第5話 悪魔と共に異世界へ

 荒川恵美あらかわめぐみ視点


 毎日が激務に次ぐ激務。

 本当に嫌になるわ。今年、32歳になって明らかに疲労が増している。。。

 しかも、人類はファントムウイルスのパンデミックで危機に瀕している。ついに吾郎君も死んでしまったし、いつ、私も発症してもおかしくない。

 どう考えても詰んでる。いつ、私の番が来るのだろうか?今も後ろから死神が顔を覗かせてこちらを伺っているように感じる。

 あぁ、怖い怖い怖い怖い死ぬのは嫌だ嫌だ嫌だ。神様、こんな辛い世界にどうして人間を誕生させたの??


 夜勤の後はなおさら暗い思考に拍車をかける。


 ガラガラガラ。


 後ろからカートの音が聞こえる。


「主任、おむつ替え終わりましたぁー。」

 呑気な声がして振り返ると、野田君がこのステーションにカートを戻しにきた。


 茶色い液体のはみ出たおむつだけを載せて。

 って、茶色のやつカートに垂れてんじゃない!!?


 機嫌が悪かったのもあり、取り乱してしまった。


「何をしてるの?これは嫌がらせなの!?それとも馬鹿なの?」

 うがー!!


 しかも、何か知らないけど、怒られてるのに野田君はこちらを気遣うような目を向けてくる。

 怒っている子犬に対して飼い主がよしよしって、なだめるような眼.........

 私は子犬じゃない!

 あーもう、何か怒る気が無くなってきちゃった。


 おむつは私が処分しちゃおう。


 野田君は仕事は普通にこなしてくれるし、人を安心させる独特の雰囲気からか入居者からの人気もすごい。

 ただ、普通ではしないような細かいミスをよくする。


 でも、不思議なんだけど、大変なミスをするのは見たことがない。

 それどころか、野田君のミスをカバーすることで、長期的には上手くいくことが多々ある。


 例えば、入居者の水分摂取量の記録をするのだが、担当したAさんの記録を野田君が書き忘れた。

 何やってんのよもう!!と、ふと記録を見直すとBさんの水分摂取量が全く足りてないことに気付く。

 Bさんは体質的に水分を取らないと重大な問題に発展しかねないから、絶対に忘れてはいけない人だ。


 野田君がミスをしなければ見直すことの無かった記録。


 大体がこんな感じで、なぜか、野田君のミスをきっかけになぜか良い方に向かうことが多い。


 あれ?なんか私、元気出てる??

 ていうか、もしかして、最近、元気なのは野田君のことを考えてる時ぐらい?


「野田君がファントムウイルスにやられてても、ぜんぜん驚かないわー」


 と、自分から自然と出てきたひねくれた言葉に苦笑しながら、椅子に座って介護日誌を書きはじめた。


 《包・・・・・が・・・・・向・・・・・・・・ね》


 ん、何か声が聴こえたような。


「あれ、何か聞こえた?」

「なんか声みたいなのが聴こえたんだけど??」


 と野田君に確認する。


 野田君はふるふると首を振る。

 そして、おむつの後始末のお礼を言って次の仕事に向かっていった。


 ・・・・・


 介護日誌を書き終わって、お茶を飲んでる所に野田君が帰ってきた。

 すると、楽しそうな様子で言った。


「ふくさんって不思議ですよね。

 普段は漢の裸ばっかり見てるのに、人の気持ちを読んだようなことを突然言ったり」


 ふくさん??野田君、なんの話をしてるの?


「ふくさんて誰?そんな人このフロアにいたっけ、本名で教えてくれる??」


 野田君は急に焦りだした。

 えっ?まさか。

 過去の発症者の例や、最近の吾郎君のこともあって胸の中に重い嫌なものを感じる。

 そんな....いやだ...やめてよ。


「い、い、いや、今話してたばかりだから、ホールの隅にいるはず。」


 実際に見に行くと、野田君の言うような人、ふくさんはいなかった。

 他の人にも確認してくるといって野田君は走っていった。


 私は一人、ステーションの中で目の前のホールの風景を見つめることしかできなかった。

 どういうわけか、私は野田君だけは発症しないと思ってた。これは心のよりどころを失いたくない気持ちかもしれない。


 野田君が他の人に確認した結果、実際に「ふくさん」がいる可能性もある。


 でも、なぜか、今の私の心の中で野田君の発症が事実であることがゆっくりと確信へと至り。





 すでに私の心は決壊した。


 もう、そのあとの事はほとんど覚えてない。脳が思い出すのを拒否しているのかも。

 野田君が最後の挨拶に来た時に泣いていたこと、野田君の存在が心のよりどころだったことをただただ溢れるに任せて言っていたと思う。


 その後、どうやって家に帰ったかもよく覚えていない。

 夜勤明けだったので仕事は介護日誌を書いて終わりだったはずなので、すぐに帰った...と思う。


 その日の2日後、野田君が自宅で死んでいたことを施設長から聞かされた。


 

