第一章 再会 その4

 それから——

「もう一人の住人はここかな」

 僕の部屋の真下にある部屋。ここに最後の住人が居るとのことで、僕は挨拶のためにインターホンを鳴らそうとしたのだけれど——

「——なんけ今のっ! 絶対私の方が先に当ててたじゃろ……ッ! くぎゃああああああフ○ック! 死ね! 回線勝ちじゃろどうせ! リスポーンしたら狩ってやるけぇ、そしたら屈伸と死体撃ちで煽りまくり確定じゃボケナスがああああぁぁぁッ!」

 激怒した感情がこれでもかというほどに乗せられた口汚い言葉(女性の綺麗めな声で)がドアの向こうから聞こえてきたので、インターホンに触れようとした指を思わず引っ込ませる。……え? 何今の?

「あー……要くん、今は挨拶するのやめといた方がいいかもしれないわね」

 怒声に驚いて固まっていると、鈴音さんが僕のそばに歩み寄ってきた。

「今の聞いたら分かると思うのだけど、彼女すごく機嫌が悪そうだから」

「ええと……ヤバい人なんですか?」

「やばたにえんよ」

「や、やばたにえんですか……」

「若い子はやばたにえんって言葉をよく使うのよね?」

「……多分もう死語ですけどね」

「…………」

「…………」

「と、ともあれ、そこの住人はいわゆるゲーム廃人だから近付かない方がいいわ」

 なるほど、ゲーム廃人か。

 屈伸とか死体撃ちってワードが聞こえてきたから恐らくシューター系のゲームをやっている人なんだろうか。FPSやTPSは僕もやる側の人間だけれど、その手のゲームをプレイする人たちは一部がヤバいというか、下手くそに対して煽りメッセージを送り付けたりするっていうね……。僕も送り付けられたことがあるけれどひと晩中泣いたよ。

「じゃあ……この人への挨拶は後回しにしときます」

「そうなさいね。要くんに何かあってからじゃ遅いんだもの」

 なんかもう扱いが災厄みたいだった。そんなにヤバい人なのかな……。

「それはそうと要くん、いなほちゃんに挨拶出来ただけでもあなたは上等よ。彼女も相当気難しいタイプなのだし」

「ね、あたしもいなほっちと打ち解けるのは大変だったなあ」

 気付けば一夏さんもやってきていた。

「本体とメッセージが別人レベルに違うって言っても結局は同一人物だからさ、本体が興に乗らないことにはメッセージなんて貰えないっていうね。そんな中でいなほっちと挨拶が出来たってことは、要っちにはいなほっちの興味を引く何かがあったってことだよ」

 どうやらいなほさんと無事に挨拶出来たのはそれなりにすごいことらしい。

 なんだろう、いなほさんに一目惚れでもされてしまったとか?

 いやそれはないか。

「いなほちゃん、要くんの小柄なところにシンパシーを感じたのかもしれないわね」

 それはなんだか喜んでいいのかどうか微妙なんだけど……。

「もしくは、要っちの根暗っぽいところに共感を覚えた可能性もあったりして?」

 それも素直には喜べないよ……!

「なんにせよ、これで要くんの挨拶回りはひとまず済んだわけよね。だから改めて、これからよろしくお願いするわね、要くん」

「はいはい! あたしもね要っち! 同じアパートの住人として仲良く暮らしていこ!」

 鈴音さんと一夏さんにそう言われ、僕は心底安心する。いきなりの引っ越しでどうなることかと思っていたけれど、いい住人に恵まれたように思える。

 一人だけまだよく分からないけれど、近いうちにきちんと話せるといいな。


  ※


 僕はその後、祖父ちゃんと祖母ちゃんのところにも挨拶に向かった。毎年長期休暇を生かして遊びに来ていたので、久しぶりではなかった。

 祖父ちゃん祖母ちゃんと別れてかりん荘に戻る道中、空はオレンジ色に染まっていた。

 今夜は鈴音さんが歓迎会を開いてくれるらしいから、それを楽しみにしている。

 ——この町での新たな生活。

 いい思い出がばんばん作れそうな一方で——

 ふとよぎるのは幼少期の記憶。

 小さかった僕の、この町での思い出。

『要くん、一緒に遊ぼ?』

 僕を孤独から救ってくれたあの人。

『にひ、要くんは甘えんぼさんだね』

 それは初恋だった。

『じゃ、また遊ぼうね?』

 それは叶うことのない一方通行な感情だった。

 とても魅力的だったあの人は僕の頭の中に今も居続けている。

 それはアップデートされていない一〇年前の記憶。

 僕はあの人の今を知らない——だから気になるんだ。

 あの人は今、どこで何をしているんだろうって。


  ※


「あ、要くんおかえりなさい」

 かりん荘に帰り着くと、軒先を掃き掃除している鈴音さんと出くわした。

「お祖父さんとお祖母さんはお元気だったかしら?」

「はい、ぴんぴんしてました」

「あら、それはいいことね。じゃあぼちぼち歓迎会を始めようと思うから、要くん、私の部屋に来てもらえる?」

「分かりました」

 祖母ちゃんに持たされたお土産(大量のお菓子)を自室に置いてきたのち、僕は鈴音さんの部屋を訪ねた。そこには一夏さんの姿もあった。

「よっ、主役の到着だねっ!」

 ぱんっ、と一夏さんがクラッカーを鳴らしてくれた。

「ねえ要っち、このままカメラ回しちゃってもいい? 歓迎会の様子をあたしのチャンネルに投稿したいんだよね。どう思う?」

「え、それは普通にやめた方がいいんじゃ……」

 身内ネタって一定の知名度がないと一番つまらないパターンだからね。

「マジレスきたーっ! でも確かにそうなんだよねえ。んー、どうしたら面白い動画が撮れるかなぁ。——あ、そうだ! 鈴音っちが水着になってくれれば——」

「はいはい静かにね一夏ちゃん。お料理を並べるから騒ぐのはおしまいよ」

 鈴音さんが台所から料理を持ってやってきた。唐揚げエビフライたこ焼きチャーハンエビチリビーフシチューナポリタンオムライスカレー——ってどんだけ持ってくるの!?

「要くんが好きそうな料理を厳選してみたわ。腕によりをかけて美味しく作れたはずだから、好きなだけ食べてちょうだいね?」

 見事なまでに子供が好きそうなモノばかりだ。

 僕がそんなに子供舌に見えるのか?

 正解だけれど。

 それにしても、この見た目で料理上手ともなると、鈴音さんは嫁力が高過ぎるよ。

「そういえば主催者の鈴音さんを除けば、一夏さんだけなんですね。僕の歓迎会に参加してくれたの」

「いなほちゃんは締め切りに追われているのと、そもそも群れるのが苦手っぽいのよね」

「もう一人のアレはゲームで忙しいってさ」

 いなほさんはしょうがないにしても、謎のもう一人は堂々と欠席しやがったようだ。

 まあ趣味を優先させたい気持ちは分かるから文句は言わないでおこう。

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