不完全な真空

@crea555

虚空の塔(芥火静虎)

 『虚空の塔』はいわゆる純文学にあたる作品だ。

 芥火静虎は鬱屈とした日常を陰影のある文体で描写し、その時々の社会の様相に対して抗うことも流される事もできずに、ただ社会の濁流に呑まれながら立ち尽くす等身大の人間を書き続けてきた作家だ。


 しかし、『虚空の塔』は違う。それまで現実の社会を書いてきた芥火は、その作風をガラリと一遍させた。都心から離れた私鉄沿線の住宅街――それは、彼がそれまで描いてきた厚木周辺の様子と変わらない――に、突如として現出した天を突くファンタジーめいた「塔」を巡る話なのだ。


 主人公が天啓めいて「虚空の塔」という名前を思いついたその塔は、昼間は煉瓦めいた赤茶けた姿をしているが、朝夕には陽光を浴びて黄金色に輝き、夜には燐光めいた淡く青白い光を放っている。周辺を警察に封鎖され、立ち入りは禁止されている。政府はこの塔について何も言わない。マスコミは連日この塔についてワイドショウで取り上げていたが、一週間もすると報道も立ち消え、近所の噂好きな人々も自ずと「そういうものだ」と受け入れるようになり、ただ主人公だけがその巨大さに反比例した人々の無関心さを「虚空」と感じていた。

 最初は、その奇妙な舞台設定に反して、いつもと変わらない鬱屈とした描写と、奇怪な状況を受け入れながら平然と進む社会のさまに、いわゆるマジックリアリズムへの挑戦を意図しているのかと思われた。「塔」は何かの象徴なのだろうか、と。


 しかし、中盤からはその様相がガラリと一変する。警官によって封鎖された塔に忍び込んだ主人公は、入口を探しだし、その塔を登り始める――そこから、塔の外側の社会はほとんど書かれなくなってしまうのだ。文体は簡潔で突き放したものになり、芥火作品の特徴ともいえる主人公の内的独白は一切無くなって、ただ荒涼とした塔内の描写と、主人公の渇きだけが退屈なほど丹念に描かれていくことになる。

 かつてインタビューで自身の文体について、「幾度も推敲を重ねることで自然とそのようになっていくもので、意識して陰のある文章を書こうとしたことはない」と語った芥火だが、この文体はあまりに従来の芥火作品とはかけ離れたものだ。どこかぎこちなくも見えるのは、過去語ったような「自然とそのようになっていく」形から逃れた作為的な文体ゆえの不自然か、あるいは逆に「自然とそのように」書かれた渇いた文体になったことで、芥火の中にある「陰影」が岩肌めいた形で露出したものか。


 その孤独と渇きを、社会問題に翻弄されて社会的なつながりが持てない孤独な現代人の比喩であるとか、生と死にまつわる宗教的体験のメタファであるとか、それらしく言うことはできるだろう。とくに本作が描かれる前の芥火の出家騒動を思えば、そういう読み方はある意味で自然である。

 こと純文学において、作家と作品を切り離すことはできない。言葉によって描かれた情景はただの表層であって、読み手がその裏側にある真実と繋がるには、作者の来歴を頼りにトンネルを掘る必要がある。また、作者の思想がそのまま問いとして現れるのが純文学であるとも言える。

 もとより、たとえ同じ言葉であっても、書かれた状況、読まれた相手、書いた人間の立場、そうしたもので意味合いは変わるものだ。


 しかし、そこに描かれたものは、果たしてなんだったのか。

 雲すら貫く「虚空の塔」の内壁に蔓めいて設置された螺旋階段を上り続ける主人公と、その背後から影を追う奇妙な怪物。その闘争と追跡の冒険行はハードボイルドな娯楽小説の色合いすらある。誰が読んでも楽しめる、普遍的なスリルとサスペンスがある。一種、大衆文学的ですらある。

 『虚空の塔』は芥火静虎初の娯楽小説なのか。

 しかし、それにしては終盤、屋上に到達した主人公が体験する光悦は、あまりに宗教的かつ幻想的に過ぎる。それを私小説的な芥火自身の体験の再話であると理解すれば、作中で純文学に「帰ってきた」という言い方もできる。

 一方、そうなると中盤の冒険小説的な展開は何なのか、という話になる。無論、砂塵吹き荒ぶ情景にキリスト教的な受難を見出すことはできる。背負い袋を十字架だと、ゴーグルを茨冠だと言い張ることはできる。迫る怪物は己の弱さであり、螺旋階段とは永劫回帰の象徴だと捉えることはできる。人生のあらゆる物事は宗教的メタファだと言えるし、それが冒険なら猶の事だ。

 しかし、実際の描写を読めば、そうした含意を見出すことは難しい。

 ただ、思い付きで冒険小説を書いてみたくなっただけなのか。そして、最後に同じように思い付きで純文学に戻ってきただけなのか。だが、終盤の宗教的光悦の描写は、明らかに塔を登り始めて以降の渇いた文体で書かれている。時折挟み込まれる外部の変わらぬ日常とは文体を異にしている。明らかな抑制がある。


 芥火はこの作品について、多くを語ってはいない。件の出家騒動もあって、すっかりメディアを敬遠するようになってしまったからだ。出版後、いくつかのメディアでインタビューに答えているものの、その内容は出家騒動に焦点が当たっており、内容については通り一遍、序盤のあらすじ程度のことしか語っていない。

 芥火は『虚空の塔』について、「この作品も、いつも通りの芥火静虎です」と言っている。芥火は日頃から作品とは自分自身である、と言い続けてきた。

 もし、今回もそれが偽りない言葉なのであれば、我々は芥火静虎が今まで見せていなかった新しい一面を見せてくれた、ということなのかもしれない。

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