第一章 再会 その5
それから僕の歓迎会が始められて、その場は三人だけでも充分に盛り上がった。
楽しい時間はあっという間に過ぎ去って——
気が付くと僕は自分の部屋に寝転がっていた。
「……もう食えないよ」
日付がまもなく変わろうかという時間帯。
鈴音さんの料理をたらふく食べたので、今日だけで増量したのは間違いない。
満腹で、満足だった。
けれど何かが物足りない。
すごく楽しい時間を新しく過ごせても、この町には忘れられない過去がある。
この町の思い出としては、いや僕の生涯史上の思い出としてはそれが最上で、今夜の歓迎会さえも霞ませる。
霞ませて、浮上してくるその記憶。
——《お姉ちゃん》
それは僕の嗜好を変えてしまった存在。
一〇年前の僕を虜にしてくれた存在。
彼女の影響で僕は——
——かこんっ。
と。
唐突に物音が鳴って、僕はビクリとした。
「な、何……?」
玄関の方からだった。
郵便受けに何かが入れられたような物音が聞こえてきた。
こんな時間に配達?
ありえない。
でも物音が鳴ったのは確かで……。
「…………」
気になった僕は体を起こした。立ち上がる。常夜灯オンリーの室内を恐る恐る進んで玄関にたどり着いたあとは、サンダルを突っかけて意を決して外に出た。
素早く廊下の左右に目を配るが、誰の姿も見えなかった。
ホッとしつつ、しかし思う。
——誰かが絶対に居たはず。
そしてその痕跡が、郵便受けに残されていた。
「……紙?」
厳密に言えば、折り畳まれた一枚のメモ用紙だった。
少し不気味に思う。
「一体誰がなんの目的で……」
疑問を抱きながら、僕はそのメモ用紙を開いた。
『久しぶり。大きくなったね』
メモ用紙にはたったそれだけの言葉が記されていた。
だけれどそれは、僕にあまりにも充分な衝撃を与えてくれた。
「《お姉ちゃん》……?」
——およそ一〇年前。
小学校に進学するよりも前の時期に、僕はこの千石町で暮らしていたことがある。
今はそうでもないけれど生まれつき体が弱かった僕は、都会に住まう両親のもとではなく、比較的自然が多いこの町で祖父ちゃんと祖母ちゃんのもとに預けられて療養していたことがあった。
療養と言っても寝たきりとかそういう状態ではなかった。
都会の空気が合わなかった僕は、この町ではむしろ元気に過ごせていた。
だからよく外で遊んでいて——
でも友達は居なかったから、祖父ちゃんや祖母ちゃんと遊びに出かけるか、あるいは一人で遊ぶことが多かった。祖父ちゃんと祖母ちゃんには農家の仕事があったから、一人で遊ぶ機会の方が多かったように思う。
孤独だった。
寂しかった。
しかしそんな時、僕は出会うことになる——名前も知らない、歳も分からない、中学生か高校生ほどの見た目をした黒い髪の
《お姉ちゃん》は明るく愉快で楽しい人間で、僕はそんな彼女とよく遊ぶようになった。
おかげで孤独ではなくなり、寂しくもなくなり、僕の心は救われたんだ。
この救われた経験があればこそ、僕も誰かを気遣える人間になろうと誓った。
そしてそれ以上の影響として、僕は年上のお姉さんが好きになってしまった。
《お姉ちゃん》はえっちな人だった。たかだか五歳程度の僕にとても刺激的な接触を続けるような、とてもイケない人だった。
そうした接触をされ続けた結果として僕は《お姉ちゃん》のことが好きになって、その好意から連鎖するように年上のお姉さんばかりを追い求めるようになってしまったんだ。
ともあれ、小学校への進学を機に都会へと戻ることになった僕は、それ
僕の初恋は中途半端に途切れ、終わった。それでも当時の興奮が忘れられず、長期休暇中に祖父ちゃんと祖母ちゃんに会うためにこの町を訪れた際は、二人と居ることよりも躍起になって《お姉ちゃん》捜しを行なったりもしていた。
しかしあまりにもヒントが少なかった。
僕は彼女の名前を知らなかった。
歳も知らなかった。
捜しようがなかった。
だから諦めて、《お姉ちゃん》への想いは綺麗に心の奥へとしまったはずだった。
それなのにこの町へと舞い戻ることになって、当時の思い出を夢にまで見てしまい、くすぶっていた炎が再度点火しかけていた。
そこに——このメモ用紙。
『久しぶり。大きくなったね』
この町で、僕にこんな言葉をかけてくれる存在が居るとすれば、それは祖父ちゃんか祖母ちゃんか、あるいは《お姉ちゃん》だけだった。
夕方に会った祖父ちゃんと祖母ちゃんがこんなメモ用紙を残していくわけがない。
だとすれば——
「——……《お姉ちゃん》……」
僕は少し泣きそうだった。
もう二度と出会えないだろうと思っていた憧れの、初恋の人からのメッセージ。
嬉しさで胸が押し潰されそうな中で、僕は疑問を抱く。
「でもどうしてこんな、遠回りな……」
わざわざメモ用紙で言葉を届けに来たのはなぜ?
直接会いに来ないのはなぜ?
相変わらず謎だらけな人だけれど、それでもひとつ確信する。
——《お姉ちゃん》はきっとこの町に居るんだ。
この町に居て、僕を見てくれている。
直接訪問出来る程度には近くに、あの人は居るようだった。
そう考えてハッとする。
「まさかかりん荘の誰かが《お姉ちゃん》なんじゃ……?」
いや、と否定しようとして、その否定しようとした思考を否定する。
ありえないとは言えないはずだ。その可能性はあるはずだ。こんな深夜にメモ用紙を投函しに来られたのは、それだけ気軽に来られる距離で生活しているからなんじゃ……?
「でも……」
証拠がない。
かりん荘の誰もが無関係で、《お姉ちゃん》が別に居る可能性だって当然あるだろう。
それでも疑いの目を持っておくことは重要だと思う。
誰が《お姉ちゃん》かは分からないけれど、近くには居るはずだから。
そしてそう、今はそれさえ分かっていればそれでいい。
近くに居るって分かっただけで、ひとまずは充分だった。
「——いずれ必ず、見つけてやるからね」
どこかで僕を見ているのであろう《お姉ちゃん》への宣戦布告。
それを口にしたのち、僕は気分良く部屋に戻ってこの日は就寝したのだった。
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