一. 失速②
「都、部室まで一緒に行こう!」
放課後。上履きから靴に履き替えていた私に、クラスメイトの吉沢栞奈が声をかけてきた。
栞奈とは去年から同じクラス。ポツンとしていた私に思わず笑ってしまうくらい元気な声で話しかけてくれたのがきっかけで仲良くなった。そのテンションの高さにちょっと引いてしまった自分もいたけど、いつの間にか栞奈のペースに乗せられて、二年生に進級した今も仲のいい友達だ。
手足がスラリと長くて、クリっとした大きな目が印象的で、そんな栞奈に頷いてみせると、嬉しそうに行こう行こうと腕を組んできた。
「うわー、いい天気! 春は気持ちいいねー!」
引っ張られるように昇降口を出ると、栞奈は空に向かって大きく伸びをした。そんな 彼女の隣で、私は澄み渡る空を見上げるでもなく真っ直ぐ足を進めた。
栞奈の言う通り、春の陽気は気持ちよくて、普通だったら自然と心も弾むだろう。だけど今の私は到底そんな気分になれなかった。グラウンドで野球部がノックの練習をしている姿も、サッカー部がコートを走っている姿も、どれも目を背けたい光景。
つい二週間前までは、私もあの広いグラウンドで思いきり走っていた。優遇された施設に環境のお陰もあり、去年は関東大会にも出られた。今年はもっと上を目指せると顧問や仲間にも期待されていたけれど、あの事故が起こってからは、私はぱたりと走ることをやめていた。
「ねぇ都、聞いてる?」
「え? あ、ごめん。なに?」
ぼんやりとするあまり、栞奈の声が頭に入ってこず慌てて聞き返す。
「春休み、なにしてた? って言ったの。ていうか都、一昨日からぼーっとしてること多いよね。どうしちゃったの?」
栞奈が心配げに覗き込む。
「……そんなことないよ」
「それならいいんだけど。なにか悩み事があるんだったら言ってよね! せっかくまた同じクラスになれたんだし、うちら、親友じゃん!」
屈託のない笑顔に曖昧に頷く。こんな風に心配してくれる友達がいるのはありがたい。
だけど栞奈にも話せないことはある。
「私は春休み中、朝から晩まで部活漬けだったよ~。どこにも行けなくて、全然遊べなかった。都もそうでしょ?」
「……うん」
春休み、か……。記憶が曖昧というか、正直なにをして過ごしていたか覚えていない。
気がついたら終わっていて、重たい体を引きずるようにして始業式に出たのは昨日のことだ。
「そういえば朝、有川と揉めたんだって? なにかあったの?」
「部活のことで……ちょっとね。栞奈はバドどうなの? 県大いけそう?」
部活の話題にこれ以上触れられたくなくて、誤魔化すように問う。そんな私に栞奈は、「それが今すごく大変で。ちょっと聞いてくれる!? 」と、私の肩に項垂れながらぼやき始めた。
「コーチが代わって練習厳しくなったし、先輩たちは前のコーチのやり方でやりたいって反発するし、一年生は練習がきついってどんどん辞めていっちゃうし。みんなピリピリしちゃって部の雰囲気最悪なの」
まくし立てるように話す栞奈はバドミントン部で、次期エースとして期待されている。
うちのクラスはいわゆる運動部に所属する人ばかりが集められた体育会系クラスで、中にはスポーツ推薦で入学した特待生もいる。オリンピック選手を輩出した実績もあるのだ。
もし私が本当は部活を休んでいることがばれたら、このクラス……いや学校にいることすら難しくなるかもしれない。だからいまだに休部のことは誰にも言えずにいる。
「あ、噂をすれば有川」
栞奈が指さした先には、体育館の前で友達四人とじゃれ合う有川の姿があった。クラスのムードメーカー的存在の彼は、今朝私に見せた顔とは打って変わって楽しげに笑っている。
これまでの私だったらここで声をかけて、一緒に部室まで行く流れだ。だけど余計な詮索はされたくないし、できればここは気づかれずに帰りたい。
私は栞奈に、ちょっとごめんと一言断り、忘れ物をしたフリをして校舎へ戻ろうと踵を返した。
「栗原」
だけど時すでに遅く、有川の目に留まってしまった。しかも予想外なことに、駆け寄ってきたのと同時に腕まで掴まれてしまった。逃げるに逃げられず観念して足を止める。
「あのさ、栗原……」
「ごめん。栞奈、先行ってて」
今朝の続きだと咄嗟に判断し、有川を遮るように栞奈に声をかけた。こんなところで休部の件を暴露されては困る。
「うん、わかった。喧嘩もほどほどにね」
言いながら、栞奈はニヤニヤしながら駆けていく。有川の友達も茶化すように
「ごゆっくりー」なんて言いながら散り散りバラバラ消えていった。
同じ陸上部の私たちが、よく喧嘩したり、一緒に走ったりしているということは、一年の時からの周知の事実だった。そのたびにからかわれ、夫婦喧嘩だと揶揄する人もいて、初めのうちは必死に否定していたけど、いつの間にか面倒になりそれすらもしなくなってしまった。
有川とはよき部活仲間で、よきライバル……「だった」と言ったほうが今はいいかもしれない。
「部活、マジで休部すんの?」
「うん、もう決めたから。それより手、離して」
「離したら逃げるだろ」
傾きかけた太陽が見下ろす中、有川の低い声が降ってくる。彼の姿が逆光になり、眩しすぎて直視できないけど、その顔が少しも笑っていないことはわかる。さっきまであんなにバカ笑いしていたくせに。
「栗原、これだけは約束しろよ」
約束……。その言葉に胸が痛むのを感じながら、私は下唇をギュッと噛んだ。
「休部するのはわかった。でも、辞めるなよ。そんだけ。呼び止めて悪かった」
じゃあな、と言って有川は私の手を離すと走って行ってしまった。
部活に出なくなって半月ちょっとなのに、あの背中が遠く感じる。
有川とは種目が同じなこともあり、お互いアドバイスをしながら切磋琢磨してきた。タイムが伸びず落ち込んだ時は、励まし合ったこともあった。
だからいきなりなんの相談もなく休部届なんて出したら、怒るのも無理はないと思う。
逆だったら私も同じ行動を取っていただろう。
だけど私は決めたんだ。
陸上も、守れない約束をすることも、もうやめるんだと。
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