第101話
それからしばらくは、人の流れに沿って歩き、買い食いをしながら、なんでもない話で盛り上がった。明美がクラスのだれだれといい感じだとか、真帆は実は双子の妹がいるだとか。
そんなさなか、それぞれの体と触れることがあった。肩が触れたり、押されたり。時にはちょっと柔らかな感触があったり。これだけ混んでいるんだから仕方ない――のだが、それにしてもちょっと回数が多い気がするなぁ。
「ね、あれ見に行こ!」
――ん?
腕に何か温かいものを感じる。
振り向けば、衣央璃の頭がすぐ傍にあって、俺の腕は彼女の腕に少し取られていた。さりげない、腕組のようで、そうじゃないような。
「衣央璃?」
衣央璃は何も言わない。
「ほら、見て! でっかい金魚!」
先に行っていた綺咲が振り向き、こっちにおいでおいでをしている。
「うん! 今いくね」
すると衣央璃は俺の横から小走りして綺咲の方へ向かっていった。まるで、何もなかったように、こちらも振り返らずに。
――衣央璃がくっついてくるなんて珍しいな。
衣央璃とは仲が良い自覚はある俺だが、衣央璃が自分から誰かの体に触れることは珍しい。女子同士でもなぜか一日中べったりな子もいるのは見かけるが、衣央璃はそういうことをする感じの子でもない。
――何か嫌なことでもあったのだろうか?
「ほんとだ、この金魚めっちゃ大きいね」
だが綺咲と話しているときの衣央璃からそれを読み取ることはできなかった。
商店街名物の特大金魚すくいに挑戦する俺達。トップバッターとして指名された俺は速攻惨敗、綺咲も奮闘するも一匹もすくえない。というかこの大きさをすくえる奴の方がおかしいのだ。
だが俺はそんな凄腕を一人知っている。
「すっご! まじ衣央璃すっご!」
衣央璃の桶にはすでに特大金魚が四匹入っている。そうこうしている間に五匹目、
桶の中はすでにすし詰めになっている。
そう、衣央璃はなぜだか昔から金魚すくいが得意だった。特に鮮やかでも鋭くもない動作なのに、それが当たり前かのように金魚たちは桶に吸い込まれていくのだ。
「よん、ごー、ろく……七匹! おめでとうございまーす!」
金魚すくい店員のおじちゃんが、桶の金魚を戻しながらカウントしていき、衣央璃を褒めたたえると、周囲から拍手が沸き上がった。
「じゃあ、このチケットもって、あっちのお店行けばおかし貰えるから」
衣央璃は少し恥ずかしながらもそれを受け取っていた。
「いや、まじですごいよ、衣央璃。 あたしびっくり」
その腕前を綺咲が再び褒めると、衣央璃はいやいやと手を振りながらなお恥ずかしがった。
「こんなんできてもしょうがないよー。人生の役に立つわけじゃないし」
「ええ!? でもそのおかげでお菓子貰えるんだから、やっぱお得っしょ! 衣央璃のおかげだよ!」
「ふふ、ありがと」
衣央璃はもらったチケットを扇子みたいに広げ、口元を隠して笑った。
ここの金魚すくいは、金魚そのものじゃなくて数に応じて景品がもらえるという仕組らしい。確かに今時金魚をもらっても困る、というのもあるし、合理的なのかも知れない。あんなおっきいの、飼えないし。
「あ、あそこじゃない?」
綺咲が指差した先には、景品交換所の看板があった。ここでこのチケットを景品と交換できるということらしい。
「本当だ。私行ってくるね」
そういって衣央璃が小走りで先行する。すぐそこだからそんなに急ぐことないのに、と思いながらも、衣央璃はそういう子だよな、と思った。
――と、その時。
おろした俺の指先に、ぬくもりを感じた。
それが気のせいじゃないと気付いた時には、その指はとられ、そして握られた。
振り向くと、やや赤らんだ綺咲が、半眼しながら人差し指を口先にあてていた。
「綺咲、お前」
「しっ。少しだけ、ね」
――その瞬間、俺達は手を繋いでいた。
衣央璃は並んでいてこちらは見ていない。なんとなく、これを衣央璃に見られるのはまずい気がする。それはたぶん、綺咲も分かっている。だから、少しだけ。数秒にも満たない恋人ごっこの共犯になれと、綺咲はそう言っているのだ。
「お願い」
だが、無理に振りほどくのも、どうなんだと思った。それは綺咲を傷つけることになるのだろうか。そもそも俺に恋人はいないのだから、誰と手を繋いでも問題がないのか?
そんなことを瞬時に考えたが、答えは出なかった。結局、すぐに離すことになるのだから、まぁいいかと、衣央璃の後ろに並んだ。
だが残念ながら、その判断は間違っていた。
カウンターの前に立っていたのは、お人形見たいな――水谷志吹、その人だった。
「――それで、三人で来てて――」
衣央璃が気まずそうに説明して、こちらを振り返る。その表情は、何か、まずった、とでも言いたそうだ。浴衣姿の志吹はその温度のない目で、衣央璃と綺咲を、そして俺を見た。
――見られた、か?
なぜだが、冷や汗が出てきた。俺はなんで焦ってるんだ?
「あれ! 志吹じゃーん! どうしたのこんなところで! 偶然じゃん」
綺咲はそういって素早く手を離し、志吹のもとに駆け寄った。角度的に、衣央璃には見えていない。
「ええ、ちょっと家の手伝いで」
綺咲のテンションに対し、志吹のテンションは低い。まるで学校にいたときのような氷の女モードになっている。
「まじかー! 大変だね。つうか浴衣超かわいい☆」
「ありがとう。ところで綺咲さん、見間違いじゃなければなのだけれど」
その理由も、すぐにわかった。
「――今、手を繋いでなかった?」
――見られた。あのわずかな時間。カウンター越しにいる志吹からは、衣央璃の奥にいた俺達の様子が見えてしまったのだ。
「気のせいだよ、たまたま手が振れちゃっただけで」
綺咲が綺咲スマイルで答える。その綺咲を志吹の温度のない目が捉えている。
「――そう。じゃあ唯月さん、景品用意するから少し待っていてくれるかしら」
「え、あ、うん」
志吹は何か言いたいことがあると言わんばかりに、あの学校での体裁を貫いていた。まるで、この夏休みの日々が無かったかのように。祭りの雑踏の中で、ここだけ温度が低かった。
「あああ、あたし喉渇いちゃった。ちょっと飲み物買ってくるね!」
沈黙を破るように、綺咲はそう言い、急に駆け出した。
「お、おい綺咲――」
「綺咲ちゃん!」
立ち尽くす俺を置いて、衣央璃は、
「ごめん才賀、私も一緒に買ってくるから、受け取っておいて!」
そう言って駆け出して行った。
追いかけるタイミングも理由も失った俺は、もくもくと景品を準備する志吹の前に取り残された。
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