第10話『ポイントオブノーリターン。ネルと民衆』

 ぎりぎりだった。

 本当にぎりぎりだった。

 もう少しでルナに一生消えない傷を負わせるところだった。

 いや……もう既に十分トラウマになっているはずだ。

 大勢の男たちに寄ってたかられて、あんなになるまで殴られて、大勢から操を弄ばれそうになった。

 それがどれほどの恐怖と絶望、そして恥辱だったことか……!

 俺は妹にあんなことをした者たちに対し、怒りではち切れそうだった。


「な、なんでネルがここにいる……?」

「王城で足止めしているのではなかったのか?」

「シッ、聞こえるだろうが!」


 青年貴族たちのひそひそ話が聞こえてくる。

 ……やはりそういうことか。

 今回のこの件は最初から仕組まれていた。

 俺がエフィをかどかわしたという噂を思い切り流し、城下でその噂が蔓延したタイミングで審議という建前で俺を城へと呼び出し、その間にルナを弄ぶという。


 ――全ては、俺への嫌がらせだけのために。


 俺の中で怒りが際限なく膨れ上がっていく。

 ……だが、まさか民衆までがそれに加わっているとはな。

 恐らく扇動されたのだろうが、しかし先程ルナの服を破いていたのはその民衆たちだ。

 絶対に許さない……。

 俺が怒りに打ち震えていると、青年貴族のリーダー――ゲイルがいけしゃあしゃあと、上から目線で喋りかけてくる。


「ネル、これは断罪だよ。君の代わりに君の妹が裁きを受けると彼女自身が言ったんだ。君がいけないのだよ? 城下の娘たちをかどわかしたりするから。だから君がやったことと同じことを君の妹にやろうとしたまでのことだ。それに城での尋問はどうした? まさか途中で勝手に抜け出してきたのではないだろうな? しかも民衆たちを殴り飛ばしたりして、これらの責任は重いよ? 分かるかね?」


 ……よくもまあいけしゃあしゃあと言えたものだ。

 ……しかし待て。

 こいつ今なんて言った?

 娘たち……だと?

 まさかこいつら……。

 ………。

 本当にクズだ。


 ――どうしてこんなクズどもを今までのさばらせてしまったのか?


 ……もっと早く処分しておけばよかった。

 そうすれば、少なくともかどわかされたという娘たちは酷い目には合わなかっただろう。

 ……こいつらはモンスターなんかよりもよほどタチが悪い。

 こいつらに乗せられて、流れのせいにしてルナにあんなことをする民衆たちもこいつらと同じだ。


 ……今まで俺がやってきたことは一体何だったのか?


 何故、俺は今まで命を賭けてこんな奴らを守ってきたんだ?

 こんなことなら、もっと自分の好きなように生きればよかった。

 そう思うと、俺の胸にすとんと落ちるものがあった。

 ああ、なんだ。そういうことか。


 ――好きに生きればよかったのだ。


 そうすれば、少なくてもルナがこんな目に遭うことはなかった。

 もっとルナのことを考えてやればよかった。

 こんなクズどもとルナのどちらが大事かなんて、一目瞭然だ。

 俺の価値観がガラッと分かった瞬間、民衆たちが叫んでくる。


「おい、聞いているのか!?」

「そうだ、元はと言えば全部お前が悪いんじゃないか!」

「かどわかした娘の憂さをお前の妹に与えて何が悪い!」


 ……勝手なことばかり言いやがる。

 そう思っている俺の肩に、青年貴族のリーダー――ゲイルが手を乗せてくる。


「そういうことだ。あの妹は我々に任せて、お前はさっさと城へと戻るんだ」

「うるさい」


 俺はゲイルの腕を斬り飛ばした。


「はえ?」


 最初、何が起きているのか分からずきょとんとしているゲイルだったが、自分の左腕が無くなったことに気付くと、途端に顔を歪める。


「うわ、うわあああああああああああああっ!? 腕が!? 私の腕がああああああ!?」

「うるさいって言っただろ。少し黙ってろ」


 俺はそう言い捨てると、ゲイルの腹に拳をめり込ませ、意識を刈り取った。


「お前には訊きたいことがある。もう少しだけ生かしておいてやるよ」


 腰のポーチからロープを出すと、それをゲイルの腕に巻いて止血する。

 応急処置を終えると、俺はゲイルを適当に放り捨てた。

 そして視線を辺りに巡らす。

 いきなりの出来事にしんと静まり返っていたその場だが、俺と目が合った者たちは揃ってびくりと体を揺らした。


「さて、好き勝手やってくれたな? 最初に言っておくが、俺は城下の娘たちをかどわかしてなんかいない。それは全てここにいる青年貴族たちの仕業だ。お前ら民衆どもはそれに煽られただけかもしれない。が、もはや『煽られただけ』で済ませられる話ではない。俺の妹は何も悪いことなどやっていない。それをお前らが俺の妹を犯したいという醜い欲望だけで、あの子に襲い掛かった。あの子はまだ幼いんだぞ? それを卑怯な手で寄ってたかって……。かどわかした娘の憂さ、だったか? お前らの醜い欲望を自分の都合の良いように言い換えてんじゃねえよ」


