輪廻を終える方法~無限進化と創造神の法則~

@taburi

序章

第1話 ウイルスによる幻覚の発症

 あなたはどこに存在しているのだろうか?

 そう問われると東京のどこか、大阪のどこか、など地名を思い浮かべるかもしれない。


 しかし、今いる環境が「自分」という存在に影響を与える度合いはわずかであろう。東京から笑いの聖地である大阪に移動したところで、笑いの神へと奇跡の変貌を遂げるわけではないのだ。


 引っ越したとしても考え方の癖などがさほど変わらないことを考えれば、その事実を裏付けているのが分かる。

 自分は場所に存在しているのではない。


 では、自分とはどこに存在しているのか?


 場所という概念を超えた、精神世界である。

 精神世界というと雲のようなぼやけた印象を受けるが、実際は、こちらのほうが現実の世界であると言ってもいいだろう。


 これから伝えていくのは、異世界という名の真実の世界を見てきた者達の記録である。


 **************


 こんなにも美しい朝だというのに、介護福祉士の僕は恐怖に震えていた。

 呼吸は浅くなり、心なしか心臓もドクドクと不健康な音を鳴らしている。


 何がそんなに怖いのかって?

 今日は主任と二人での早番シフトが決まっているからだ。



 自分を例えるなら草食動物だ。


 僕の顔を見れば、周囲に敵がいないか見渡すためなのか目と目の間隔が広い。それがのんびりとした雰囲気を助長しているらしい。


 ただ、視野が広いおかげで学生の時、テストでは横の人の答案もよく見えていた。

 どういうわけか、カンニングをしてもそれが正解だった試しはないのだが。


 そんな愛すべき草食動物としての本能が警鐘を鳴らしている。

 今日も何かまずいことをやらかし、主任からこっ酷く叱られるであろう、と。



 僕の名前は野田周(のだめぐる)。30歳。

 介護福祉士として老人ホームで勤めている。


 なんでか分からんが人間全般が好きだ。ゆえにこの仕事についた。

 しかし、おっちょこちょいで人が驚くようなミスをよくする。


「何をしてるの?これは嫌がらせなの!?それとも馬鹿なの?」


 目の前で怒っているのは主任の荒川恵美(あらかわめぐみ)だ。

 つり目をさらに尖らせながら光沢のある髪をぐしゃぐしゃに掻きむしっている。


 出勤20分にして早速やらかした...........


 僕には致命的に欠けているものがある。

 それは細かくチェックする能力だ。


 何をどうやって何度確認しても、なぜか、ミスをしてしまう。


 先ほども入居者のおむつを替えた後、茶色のおむつをカート式の荷台にそのまま置き、主任のいるステーションにカートごと届けてしまった。


 茶色の液体がはみ出たおむつが届いたぐらいで怒るなんて...と思うかもしれないが、無理もないのだ。


 この老人ホームのフロア人員は大幅に減っていて、普通は4人で行う仕事を2人で行っているのだから。


 なぜ、そんな事態に陥っているのか?


『2年前から続いている感染症、ファントムウイルスによる死者は先日より489万5853人増え、本日で約41億6732万人となりました。

 生存を確認しあうためにも、ご家族・ご友人等と可能な限り連絡を取り合うよう、本日もお願いいたします。』


 生存確認を呼びかけるいつものニュースが、入居者達のいるホールのテレビから聴こえてくる。


 すでに人口の半数以上が死亡している。


 始まりは、ヒマラヤ山脈の奥地に住む部族の若い青年が発狂し、5日後に死亡したことであったという。


 直接の死因は心臓麻痺によるものだ。


 2年たった現時点においても、なぜ、そのウイルスが心臓麻痺を引き起こすのかは分かっていない。

 免疫も正常に働いていて、異物に対する体内反応などが何一つ見られないのに、突然、心臓麻痺を引き起こすのだ。


 ファントムウイルスは英語のPhantomが語源で、これは幽霊や幻影を示す単語である。死に至るまでの経緯がよく分からず、幽霊のようなウイルスだ、としてその名づけがされた。


