『僕の5月1日』その3
「うっ。ううー」
重い瞼を持ち上げ、ゆっくりと目を開いた。
目の前には白い天井と白く光る蛍光灯が見えた。
(僕は一体何をしていたんだっけ。えっと確か白い生物を見て、そして追いかけられて……、あ!)
ガバっと起き上がった。
すると近くにいた女性がビクッと目を丸くした。
僕も驚いて、変なポーズをとってしまった。
僕の寝ていたベットの横に、全く知らない女性が座っていた。セミロングで少し大人びていているように感じられる女性だった。
お互い目を合わせてから、しばらくの間言葉を発することができなかった。
数分程経過して、やっと女性から口を開いた。
「あのー。おケガはないですか」
ケガ。そう言われて、僕は少し体を動かしてみるが、怪我というほどの傷もなく、痛い所も無かった。
「いや特に無いです。大丈夫です」
「それは良かった」
女性はホッとした表情になる。
今度は僕から話しかける。
「すみません。どちら様でしょうか」
「ゴメンネ。自己紹介がまだで」
女性は軽く胸元で右手を出して謝った後、居住まいを正してくれた。
「私は、大道芸部・通称オタマジャクシズ・部長、現在大学二年の
女性は行儀よく静かに名を名乗った。
僕はその言葉に率直な質問をする。
「部長さん……。なぜそんな人が僕のところに」
部長・白峰さんは顔を暗くした。
「私の部員達があなたを追い掛け回し、あなたを池に落としてしまうという不始末をしてしまったことに、部長直々に謝罪に参りました」
部長さんは深々と頭を下げた。
(ああ。そういうことか)
それでここに連れてこられて、部長さんが看病をしてくれたのか。
「部長さん」
深々と下げていた頭を部長さんはゆっくりと上げた。
その顔は、精神誠意に謝罪をしている顔だと察した。
僕はこの人に怒ろうとは到底思うことはできなかった。
「部長さんが、謝ることはないです。部長さんは何か僕にやっているわけではないのですから」
部長さんは依然として暗い表情だ。
「大丈夫です。このように元気ですから」
腕を曲げて何故か力コブを見せて、元気をアピールする。
ほんの少し顔を明るくする表情を見て、僕もホッとする。
気持ちは落ち着き、部屋の空気はニュートラルになる。
ふと、いや当然なのか、疑問を問いても大丈夫だろうが、けどこの状況で聞くのも薄情ではないかと思ってしまう。コミュ力が低い僕にはいらない悩みをしてしまう。けど気になった。
「でも、あの三人は一体何者なんですか。全力で人を追い掛け回して、何がやりたかったんですか」
結局訊いた。
理由が知りたい。いきなり追いかけてくるし、死を予期するくらい怖かった。
部長は一瞬口ごもり、何度かためらう仕草をしたが、やがて話し始めた。
「なんて言えばいいかな。ざっくり言えば新入部員勧誘かな」
「部員勧誘?」
あの凶暴な追っかけが、部員勧誘だと……。
部長さんは話を続ける。
「あの三人は、私から言わせば、本当に変わり者で、新入部員をどうやったら入れるかなと考えた挙句、あの白い着ぐるみみたいのがあって、あれを着て興味を持った人に全力で勧誘しに行くという何とも言えないことを考えたらしい。興味を持っているから勧誘してもいいのだと、それにインパクトがあるから、だから、あそこまで追いかけたかも」
あの声かけが、着ぐるみに興味があったのと勘違いされたのか。いやまあインパクトはあったけど……。
でも、それで追いかけてくるってどんな発想だ。
「本当にごめんなさい」
部長はまた深々と頭を下げた。
「いやいや。部長さんはそこまで頭を下げなくても大丈夫ですから、それに部長さんも相当大変な身と言うことは理解しましたので、本当にそんな頭を上げてください。」
純粋に部長さんが可哀想に思えてならない。
部長さんはゆっくり面を上げてくれたが、表情は依然暗かった。
本当に不憫に思えてきた。
(どうしよう、ちょっと部長さんを元気にさせないと。)
あれこれ思考して、それなりの答えを導き出す。
「大丈夫です。確かにものすごい形相で追いかけられましたし、怖かったですけどちょっと楽しかったのもありますし、そこまで部長さんも落ち込む必要ないですよ」