 そして、今日で、野田君の死を聞かされてから、3日後。




 今、私は悪魔と共に異世界の入り口に立っている。



 野田君が発症した時点で、私は生きる気力を無くしていた。

 そのことと何か関係があるのか、すぐに私も幻覚に飲み込まれ始めた。つまるところ発症したのである。

 発症した以上、退職せざる得なくなり、家に引きこもってただただ呆然としていた。そして、毎日、見える幻覚の規模は大きくなっていった。

 

 最終的には昼にも関わらず窓の外は暗黒そのものであり、窓からも暗くて何も見通すことができなかった。


 そんな中、最後に現れた幻覚は「悪魔」だった。

 その悪魔は全体的に人間と変わらないが、唯一、眼だけは違った。人間の白目にあたる所が青いのである。

 その眼を見るだけでも私を震え上がらせるには十分である。部屋の中に突如現れ、タキシードのような服を来た長髪の悪魔はこう言った。


「初めまして、私はモロゾフと申します。

 人間の悲しみを癒すことを生業にしている悪魔と呼ばれている存在です。


 あなたは自身の中にあるひねくれた部分をことごとく恨んでおられる。

 それさえ無ければ、好きだった相手に冷たい言葉を投げかけなくて済んだのに、と。

 その通りです。真のあなたは温かい心の持ち主です。あくまでも”ひねくれた部分”だけが悪いのです。

 素晴らしい世界へいけるよう私が導いて差し上げましょう。」


 私はベッド上で壁に背をつけ、自分の体を両手で抱きかかえるようにして震え、悪魔の甘言(かんげん)を聴いていた。

 紳士なようだが、聴くだけでもおぞましい何かを感じさせる声だ。心にも無いことを言っているのを隠そうともしていないように感じる、普通ならこんな悪魔の言うことを聞こうとは思わないだろう。



 ただ.....悪魔に指摘される前までは、野田君に冷たい言葉をかけてしまったことをそこまで気に病んでいないと思ってた。

 実はそれは違っていて、野田君の死以降、私は心の深いところで激しい後悔を続けていたことに気付く。

 今、悪魔に私が自分で気付くよりも早く指摘されたことで......私の心は尋常じゃないぐらい動揺をはじめた。


「あなたはこれより死を迎えます。

 しかし、死を怖がっておられる。その通り、死は恐ろしいものです。

 特にあなたのような”ひねくれた部分”を残している方なら尚更ね。死後の世界は精神のままの世界。ひねくれた精神を持つ人間は息をするのも困難な、捻じ曲がった世界に数百年は閉じ込められることでしょう。

 しかも、その苦労は無駄であり、冷たい言葉をかけた相手からも許されることはありません。


 だが私なら、あなたを救えます。

 さらに、好きであった相手と会えるよう転生させて差し上げましょう。」


 すでに亡くなってしまった野田君と会えるの!?

 会って謝ることができるの?


 その時、動揺しきっている私の心はすでに悪魔に囚われてしまったのかもしれない。


「そのためには一つ条件があります。

 なに、簡単なものなのでご安心ください。

 今後、自分の気持ちにウソをつかないで頂きたいのです。

 ただそれだけです。」


 自分の気持ちにウソをつかない。

 これは過去、テレビなどで何度も聞いてきた言葉だ。

 大体、主人公のことを親身に思ってくれる人からの助言でよく使われるフレーズだ。悪魔からそんなことを言われるとは思わなかった。


 心のよりどころを失った私は、悪魔のその言葉に承諾をした。


「私と共にある以上、死は怖くありません。

 痛みも感じることが無いよう、私が魔法を行使します。

 では、新しい世界へ向かいましょう。」


 モロゾフの前に突如として魔法陣が出現し、私の中の何かがひきずりだされる感覚があった。

 次の瞬間、目の前が真っ暗になり...私は暗黒の空間に立っていることが分かった。

 目の前には白いアーチ状のドアがある。


 悪魔に促されるまま、私はそのドアを開いた。

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