オヤジ狩りとおじさんと河川敷と僕。

へろ。

オヤジ狩りとおじさんと河川敷と僕。

 それは、僕が高校生の時でした。

 放課後、いつもの様に帰り支度をしている僕は、クラスメイトのおがちんに、「今日、ヒマか?」と声を掛けられました。


 なんのお誘いか分からない僕は、「ヒマだけど、なんで?」と聞けば、おがちんは言いました。


「この後さ、オヤジ狩り行くんだけど、来ない?」


 僕は、おがちんの言っている意味がよく分からなくて小首を傾げていました。

 というか、そのおがちんの誘い口調が、なんと言えば良いのでしょうか・・・・・・今で言うところの『ちょっと一狩り行こうぜ!』的な、ゲームでモンスター狩る時に似た誘い口調だったからなのかもしれないし、そもそもオヤジを狩る必要性がどこにあるのか根本的に僕にはさっぱり分からなかったからなのかもしれません。

 だから僕はそうおがちんに言われた時、訝しげな表情をしていたと思います。


 そんな僕の表情に気付いたおがちんが詳しく説明してくれました。


 おがちんの話では、どうやら河川敷に最近ワンカップを持って一人呆然と川を眺めるオヤジがいて、その飲んだくれのオヤジをからかうと面白い反応をしてくれるのだそうです。


 ここは茨城の田舎で、当時、娯楽施設なんてものはほとんどなかったからか、その河川敷のオヤジは今、学生の間でホットスポットになりかけている様でした。

 世も末です。都会に生まれてみたかったです。


 僕はなんとなくだけどオヤジ可哀想だなと思っていて、正直行きたくなかったけど、ここで断ったら今度は僕が標的になってしまう様な気がして、そんな自分の保身ばかりを危惧する僕は、大人しくおがちんと、おがちんの連れに混じって歩き河川敷へと向かっていました。



 河川敷には、もうすでに他校の高校生が数人で、オヤジを軽く小突いていました。


 キャッキャ言いながら、「やめろぅ、やめろぅよぉぉぉ」と、歯が数本無いためか滑舌がちょっとアレな逃げ惑うオヤジを追いかけ、「昼間っから飲んでじゃねー!」などと至極真っ当な言葉を投げ小突く高校生達。

 

 その様子を、「なんだよ、先越されちったよ」「あーあ、ついてねぇ」と悔しそうに呟くおがちん達の傍らで見ていた僕は、なんだこれ?と、純粋に思っていました。


 僕とおがちん達は土手に座り、止めるでも無くボーッと小突かれるオヤジを眺めていました。


 オヤジは、伸びきってヨレヨレの黄ばんだ白地の肌着に、元は何色だったのか分からない蹴られ土で汚れきった半ズボンを履き、教職員用のトイレとかにある、ちょっとどこに売ってるのかすら分からない微妙な黒茶色のサンダルを引っ掛けていました。

 体型は小太りで、鼻下にちょび髭が生えていて、パッと見で胡散臭さが窺い知れる風貌でした。


 これは暫く眺めているうちに気付いた事なのですが、片手に持つワンカップ酒は、どんなに高校生に蹴られ殴られても一滴も零すこと無く逃げ惑っているのです。

 それどころか、時たま蹴られながらも一口二口と飲んでいるのです。

 お酒に対する執念が半端ないのです。

 というかもう逆に、青年に蹴られある種の喜びを感じるプレイなのでは?と、錯覚さえ僕はおぼえかけていました。


 全然面白いとは思えなかったけれど、僕はなんとなくオヤジから目が離せなくなっていました。


 おがちんと友人達の間では、ただ見てるのもヒマだし、ゲーセンに行くかという話の流れになっていたけど、僕はその誘いを断って、一人ボーッとオヤジを眺めていました。

 