 ただし、死に至る前に、誰から見ても分かる症状がある。


 幻覚である。


 しかも、本人にとっては幻覚とは感じない。


 はじめは、日常、見ている光景に一つ、二つ、実際の現実には存在しないものが映り込むだけである。


 ただ、幻覚を見たらほとんどが1週間以内に死亡してしまう。


 少し前に幻覚の症状が出た男性は「花が見えた」という。

 職場の廊下を歩いていると、窓付近に花の鉢が飾ってあった。

 触った感じも本物そのものであり、この世では見た事の無いような美しさの花だったらしい。


 男性が同僚に


「キレイな花を咲かせた鉢が廊下にあったね。ただ、認知症の入居者様のいるフロアに花の鉢を置くのは危ないんじゃないか?」


 と話しかけた事から、男性の感染がのちに発覚した。




 この男性は同じフロアに勤めていた僕の同僚である。

 名前は木下吾郎(きのしたごろう)だ。


 ちなみに、吾郎が「花がある」と知らせた最初の相手も僕である。


 吾郎と主任の荒川恵美と僕は何気ない気持ちで「確かに居住者様が誤食してしまうと危ないね」「誰が置いたのかしら」と、3人で確認しにいった。



 そこに花は無かった。


 ウイルスの症状については、すでにテレビやインターネットを通じて知っていたので、まさかと思った。


 おそらく同じ考えを巡らせている吾郎の前で、もしかして感染したんじゃないの、なんて冗談でも言えるわけがない。


「その花の鉢、危ないと思って誰かが移動したんだよ」と、はぐらかした。



 吾郎は次の日も花の鉢を見た。


 今度はその鉢を運んできて見せたが、僕の目には吾郎が体の前で”見えない何か”を抱えている姿だけが映っていた。


 その日の内に、吾郎は退職し、4日後に心臓麻痺により死亡した。


 ファントムウイルスによる世界の現状を考えれば、その時、花の鉢が存在しないことを伝えることは死刑宣告をするのと同じ重みがある。


 僕は花の鉢が無いことを伝えることができず、「あ.........え?.......」と言葉をつまらせるしかなかった。


 吾郎がすがるような目で「ここに鉢があるだろう。ほら!ここだよ!!」と、懸命に伝えようとするのに対し、何も答えることができなかった。


 仲が良かったこともあり、吾郎が退職した後も電話にて連絡を取り合うようにしていた。


 死の前日、意外にも吾郎は元気だった。というよりも、人生で一番幸せな時間を過ごしているとさえ言っていた。

 端から見るとその幸福は、何かを妄信する人間特有の狂気にさえ見えたのだが。


「周、俺は世界と一つになった。俺が落ち込むと太陽が一気に沈んで周りが暗くなるんだよ。道端にある草花も萎れるんだ。

 歩いてる人の顔も不機嫌そうになる。俺の気持ちが上がると空気ですらもキラキラ光り始める。

 あの光は何色なんだろうな、あんな色見たことがない。」


「今まで俺は孤独だと思ってたんだが、そうじゃなかったんだなぁ」


 このように、恍惚(こうこつ)とした感じで語っていたが、次の日、吾郎が部屋で死亡していたのを、毎日訪ねていた吾郎の母親が見つけた。


 吾郎の幻覚は美しいものだったらしいが、別の感染者が見た幻覚はそれこそ気味の悪い虫、動物、植物、悪魔など様々なものがあるらしい。



 ちなみに、今回の吾郎のように、ファントムウイルスは生存する大部分の人達の隣にまで及んでいる。

(実際の所、全ての人がすでに感染しているというのが、世間の定説だ)


 そのため感染者との接触を避けること自体は無意味であると大多数の人が認識している。

 人類はウイルスに対して為すすべもなく、お互いの生存確認をするのと命が尽きるまでの生き方を模索している状態だ。


 吾郎から感染症が自分に移った心配をせず、僕が仕事をしているのはこのような理由である。



 そういえば、吾郎のことを思い出していて、主任が目の前で荒ぶってるの忘れてた。


 えっと何だっけ。誰かが夜勤明けの主任にいたずらでも仕掛けたんだっけ?