フォローになったかな。
部長さんの顔を伺うと、それなりに少し表情は明るくなっていた。
「本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ!」
僕は自信を持った表情で言った。
すると部長さんはホッとした顔をした。
同時に僕も少し心が落ち着いた。
「本当にすみません。逆に私に気を使わせてしまったね」
部長さんはフッと笑みをこぼした。
「部長さん。すみませんここはどこですか。そして今何時ですか」
「ここは学内の保健センターです。そして今、夜の6時かな」
「夜の6時?」
あれから5時間も寝ていたのか、その間、ずっと看病してくれたのか。
「もしかして、5時間もずっと看病してくれたのですか」
「まあそんな感じです。でもこれも部長の責任ですから」
苦労の色を見せない笑顔。
しっかりした部長さんだと思った。ここまでする人をあまり見たことがない。
感心していると今度は部長さんから話しかけてきた。
「そうそう。あなたの名前は」
「はい。僕の名前は、数谷(かずたに)カゲルです。大学一年です」
「一年生なの。一人暮らしなの?」
「はい」
「一人暮らしって寂しくない?」
「そうですね。最初は親元離れて喜んでいましたけど、時間が経つにつれて、感じてきましたね」
親の束縛から逃れるという開放感なんて、一週間くらいでなくなり、二週間くらいホームシックになった。最近やっと一人の感覚に慣れたばかりだ。
「私は無理ね」
「一人暮らしじゃないんですか?」
「友達と住んでいる。ルームシェアしているの。楽しいよ」
ルームシェア? 初耳だった。
「どういう感じなんですか?」
「金銭面的に言うと、家賃や光熱費半分だから、学生の身には凄くいいよ。あと二人だから、たまに食べに行ったり、買い物したり、色々話できたり、宿題も見せてもらったりとか、まあ飽きないし、寂しくないから、とても楽しいし充実しているね」
凄く明るく話してくれた。
本当に楽しんでいる。
逆に自分が明るくないことを比べてしまい、少し悲しくなる。
「カゲル君は、自炊とか身の回りは自分でしているんだよね」
「そうですね。苦労していますけど」
「ちょっと尊敬する。私全くと言っていいほどできないから、料理はカレーしか、まともなものできないし、半分以上相方に頼っていると言ったけど、実際はほとんどやってもらっているからね」
意外だった。さっきまで完璧な人と勝手に想像していた。
それに尊敬するって言われた。ちょっとだけ嬉しかった。
「そんな感心するほどじゃないですって、今日だって味噌汁の味噌多く入れすぎてしまったんですから」
頭に手を当てながら話す。
「そんなの失敗にならないよ。私はもっとひどかったんだから」
「えー。そうなんですか?」
「実はね……」
いつの間にか、緊張もしなく会話をしていた。
大学に来てからこんなに人と話したのは初めてかもしれない。
久しぶりのせいか、会話がとても楽しかった。
まさかこんな縁で話ができるとは、人生って何が起きるかわからないなと思った。
帰り道、鼻歌交じりで自転車を漕いでいる。
今回は色々あったけど、最終的に話せる人ができて良かった。
一ヶ月経って、ようやく一人目の知り合いができた。
ホンの少しだが高揚感に浸った。
上機嫌なまま、僕はアパートの階段を上った。
二階の奥から二番目の部屋、203の鍵を開けようとした。
その時、隣の部屋から大きな物音がして、ドアが開いた。
「ハア。今日はひどい目にあったぜ、カスミン、あんなに怒らなくてもいいのに」
「あ」
僕は凝視した。
凝視されたアフロの男性も気がついたのか僕に目を剥いた。
「ああ。お前、今日の!」
「あの時の白生物!」
互いに互いを指差した。
すると今度はもう一つ隣の部屋の扉も開いた。
「てるやん。騒がしいな。なっ!?」
奥から出てきた人は、これもまた僕を追っかけた短髪の女の人だった。
今日はまだ終わる気配はない。
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