 一人ボーッと、ただただ逃げ惑い蹴られるオヤジを眺めること数分、他校の高校生達はオヤジを相手にするのをやめ、どこかへとムダに大きな声で笑いながら去って行きました。

 たぶん、飽きたのでしょう。


 小太りのオヤジはゼェゼェと息を荒げながら、地面にあぐらをかき、「あんだよぉッもうッ」と、その不毛な現実に一人怒声を上げ、クピクピとワンカップ酒を煽っていました。


 そんなオヤジを眺めているのも忍びなくなった僕は、もう家に帰ろうと立ち上がったその時でした。

 僕の存在に気付いたオヤジが、なぜだか目を丸くし僕に声を掛けてきたのです。


「お、おめぇ泰之じゃねーか!? なぁ!? 泰之だよな!?」


 僕は、泰之でした。

 僕がまだ幼い時に両親が離婚し、『香坂』から母方の姓『畠中』に名字は変わったけれど、『畠中泰之』それが今の僕の本名なのです。

 突然、高校生にフルボッコにされていた赤の他人だと思っていたオヤジに名前を呼ばれた僕は、オヤジ同様に目を丸くし、聞き返します。


「そ、そうだけど。お、おじさん……僕を知ってるんですか?」


 そう僕が聞けば、オヤジは笑顔でワンカップ酒を一口啜り、そして言葉を返してきました。

 それは、先程ここで繰り広げられていた現実より、受け入れがたいものでした。


「知ってるもなにも、おめぇの名前付けたの俺だからよ!」


「はッ?」


「はッ?じゃなくてぇ。だからぁ俺が!おめぇの名前付けたんだって!」


 そう嬉しそうに言うオヤジがウソを吐いている様には見えませんでした。

 動揺により、僕の心臓を打つ鼓動は早くなっていました。

 正直、ちょっと吐きそうでした。


――ウソだろ……。

 選りに選ってこのおっさんが、僕の……。


 僕は一度生唾を飲み込み、意を決して聞きます。


「おじさんが……僕の父親……なんですか?」


「ちげーよッばかッ。きもちわりー」


 なぜ気持ち悪いのかとか全然分からなかったけど、おじさんが僕の父親だということを否定してくれたお陰で、僕は心の奥底で安堵していて、ホッとした為か少しだけ口調を荒げ、言ってしまいます。


「じゃあ、おじさん誰なんだよッ」と。


「だから、おめぇのおじさんだって! 俺はアキちゃん……おめぇの母親の弟だって!」


「はぁ? 母さん一人っ子じゃないの?」


「なわけねーだろッ」


「でも聞いた事ねーよ、母さんから弟の話なんて」


「泰之、本気で言ってんのか? あんなに赤ん坊の頃面倒みてやったってのによ」


「そんな小さい頃の事なんて覚えてないし」


 そう僕が言えば、なぜだかおじさんは汚ったねーシャツをまくり上げ見せてきました。

 汚ったねーシャツに負けないくらいの小汚い片乳首を。


「これ見ても、思い出せないか?」と、真剣な表情で片乳見せながら僕に問うてくるおじさん。


「……いや、マジで、なにしてんすか?」

 それ以外の言葉が見つかりませんでした。


 呆然とおじさんの片乳を見詰める僕に、おじさんはとんでもないことを言いやがります。


「なんでだよッ。おめぇよく吸ってただろうよッこの乳首ッ」


「なんてもん吸わせてくれてんだよッ。きもちわりぃマジできもちわりぃわぁッ」


「しょうがねーだろぉ。お前、俺の乳首吸わなきゃ泣き止まなかったんだからッ」


「あんたさっきからなに言ってんだよッ」


「だからッ俺の乳首をお前はおしゃぶり代わりにしてたの!」


「もうちょっと黙れよッ」


「なぁ、俺の顔はよぉ、忘れてもさ、きっとこの乳首の事は忘れてねーはずだから! な! 一回吸ってみろって!」


「吸うわけねーだろッなんなんだよ、もぅ。マジで気分悪くなってきたわ」


 そのあまりにも、仮に事実だとしたら気持ちが悪すぎる現実を受け入れられなくて土手に座り項垂れる僕に対し、おじさんは歩み寄り、僕の肩に手を置き優しい声音で言いました。


「なぁタバコ持ってねーか? あったら一本分けてくんねーかなぁ」


「もう触んなッお前ッ。」

 そう言って僕は手を払いのけました。


「なんだよ、そんな怒ることねーじゃんか」


「久々にあった高校生の甥にタバコたかんなよッ」


「……ほら、たまに親戚の集まりで、どうしようもねぇおじさんいんだろ? 泥酔して子供に酒勧たりするさぁ」


「それがどうしたんだよ?」


「俺はよぉ、そんなダメなおじさん達より、もうちょいダメっってだけじゃねーかよ」


「僕には、おじさんが今、そのどうしようもねぇおじさん達の集合体にしか見えねーんだよ」


 僕がそう言うと、おじさんは腹をゆすり笑いながら、「俺、中卒だからなに言ってるか分かんねー」と言っていました。

 帰ろうと思いました。

 全て見なかったことにして、ここであったことも無かった事にして、僕は家に帰りたかったのです。


「もういいよ、帰るから。」


「ちょっと待てって!」


「なんだよ?」


「本当にタバコ持ってねーんだな?」


「……持ってるよ。」


「あんだよぉッ持ってんならくれよぉ」


「やだよッ」


「おめぇ、あんだけ俺の乳首吸っておいて、タバコの一本も吸わせてくんねーのか!?」


「やめろッそれ言うのッ。誰にも言うなよッ絶対だかんなッ」


「じゃあタバコくれよぉ」


 僕は、もはやただのゆすりじゃねーか。と思いながらもおじさんにタバコを一本あげました。

 なぜだかおじさんはライターだけは持っていて、美味そうに煙を燻らせるおじさんと河川敷で別れ、僕は家路に着きました。


 家に帰り、母におじさんの事を話せば、間髪入れずに「どこにいたッ」とすごい形相で問われ、「河川敷」と僕が応えれば、母さんはつっかけ履いて猛ダッシュ。

 その日から、おじさんの居候生活が始まり、乳首の話でゆすられる度に、僕はおじさんにタバコをあげなければならなくなったのでした。

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オヤジ狩りとおじさんと河川敷と僕。 へろ。 @herookaherosuke

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