デモに行進

エリー.ファー

デモに行進

 同じような考えを持ち、同じような生き方をし、同じような未来を思い描いている。

 そのせいか、行進をする。

 これはデモなのだそうだ。

 私は参加していることになってはいるがそのところはよく分からない。別に自分の意思でここに来たわけではないし、この流れに乗ってしまったのもただの空気を察したからなのだ。

 だから、この行進に、デモに、何か意味があるのかと問われると答えることができない。

 ただ、私の前の人間は随分と熱心なようである。その前の人間もそのようだ。

 特に先頭を歩いている者は声高く何かを主張している。

 その意味はよく分からない。

 たぶん、それらしい何かなのだろうが。

 私はどうしても興味がわかない。

 あくまでこの行進の一部分になっているというだけであり、この行進の意思そのもの神経の類になれるわけではないことは明白だからだ。

 どこかで引き裂かれ、切り取られたとして、この行進は続くだろう。

 デモと呼ばれるにまで肥大化した訳だが、決してそれらが権力を持つという事ではない。あくまでこれは行進であってデモなのであって、それ以上の影響力を持つものではないのである。

 集っているが、心までは集えない。

 それはデモでも、行進でも完成することはない。

 社会から見て、デモとはなんなのだろう。

 害悪なのか。

 いや、意思の表示という点ではこれ以上ないほどのものではないだろうか。

 知らねばならないようなことではない、しかし、やはり知って欲しいと思ってこのようなデモという形を借りている。

 これは、抗議ではなく、一つの藝術的活動なのだろう。

 おそらくは、政治という意味合いからもかけ離れている。

 しかし。

 だからこそ良いのだろう。

 誰もそこに何も乗せないし、語ろうともしない。美学もないほうがいい。哲学もない。

 行動だけがそこにあるから、いつの間にか人が集まって、何かになる。

 そうしていくうちに本来の目的が変わっていくがそれがまた心地いい。最初に参加していた人間が気づかぬうちに大半はただの参加者に成り下がる。

 いつまで続くのか、こんなものが。

 そんなことを思う。

 しかし、終わらぬうちはここから出てはいけないだろうと誰かが感じる。抜け出せなくなるが時期に終わる。

 でも、終われない人間も現れる。

 夢にできない。

 その時間を無駄にできない。

 賭けてしまったのだ。

 人生を賭けてしまったのだ。

 ここから先には進めない。

 このデモを進めてはならない。

 ここで足を止めて、この行進の速度を制御しなければこの中で生きる人々は死んでしまう。か弱いのだ。強い主張をしなければ強く生きられぬほどに弱く、というか、もう死んでいる。社会的には死んでいるのだ。

 これは、誰のための行進だ。

 死者のための行進なのだろう。

 足はない、まもなく、首から上も消える。

 直ぐに誰もが静かになって、無音で続くだろう。

 人影もまばらになり、俯く人が増えてきても、看板を下げることはできず、引きずる足で行進をする。

 もう間もなく日が暮れる。

 しかし。

 日が暮れても行進が続く。

 皆、勇気を失った。

 行進をしない自分の人生を想像できない。

 まだか。

 まだか。

 誰かやめようと言ってくれ。

 頼む。

 誰か言ってくれ。

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