第69話
『今晩、パソコンの設定を手伝ってくれませんか』
そのメッセージを俺はぼんやり眺めていた。この連絡が来たということは、早くもパソコンが届いたということだろう。あの日以来、結局志吹はずっとゲームがお預けだっただろうから、すぐにでもやりたい、というのが本音なんだろうが。
「今日は厳しいなー」
俺の知り合い、それも女の子が二人も泊まりに来ている。そいつらを放っておいて志吹とやりとりしっぱなし、というのもバツが悪い。それ以上に、あの二人の前で志吹としゃべるのが、かなりやりづらい。……志吹の前では未だに僕キャラだし。
「断るしかないな」
そう口にして、メッセージ画面に文字を入力する。
『ごめん、今晩は用事があってまた今度――』
しかし文字を打っている最中に、突然着信が鳴る。俺は勢いあまってそれを取ってしまった。
『もしもし』
スピーカー越しに澄んだ声が聞こえる。相手は志吹だ。
「お、あ、も、もしもし」
『ごめんなさい、才賀。すぐに既読になったから、今なら電話繋がると思って』
申し訳なさそうながら、少し嬉しそうな声色だ。PCが届いたのがよほど嬉しかったのだろうか?
「ああ、ナイスタイミングだった」
『今、電話少しいいかしら?』
「ああ――。うん、少しなら」
俺は部屋のドアを確認しながら返事をした。
『……忙しい、感じみたいね」
その微妙な間と雰囲気を感じとった志吹が、少し残念そうに言う。
「ごめん、今晩はお客さんが来ててさ。それで、あまり時間は取れそうにないんだ」
志吹には申し訳ないが、ここは一旦お断りをするしかないだろう。
『そう……それなら仕方がないわ。また落ち着いた時に、連絡くれるかしら。……待ってるから』
志吹の声が、俺の心臓をチクリと指す。
彼女の事を知ってから、志吹は意外と感情豊かな人なのだという事がわかる。人前では表情に出にくくても、俺の前では、声越しでもそれが伝わってくるのだ。
彼女は俺に心を開いてくれている。それが嬉しいのだ。
「ごめんな。近い内に必ず――」
――それは突然だった。
「才賀ー? いるー?」
部屋のノックと共に、衣央璃の声が室内に響き渡った。
「才賀ー? いるんでしょー?」
『……今、聞き覚えのある声が聞こえた気がするのだけれど……』
「いいいいやぁ! 気のせいじゃないかなぁ!?」
こういう時に限って志吹は鋭い。女の勘というヤツなのか!?
「そ、そういう訳だからまた――」
「綺咲ちゃんが辛口と激辛とどっちがいいー? だってー!」
そしてこういう時に限って、衣央璃はファインプレイをするのである。
『……綺咲? 綺咲って高橋さんの名前よね……』
「ぅええっ!? そんなぁ、良くある名前じゃないかなぁ?」
『――いいえ、私が言うのもなんだけれど、結構珍しい方だと思うのだけれど』
志吹の声のトーンが一つ下がる。低めの声が、俺の喉を締め付ける。ここで電話を切ったら、怪しすぎる。しかしこのままでも、言い逃れはできない。最悪の状況に、俺の脳は思考停止した。
『……才賀、もしかして隠し事とかしてる?』
「え、あ、あ、あ」
「ねぇ才賀……あ、綺咲ちゃん」
そして扉の裏に、綺咲まで登場する。
「才賀ぁ? きこえてんでしょー?」
そして扉は開かれた。開かれてしまった。
「辛口と激辛――」
俺はスマホを構えたまま、時が止まってしまっていた。
それを見た衣央璃も綺咲も時が止まる。
『……今の声、やっぱり高橋さんじゃないかしら?』
その静寂の中、スピーカーから漏れる志吹の声。それは入り口で固まっている二人にも届いてしまった。
「ははぁ~ん」
辛口と激辛、二種類のカレーを持った綺咲が、事情をすべて把握したのか、悪巧みをしてそうな笑顔を俺に向ける。もはや俺の思考は吹っ飛んだ。そんな俺が抵抗するよりも早く、綺咲は俺のスマホを取り上げ、そして耳にあてた。
「もしも~し、志吹ちゃん? やっほー」
その綺咲の言葉を聴いた衣央璃が、「え、相手、水谷さんなの?」と驚いている。
「あのさー、今晩才賀ん
綺咲は驚く衣央璃に向かってウィンクしている。
「ちなみに泊まりだから。来るならお泊りセット持ってきてねー? 家わかるっしょ? っつーわけでぇ、細かい話は才賀に聴いてね☆」
言いたいことを言い終わった綺咲は、フリーズしている俺の手のひらにスマホを乗せた。そして困惑している衣央璃の肩を取って、部屋の扉を閉めて行った。
『……才賀』
受話器から志吹の声が聞こえる。俺は震えながら耳に当てた。
「はい、なんでしょう」
『私も女子会に参加したいのだけれど、良いかしら』
「え、あ、えっと――」
「良 い か し ら」
「……はい」
俺がそう力なく返事をすると、志吹は一呼吸してから、言った。
「楽しみだわ。女子会って、初めてだもの。何より、貴方の口からどんな説明が聞けるのか、そっちの方が楽しみかも知れないけど」
そして、電話は切れた。
「……俺がいったい何をしたって言うんだ……」
――俺は夜が怖くて仕方なかった。
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