憐れな悪魔に救済を

植木 浄

第1話 悪魔は己の命を嗤う

 ここはどこかの荒れた山。生命の気配は一切感じられない、巨大な土と岩のオブジェのような山だ。日が出ているにもかかわらず、辺りの空気は暗く、重い。そんな乾いた山の、雲が近くに見えるほど高い場所。断崖絶壁を恐れる様子もなく歩く、二人の男女が居た。


「あんたねえ。よくもまあ、そんな恰好でこの山を登ろうと思ったね」


 右手に銀色の杖を持った、黒いローブを着た女が言う。杖の頭には拳ほどの大きさはある水晶玉がついていて、時折、淡い水色の光を放つ。


「あたしの術のおかけで、寒くはないはずだろう?」

「寒くはないが……いつ戦闘になるか分からないからな」


 男はいかにも重たそうなプレートアーマーを着込んでいる。しかし、腕のよい職人が調節したのだろう。可動部の音は静かで、また、動きにくそうな様子もない。


「戦闘? どんな生き物も寄り付かない、この『死の山』でかい? まあ、いいけどさ」

「それで、目的の場所までは、あとどのくらいだ?」

「そうだねえ。あたしが聞いた話だと……なんだ、もうそこに見えてるじゃないか」


 女が指をさした先には、少し屈んでようやく入れるくらいの洞穴があった。


「さあ、早く用を済ませて帰るよ」

「そうだな。行こう」

 

 洞穴に入った二人。内部は普通に立って歩けるほどの高さがあった。更に進むと、広い空間があり、そこには光の加減によるものか、青く輝く泉があった。


「まさか、こんな高い場所に、本当に泉があるとはね」

「まさしく伝説のとおりだ」


 男が見ているのは泉の中心辺り。そこには小さな島があり、一基の石碑が立っている。


「確かにここに、神が居たんだね……」

「石碑がその証拠だな」


 二人は迷うことなく橋を渡り、石碑の前に立つ。


「何も書かれていないようだが」

「なんだろうね……」


 女が軽く石碑に触れた。すると、何かの力によって石碑に傷が付けられてゆき、やがて見たことのない、文章が現れた。


「レイミア。読めるか?」

「……天上界の言葉で書かれているみたいだね。『マルデル』、『願い』、『叶える』」


 魔術師の女――レイミアは、解読した単語をそのまま述べた。


「つまり、マルデルの涙はそれを手にした者の、あらゆる願いを一度だけ叶える、と」

「ああ。本当に、伝説のとおりだね」


 その時、石碑の背後から光が溢れた。二人は石碑の裏へ回る。石碑の中央には、水晶玉のようなものがはめ込まれていた。


「これが、マルデルの涙……」


 男が『マルデルの涙』をのぞき込む。一点の曇りもない澄み切った透明の玉の中で、黄金の光がオーロラのように動いている。この玉が人間界のものではない――人智を超える力を持っている、ということは明らかだった。


「待ちな」


 男がマルデルの涙に触れようとしたその時、レイミアの声がそれを制止した。


「それはあたしが頂くよ」

「どういうことだ?」


 男がレイミアの方へ顔を向けた瞬間、レイミアが杖の頭を男に向ける。


「うっ」

「ここでしばらく固まってな。大人しくしていれば、悪いようにはしないよ」

「な、なぜだ。俺たちの願いは同じはず……」

「ひひっ」


 レイミアが奇妙な笑い声をあげた。


「鈍い奴だ。あたしの願いはねえ、本当は、あんたの願いとは正反対なんだよ」

「まさか――」


 ぐちゃっ。気持ちの悪い音が聞こえる。レイミアの背中から、胸のあたりを覆うように六本の鋭い骨が飛び出してきた。


「戦争で滅ぼされた隣の街から逃げて来た、なんていうのは嘘さ。あたしみたいな得体の知れない奴を、ここまで連れてきてくれた事には感謝するよ」


 ぽっ。間の抜けたような音と共に、レイミアの両目が地面に落ちた。そして顔に縦の線が入る。額から鼻の先まで綺麗に線が入ると、透明な液が溢れてきた。


「お……お前は……」

「あたしは、この世の全てが憎い。あたしの願いは、この世の全てを殺すことさ」


 縦に入った線が、ぱっと開く。そこには紫色の瞳をした、巨大な目玉があった。縦に割れた鼻は『まぶた』から切り放され、地面に落ちた。


「子を喰らう悪魔、レイミア……」

「そう。魔女名ではなく、本当の名さ」


 再び気持ちの悪い音が聞こえる。レイミアの両肩から三本ずつ、ヘドロのような色の触手が飛び出してくる。ぶしゅっ。レイミアの下半身がもげると同時に、太い触手が飛び出し、蛇のようになった。


「子を殺されたと言うのも、全て嘘か」

「……いいや。それは事実だよ。残念ながらね。あたしは天上界で最も尊いお方に愛されたんだ。そして、求められるがままに体を重ね、子供をもうけた。あのお方の嫉妬深いおきさきの、その恐ろしさも知らずにね」


 醜い笑みを浮かべるレイミア。


「本当に馬鹿だよねえ、あたしは。人間風情が、身に余る幸福を手に入れたばかりに、子供を目の前で殺され、人間の姿を奪われ、眠りまで奪われた。おかげで今のあたしは何百年もの間、眠りもせず子供をさらっては喰い殺す化け物さ。あたしは許せない。こんな理不尽が許されるこの世界が、この世界を創った神々がね!」


 そう言って、マルデルの涙に近づいてゆくレイミア。その時。ぶんっ。男が、自身にかけられた術を振り払うように身をよじる。


「おお。あたしの金縛りの術を破るなんてね。大したもんだよ」

「レイミア。俺は決めたぞ。俺はこの世界から争いを無くし、世界中の人々を救う。最初に救うのは――お前だ」


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