楓の記憶あそび

向日葵椎

 近くで何かが鳴っている。意識がゆっくり追いついて、目を覚ますとカメラのレンズと目が合った。聞こえていた高速の機械音、連写音が目の前のカメラから出ていたことを頭が理解する。


「おはよう? おはようなの椿つばき?」


 かえでがカメラから顔を覗かせて言う。再びカメラに隠れて連写を始める。


「そうだよ。おはよう」


 日曜日、朝から楓が遊びにきていた。約束はしていないが、それはいつも通り。思えば、待ち合わせくらいしか椿とは約束をしたことがなかったかもしれない。

 窓から入る柔らかな日差しのように自然と私の部屋にいる。楓とは中等部から今の高等部まで同じクラスで、なんだかよくわからないけど一緒にいることが多い。


「起きてるの? ほんとに?」

「ほんとだよ」


 楓がまた顔を覗かせる。不思議そうな顔をしている。

 なぜまだ起きていない可能性を疑うのだろう。

 おかしくて笑う。楓の白くて柔らかなほっぺたをつねる。


「じゃあ楓は起きてるの?」

「あっ……痛くない。起きていないのかもしれない」カメラを首にさげて、上を見て考える。

「起きてるよ」ちょっとだけ強めにつねる。

「あいたた、起きていました。起きていましたので。おはようございます」

「はい。おはようございます」


 ほっぺたから手を放し、つねったところを撫でる。

 楓は疑い深い。自分が起きていることも疑う。だから、そんな楓と一緒にいると楽しい。楓はなんでも考えるから、一緒にいれば、なんでも一緒に考えられる。


「これはこれは、気持ちいいのかもしれない?」

「じゃあいっぱいしよっか」両手で楓のほっぺたを撫でる。

「わぁ……永遠を所望します」私の手に手を重ねる。

「私は朝ごはんを所望する。楓は朝ごはん食べてきた?」

「お腹は嘘は申しませんが、あまり信用できないようです」ほっぺたを揉まれながら、楓は首を傾げた。

「じゃあ一緒に食べてみよう」

「この試みで後悔は生まれません」


 体を起こして楓を間近で見てみる。楓は目を閉じて永遠を感じているらしい。口が少し開いている。桃色の唇。もし触ってみたら、楓はなんて考えるんだろう。もし、手が塞がっているから唇で触ったと言ったら、納得するだろうか。

 手を離す。楓の目がパッと開く。

「いくよ」、ドアの方へ向かう。楓を見ると、自分でほっぺたを触って不思議そうな顔をしていた。どんなことを考えているんだろう。

 欠伸をしながら歩く。

 ドアを開けて振り返る。

 ――楓。楓に両手で頬を挟まれる。


「椿の手には違いがあるのでしょうか」おでこがくっつくくらい顔が近い。

「私の方がペンとコントローラーを持った時間が長いと思う。それからキーボードを叩いた回数も多い」ぜんぶ楓が好きじゃないことだ。

「気持ちいい手にいつかなりますように」楓は目を閉じて祈った。

「それまでいっぱい触ってあげるね」楓のほっぺたを撫でる。

「椿の手ではありませんが、ささやかながら」楓も私の頬を撫でてくれる。


 私は楓の手の方が気持ちいい。

 ……ぐう、私の腹の虫が鳴く。楓が下を見る。


「ホトトギス?」

「また鳴く前にご飯食べようか」


 リビングに行く。母さんは買い物に行っているみたいでいなかった。テーブルの上にはラップされたいくつかの皿が二人分。それから書き置きがある。

 母さんは楓を気に入っているので、朝でも夜でも、庭にやってくる猫みたいに当たり前のように迎え入れる――というか呼んでいる。

 書き置きを手に取って読む。


「えーっと、『椿。楓チャンは休みの日でもちゃんと起きてるよ。友達少ないんだからちゃんと大切にしなさいよ。朝ごはんテーブルにあるから楓チャンとちゃんと食べなさいよ』、だって。とにかくちゃんとしなくちゃいけないらしい」

「友達はちゃんとしていますか?」

「ちゃんとできてる?」

「友達は、触ってもらうのと、揉んでもらうのが気持ちいいとして?」

「その前提は危険だな」

「危ない関係でしたね」


 楓は腕を組んで頷いている。なぜか誇らしげに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る