていただけだ。

 グチャ、バキッとか明かに人体から鳴ってはいけない音が鳴っていたけど目を向けはしない。目を向けた瞬間に悲鳴を上げて情けなく逃げるしかない。少しでも目に付くような行動は避けるべきなのだ。地獄を作り出したのは加賀であってそれに巻き込まれる何てまっぴら御免である。

 血の宴はそれからしばらく続くことになった。


「失礼しまーって何やってるんですか!?」


 ——かと思いきやそれは第三者の登場によって終わりを告げる。


「あ、真原さん。こんにちは。珍しいですね。今は赤羽さんも朝霧さんもいませんよ?」

「うん、こんにちは。大丈夫なの結城ちゃん!? 血が滅茶苦茶——あ、返り血か。返り血が……眼鏡が返り血でベッタリしてるよ!? それに、加賀君も!!」

「お、俺が何かついでみたいに感じる……」


 地下へと続く入口から姿を現したのはジーンズにセーターを着て、その上に白衣を羽織った男。真原治まばらはるだ。異能の中でも珍しい回復系の異能を持った人物であり、レジスタンスのメンバーでありながらも戦闘には参加せず、本部や支部間を行ったり来たりしながら怪我人、病人を見る医者だ。

 慌てた様子で結城に駆け寄り、持っていた手拭いで血を綺麗に拭き取る。何だが加賀の扱いが雑になっているかもしれないが、いつものことなので仕方がない。


「ハハハッ。御免よ? 何か、怖いから触れない方が良いかなって」

「触れなくてもいいですよ、というか治さなくていいです。見殺しにしてください」

「おーい!! それって立派な殺人ですよー。赤羽さーん!! 来てくださーい。ここに同胞殺しがいまーす!!」

「元気じゃねぇか。もう一発行っとくか」

「アハハ、冗談——ものすごくイタイ!!」


 訂正、第三者が介入しても血の宴は続いた。

 ガツンッと鈍い音が響く。

 真原が来たことによって目を開けていた北條はその光景を直視してしまう。フライパンを持って加賀に跨り、振り下ろす。フライパンの底には血がベットリと付いていた。一体どれだけ振り下ろしたのだろうか。というよりも何故それだけの出血で加賀は死なないのだろうか。人間の体の神秘を垣間見た気がした。


「あ~…………」

「気にしない方が良いと思いますよ。加賀の自業自得の部分もありますし。それよりもここにはどういった用で?」

「えっと、今日は治療薬が消耗してるって話を聞いてここに来たんだけど」

「あぁ、なるほど」

「ちょ——俺死んじゃうんだけど!? ヘールプ!!」


 助けを求める声は無情にも無視され、真原はここに来た本来の目的を口にする。

 北條が納得のいった表情を浮かべる。

 工場や辻斬りの一件。2つの事件で最も治療薬を消費したのは北條自身だ。そのため治療薬の減り具合を実感していたのである。

 横にある惨劇を無視して2人は会話を続ける。


「それなら赤羽さん達が戻ってくるまで待ちますか? 大したものは出せませんけどお茶ぐらいなら出せますよ?」

「いや、今日は補充だけだし大丈夫。また今度頂くよ」


 そう言って真原は当初の目的を果たそうと医療室へと消えていく。

 北條も真原の背中に続いた。真原が治療薬の種類や数を誤魔化しているとは思わないが、管理は必要だ。決して血の惨劇が続く部屋から逃げ出したいとかではない。


「ねぇ待って!? 置いてかないで!! 僕を見捨てないでぇ!!」


 後ろからの助けを無視し、北條は医療室へと入っていった。

 北條達が再び姿を現したのはその10分後である。その時には既に加賀の体は冷たく——


「なってねぇよ!!!?」

「どうしたの急に……」

「ついに頭が逝ったか」


 というのは冗談で加賀はしっかりと生きていた。かなり血を流し、顔は青ざめているものの大声を出せるのだから問題はないだろう。

 北條と結城は特に心配することもなく支部で自由に過ごし始める。

 冷たい同期2人の態度に流石の加賀も涙目になった。僅かな温もりを求めて残りの力を振り絞り真原の元へと行く。


「うぅっ。真原さん。どうか、どうか俺に治療を——」

「うわぁ。これは酷いですね。というか何でこれで生きてるんですか」

「ギャグシーンだからです」

「ぎゃ、ぎゃぐぎーん?」


 唐突に真面目な顔をし、意味不明なことを口走った加賀に困惑の表情を向ける。しかし、追及する間もなくかなり苦しそうな表情を目にし、真原は治療薬よりも異能の方が良いと判断する。

 掌を頭部に当て、異能を発動。

 青い光が掌から出現し、加賀の傷を癒していく。時間にして数秒。それだけで彷徨う死体リビングデッドのような青い顔をしていた加賀は傷一つない、健康そのものの顔つきになった。


「素晴らしい異能ですね。それに比べてこいつは……すみません。うちの馬鹿が迷惑を」

「いつ見ても凄いっすね。ホントすみません。うちの変態が迷惑を」

「おい、お前等それだけなの? 言うことはそれだけなの? むしろ、こんなけがを負わせたのはいや何でもないです自分のせいです」


 加賀の傷をいとも簡単に治したことに感嘆の声を上げる2人。その後に続いた罵倒に加賀が文句を口にするが結城に睨み付けられて直ぐに平謝りを繰り返す。

 その光景に真原は苦笑いを浮かべることしかできなかった。

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