 淡々と喋る俺の声は、静まり返った場の隅々まで響き渡っていた。

 それだけに俺の怒りが伝わったのだろう、辺りには怯えたような顔をする者が多くいたが、しかし、中にはまだこちらに挑発的な表情をしている者たちもいて、その中の一人がこのように叫び出す。


「しょ、証拠を出せ! お前が城下の娘たちをかどわかしていないという証拠を!」


 すると周りの者たちもその流れに乗り始めた。


「そうだ、証拠を出せ!」

「証拠がなければ信じられるもんか!」


 皆が証拠を出せ出せと騒ぎ立てる。

 俺は取りあえず、最初に叫び出した奴に無詠唱の雷魔法を食らわせてやる。

 ぴしゃんっ、と雷を撃ち付け、その男は黒焦げになって倒れた。

 一応まだ生かしてあるが、場は再びしんと静まり返っていた。

 俺は静かに口を開く。


「証拠を出すのはお前たちの方だろう? あれだけ遠慮なく俺の妹を犯そうとしたんだ。きっちりとした証拠があるんだろうな?」


 そのセリフには、証拠がなかったら許さないということを言外に伝えたつもりだ。

 しかし、誰もそれに答えられる者はいなかった。


「おいおい、どういうことだ? 証拠もなしに俺の妹にあれだけのことをしたのか? なあ、それって犯罪じゃないのか? しかもどれだけ重い罪だ? 年端もいかない幼気な少女に、大勢の男で襲い掛かる。なんの罪もない少女に。なあ、お前らのやったことが何なのか分かるか?」


 俺が再度淡々と言ってやると、ようやく自分のやろうとしたことが分かったのか、民衆たちは顔を青ざめさせていく。


「俺さ、これでもお前らのために命かけて戦ってきたつもりなんだわ。言っておくが、俺に関する悪評は全てそこにいるアレクの腰巾着である青年貴族どもが流した噂だ。そんな噂に流された考えなしのお前ら民衆に、俺はこんな仕打ちを受けたわけだ。なあ、俺のやりきれない想いが分かるか?」


 俺の乾いた声が辺りに響く。

 辺りに視線を這わすと、誰も彼もが俺から目を背ける。

 それは罪悪感からか、それとも……。

 次の答え次第では、俺は修羅に落ちる覚悟だった。

 心の中で渦巻く激しい怒りと虚脱感。

 こんな奴らはもうどうでもいいと思いと、早く発散させなければどうにかなりそうなほどの憎悪。

 ――全てを無に帰したい破壊衝動。

 早く……早く答えろ。


 ――しかしやがて、民衆の一人が前に出て土下座してくる。


「本当に申し訳ありませんでしたっ!」


 ……は?

 なんだ、それ?

 しかしそこには本心からの謝意がにじみ出ていた。

 ……今さら何だ。

 俺の中でぶつけようのない想いが渦巻き始める中、民衆たちは次々と俺に向かって土下座してくる。

 すいませんでした、申し訳ありませんでした、ごめんなさい、と、辺りは謝罪の言葉で溢れた。

 ……本当に、今さらどういうつもりだ?

 俺を欺くつもりかとも思ったが、彼らの目には一切嘘偽りがなかった。

 少なくても、ルナにやったことは間違いだったと認めている顔だ。

 ………。

 俺は彼らを見てため息を吐いた。

 自分でも本当に甘いと思う。

 あれだけのことをしたんだ。それ相応の報いを受けさせるのが当然だろう。

 それでも、


「……もう二度と、こんなことはしないと誓えるか?」


 俺の言葉に民衆たちは一斉に顔を上げる。

 口々に「誓います!」「もう二度とこんなことはいたしません」などと叫び始める。

 それを聞いて、俺はもう一度ため息を吐いた。


「……約束を違えれば、その時はそれ相応の報いを受けさせる。それを忘れずにいろ。分かったら、とっととここから消えてくれ」


 俺がそう言うと、初めは気まずそうに顔を見合わせていた民衆たちだったが、やがて俺に一礼ずつしてからその場を全員が去って行く。

 ――残ったのは青年貴族どもだけ。

 俺の怒りは何も消えてなどいない。

 さて、どうしてくれようか。



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