第18話 靴ひも
ハルトは、バスの中で一言も口を開くことはなく、ずっと窓の外を見つめている。新人戦は、県南にある中学校8チームによるトーナメント戦で行われる。県大会の予選に向け、新しいチームの力試しになる大会といっていいものだ。会場は、高野中学の近くにある町営グラウンドが使われる。初戦と2試合目は1日で、決勝戦は次の週に行われ、3試合勝利すれば、優勝旗を手にできる。
「頑張って」
多くの生徒も、応援に駆けつけていた。ハルトは、バスを降りると、その声援に答えることもなく、一人だけ先にグラウンドへと向かっていった。ユウマも口数が少なく、珍しく緊張しているようにも見えた。
「ハルトは、今日出ないんだろ?」
先輩に呼び止められ、ケイシは足を止めた。
「はい。今日はユウマが」
「まぁ、たまには外から試合を見るのも悪くないよ」
先輩はそう言うと、「頑張れよ」と、ケイシの肩を叩いた。
開会式では、体育連盟の役員挨拶が長々と続いた。空は晴れて雲も少ない。鳥が何羽も通りすぎていく。
「えぇ、それでは、皆さん。ケガのないよう全力を尽くしてください」
拍手が聞こえた後、周りと少し後れをとってケイシも頭を下げた。
最後に、高野中学が優勝旗を返還した。去年の優勝校に会場からは、大きな拍手が贈られる。高野中学のキャプテンは、必ず今年も持ち帰るという、気迫に満ちた表情で、その拍手に答えるように深々と頭を下げていった。
1試合目の相手は、深見中学だ。深見中学は特にバスケット部が強く、県大会出場の常連校だ。昨年からは、県大会の優勝経験のあるコーチを呼び寄せるなど、サッカー部にも力を入れはじめている。
坂田は、ベンチに荷物を降ろすと、相手コーチに近づいた。帽子を取って、坂田が頭を下げると、何やら笑顔で話し込んでいた。相手コーチと握手を交わすと、無表情のままベンチに戻ってきた。
「先輩らしいぞ。やっぱり坂田も昔はすごかったんだな」
どこからそんな情報を集めてくるのだろうかと、ケイシが感心していると、ダイチはすぐにユウマに呼ばれた。
「行ってくる」
ケイシに向かって、ダイチが拳を突き出してきた。ケイシは、慌てて手の平を軽く握りしめ、それに答えるように突き出す。
「ヘマするなよ」
「うるせぇ、俺を誰だと思ってるんだ」
ダイチは力強く、ケイシに拳をぶつけるとピッチ上に走っていった。レギュラーになれた喜びを全身で表現しているかのように、輝いて見えた。いつの間に、ダイチとこんなに差がついたのだろう。ダイチの姿を見つめながら、拳をぶつけた時、作り笑いが上手く出来ていただろうかと、そんなことばかりを考えていた。
試合のホイッスルが鳴る。第1試合が始まった。ユウマが、何度も声を張り上げている。緊張している自分に喝をいれているのか、その声はいつもより大きかった。
ベンチでは、ハルトがただ真っすぐにグラウンドを見つめている。
「勝ってくれ」
ハルトはそう言っているような表情だ。必ず自分が出て優勝して見せる、それまでは絶対に負けるな、と訴えているようだった。
チームは少し動きが固かった。公式戦に慣れているメンバーは、ピッチ上には誰もいない。ユウマの声も、試合が動き出すとあまり通っていなかった。
前半、何度か良いボールが前線に通ったが、惜しいところでタイミングが合わず、ゴールネットを揺らすことが出来ないでいた。
会場から溜息が出る。ユウマはしゃがみ込むと、靴ひもを縛り直し、心を落ち着かせているように立ち上がった。ユウマにとっては、ハルトから勝ち取った舞台だ。何がなんでも全力を出し切りたいはずだ。ハルトは、そんなユウマの姿を目に焼きつけるようにしっかりと見つめていた。
その直後だった。チャンスが訪れる。サイドからダイチがパスを出す。すると、ユウマが一気に抜け出した。