 そんなことするやつは誰だっ!!いやーほんとに主任って立場は大変ですよね。


 ・・・・・


 ああ、そうか。茶色い液体のはみ出たおむつは僕が届けたのか。


 なぜ主任が取り乱してたのかを思い出した時には、すでに主任がおむつを処分してくれていた。

 おぉ、意外と面倒見がいい。


「野田君がファントムウイルスにやられてても、ぜんぜん驚かないわー」


 主任は呆れ顔をしながら介護日誌を書き始めていた。

 さすが主任。次の業務までの動きが滑らかかつ隙が無い。このフロア主任一人でも無双できるな。


 すると、突然、主任は手を止め、「あれ?何か聴こえた??」と言い、形の良い耳に手を当てた。


「なんか声みたいなのが聴こえたんだけど」


 んんー?何も聴こえないぞ。僕は気に留めず、おむつのお礼を言って次の仕事にそそくさと移った。


 その時の僕には、この出来事が自分の未来にも大きく関係してくるとは想像もできなかった。



 僕は苦手な人間はあまりいないんだが、主任のことは少し苦手である。

 どういうわけか主任の前ではいつも以上にミスをしてしまう。

 経験上それが分かっていたので朝から小動物のように恐怖で震えていたのだ。


 できないと見てくる親・上司の前ではやっぱりできない。

 だけど、できると見てくれる人の前ではなぜかいつもよりできる。

 そんな経験、誰もがしたことがあると思う。



 ただ、主任が怒った本当の理由も何となく分かる。


 世界の現状に対し、さらに、同僚(吾郎)がまた一人死んだにも関わらず、僕に危機感が無いように見えるからだ。

 昔から、僕は環境の変化に対して異常なまでに鈍い。


 小学生の頃、クラスメイトが校庭で整列してるのを教室の中から目撃し「おおぅ、体育の時間だ」とやっと気が付くぐらいである。

 クラスメイトが着替えをしてた時から教室にいたにも関わらずこの調子である。(その時、流行っていた酒蓋でのコマ回しに熱中していたような)


 あと、吾郎の件でも感じていたが、僕は人の死というものに今いちピンとこない。


 それは人の命に価値を感じないとかではない。

 漠然とだが、人の死の先には次の何かがあるのだと心の内で思っているからだろう。


 吾郎もそうだし、老衰により亡くなっていった老人ホームの居住者も、新しい世界に行ったんじゃないかな。

 心の内側からそういう思いが湧き出てくる。




 食事を終えて、誰もいないホールの隅にトレーニング雑誌を机の上で広げるおばあ様がいる。


 仕事の合間に「ふくさん、やっぱり男の筋肉はサイコーですよね!」と、僕は話しかけた。



「ぼよんぼよんねっ」


 と、マッチョな漢の胸筋を指さして、何かをわきわきと片手で掴む謎のジェスチャーをするふくさん。


 いつものやり取りである。

 あー、癒される。


 ふくさんはマッチョな漢の裸を見るのが好きだ。

 なので、一日中、こうやってトレーニング雑誌を見つめている。

 強い認知症なので、文字を読んでいるかは不明だ。


 いつも屈託のない晴れやかな顔をしていて、こちらの気分も晴れていく。

 どうしたらあんなに晴れやかな顔のまま年を取れるんだろう。


 それで、不思議なのだが、ふくさんは強い認知症があるにも関わらず、突然、こちらの心を察したような言葉を発することがある。


「なんか不安っ?」


 僕の心臓は飛び跳ねた。


 というのも、まさにいま、世界のひどい現実と僕の呑気な精神にギャップがありすぎるんじゃないか。

 もはやこれは呪いじゃないか?


 など、考え込み、不安の中にいたからだ。。


「そうですねー。なんだか寂しい気持ちになったりなんかして(笑)」


 と、シリアスにならないよう冗談めかして言った。


「大丈夫。あんたは正しいっ」

 とだけ言い、ふくさんは漢の筋肉に熱中しはじめた。


「あ、ありがとうございます」と伝え、僕は主任のいるステーションに戻った。




 主任が赤い水筒でお茶を飲んでいたので、さっきの出来事について何気なく話してみた。


「ふくさんって不思議ですよね。

 普段は漢の裸ばっかり見てるのに、人の気持ちを読んだようなことを突然言ったり」


 口に運ぼうとした赤い水筒の動きが止まった。


「ふくさんて誰?そんな人このフロアにいたっけ、本名で教えてくれる??」



 ※人類の半数以上の減少に伴って、老人ホームも過去、各地に点在していたものとは大分変わっている。

働き手も不足し、ホームが点在しているのでは居住者へのケアが難しくなったことから、より少ない人員でケアを行うため、居住者も働き手も一か所に集められ巨大老人ホームが作られた。

野田周と主任のいたフロアはその中の一つである。

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