「いいぞ!」
ユウマが蹴ったボールは、惜しくもバー横を転がっていく。ダイチが、悔しそうに手を叩く。ユウマはダイチに向かって、親指をたててプレーを讃えた。緊張がほぐれたのか、ユウマは自分の身体の動きを確認するかのように、2回その場でジャンプをすると、もう一度しゃがみこんで靴ひもを結び直した。立ち上がったユウマの表情は、どこか吹っ切れたように和らいで見えた。
すると、不思議なことにチーム全体も徐々にリズムを取り戻していった。次々と攻めていく。坂田が、満足そうに頷いていた。
前半40分、相手のパスをカットしたダイチのファインプレーから、ユウマへとロングパスが出る。
「頼む!」
ユウマはこれを受け取り、前へと進んでいく。相手ディフェンダーは、必死にユウマを追いかけてきた。
「いけ!」
ゴールキーパーと1対1になると、最後は、キーパーの動きをみて、ユウマが冷静にゴールを決めた。
「ゴール!」
観客から歓声があがる。ユウマの公式戦初ゴールだった。ユウマは、初ゴールを噛みしめるかのように空を見上げていた。
「よくやった!」
坂田は、拍手をして立ち上がる。ハルトも拳を胸にあて、ベンチからユウマにサインを送った。ユウマは、ハルトを見るとゆっくりと頷いて拳を胸にあてた。そこには、ユウマとハルトにしかわからない関係があるように思えた。
前半は、この1点を守り切った。ベンチに戻ったチームメイトは皆、どこか誇らしげな顔をしていた。ユウマはペットボトルの水を思いきり飲み干すと、何度も右足を確認していた。
「大丈夫か?」
ケイシの問いかけに、ユウマは、「大丈夫だ」とだけ言った。
「後半もいくぞ!」
チームメイトが、ピッチに散らばっていく。
ユウマは、今まで温存していた力を出し切るかのように、必死になってボールに食らいついていく。チャンスは来る。試合を見つめるハルトの瞳は、そう確信しているようだった。
後半20分、ミスが起きる。パスのタイミングが合わなかったボールが、相手に奪われたのだ。ダイチが追いかけるが、間に合わない。
ゴールキーパーのセーブも届かず、1点を返されてしまった。会場から溜息が聞こえる。チームの足も、次第に止まり始めていた。
「おい!諦めるな!」
声を出したのは、ダイチだった。後方から聞こえた声に、ユウマは手をあげて、合図を送った。ダイチも果敢に、相手ボールに向かっていく。もう絶対1点も入れさせない。ダイチの気迫の入ったスライディングは、ケイシの心を揺さぶった。
後半32分、ユウマは相手のディフェンダーをかわして前進する。
「いけ!」
補欠メンバーも熱くなり、全員が立ち上がる。ユウマは、2人に囲まれた瞬間、フェイントを仕掛けて重心を前にし、突破しようとしていた。相手のディフェンダーも、フェイントにつられながら、身体をゴールの間に強引に入れてきた。ユウマは相手に潰されながらも、勢い良くボールを蹴りこんでいった。
ユウマは相手のディフェンダーとその場に倒れ込んでいく。ボールはゴールキーパーの伸ばした足の先を転がっていき、やっとの思いでゴールの中に吸い込まれていった。
決して綺麗なゴールなんかではない、なんとも泥臭いシュートだった。
「ゴール!」
観客から拍手が沸いた。同時に、試合終了のホイッスルが鳴った。公式戦初勝利の瞬間だった。ベンチのメンバーは、一斉にピッチへ飛び出していく。
ダイチがケイシを見つけると、そのまま飛びついてきた。ケイシもダイチの頭を叩き、自然と抱きしめていた。
喜び合うチームメイトの中に、ハルトはいない。ただ、じっとグラウンドを見つめていた。
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