第13話 はぁ...死にたくない



 そこにいたのは猪?みたいな生き物だった――――だがソレは間違いなく猪などでは無かった。黒にまで見えそうな濃紺な瞳に筋肉で隆起した四肢、ところどころに見え隠れする黒い鱗。


 なによりも――――いくら少なく見積もっても俺の知っている猪の五倍はある体躯。


「え、なに?どっから現れたんだよこいつ……。いやいや、こんなの街の近くにいていいモンスターじゃないだろ…!」


 いやそもそもこの世界に対する常識というモノを自分が知らなすぎるだけで、魔物というのは大体がこんなものなのかもしれないが。


「ありえないだろ…。普通スライムとかゴブリンじゃねえのかよっ!」


「グォオオアアアアアアア!!」


 慌てふためているこちらなど余所にそいつはとてつもない速さでこちらへと突っ込んでくる。


「――ッ! あ――っぶねー!」


 明らかに軽くいなせる速さでは無いその突進を、俺は身体ごと右に転がりながらかろうじて躱す。だがそう何度も何度も避けられるものじゃ無い事は今の一度きりの攻防で明らかだった。


 (どうする…?今持ってるのは支給されたナイフだけ。あんな速さで動く巨体にナイフなんか突き立てても吹き飛ぶのは確実に俺の方だぞ)


 そもそも選択肢なんてあって無い様なものだった。


「魔法しか……無いよな!――ッファイヤーボール!」


 ドドドーンッ


 俺の手から三つの火の玉が放たれる。一見当たった様には見えたがその衝撃によって舞い上がった土煙のせいでいまいち状況が掴めない。

 その間に様々な情報が俺の頭の中を駆け巡る。


(もしあれでダメージが無かったらどうする?今の俺には必殺技なんて呼べる物は存在しない。明らかな格上であるあいつを相手に勝つイメージがどうしても湧かない……)


「多少はダメージ入っ「グギィアアアアア!!」なっ!効いてない!?――――ガッ!」


 それは一瞬の出来事だった――――土煙を掻き分けとんでもない速度で突進してきた黒猪。まるで先程までのがただの威嚇だったかの様なその速さに俺は為す術も無く吹き飛ばされた。


 瞬間、今まで生きてきた中で到底味わった事の無いレベルの激痛が俺を襲う。


 ――――だがそれも当たり前。地球で普通に生活をしていたならこんな化け物を目の前にする事なんて無い。更には牙を向かれ、突進され吹き飛ばされるなんて事もある筈が無いのだから。


「――ッフ…ッフ…」


 (やべぇまじで……上手く呼吸が出来ない)


 トラックに正面から突っ込まれたらこんな感じなのだろうか。

 そんな想像をしてしまう位のとてつもない衝撃だった。


 既に奴は再度こちらへと体勢を向き直し、今にもとどめを刺しに来そうな様子。明滅する視界の中で努めて冷静に状況の把握に勤める。


(どうする?次は多分無い。もう一回食らったら確実に――――死ぬ)


 まるで走馬灯かの様に色々な事が頭の中を駆け巡り加速していく思考。


(他のステータスより幸運が低かったのはこういう事だったのか?

 わざわざ異世界くんだりまで呼ばれて無理やり勇者をやらされて、誰にも感謝されずに腫れ物みたいに扱われて、挙句の果てに最初のクエストで一人で野垂れ死に……?)



「………ざ――ざけんじゃねえぞこらぁ!」


「グォオオオオオオオアアアア!」


 この世のあまりの理不尽さに憤慨し、無理やりに身体を奮い立たせる。

 そうしてギリギリの状態で立っている俺に、明確な死が形を成し迫ってくる。


 死ぬ?――――俺が?


 こんな所で死ぬのか?俺は魔王を倒すんじゃないのか?こいつは一体なんだ?ただのモブなんじゃないのか?

 あらゆる疑問が頭の中を反芻する。そして導かれた答え――――



「―――いーや死なないね俺は……。死ぬのはお前だろ。どう考えても」


 恐怖やらなんやらが一周回ったのか、何故か不思議と頭が冴えてくるのを感じた。


 宮廷魔術師達が使っていたのと同じ程度の魔法だから効かないのだ。

 何故なら彼等ははただの人間。どうして勇者である自分が彼等と同等の魔法を使わなくちゃいけないんだ?

 どうして実際に見た事あるレベルじゃないと使えないと思ってた?


(思い出せ。最初に玉座の間で無意識に出したファイヤーボールだってあの魔術師より数が多かった筈だろ)


「――――勇者なんだろ?俺は……」


 周りの規格に収まる者を人は勇者などとは呼ばない。普通の者とは一線を画す――――規格外だからこそ勇者なのだ。 


(……出来る。出来るさ)


 向かってくる化け物に向け俺は手をかざす。俺のスキル【Realization】には本来呪文も魔法名すらもいらない。必要なのはイメージただ一つ。


 ――――想像するは全てを焼き尽くす"煉獄の槍"


 王宮の魔術師達が使っていたファイヤーランスの様なあんな小さな槍じゃない。目の前にいる化け物と同じぐらいの巨大な槍だ。

 奴に炎をぶつけるんじゃない、奴を炎で飲み込む。それぐらいの炎じゃなければきっと奴は殺せない。


 こいつを殺せるなら今はもう空っぽになったっていい……俺は――――まだ死ねない。

 あの人を不安にさせたまま別の世界で死ぬなんてあり得ない、許されない。


 目の前の化け物は自分が負けるだなんて一ミリも思っていないのだろう。さも自分こそが捕食者側であると信じてやまない様子。

 矮小な生き物如きがどう足掻こうと自分に届き得る筈が無いと。そんな絶対的な自信が垣間見える。そしてそれらが余計に俺の神経を逆撫でしてくれる。



「いいぜ。――――目にモノ見してやるよ。」


(正真正銘今の俺の全力。これに耐えれたらてめーの勝ちだ。そん時はもう黙って食われてやるよ)


 瀕死だと思っていた獲物から突如放たれた異様な空気を察知したのだろうか。黒猪は今までで一番の巨大な咆哮を上げ、今までで一番の速さの突進でこちらの息の根を止めにかかる。

 間違いなく一世一代の大勝負。命がかかったこの場面、不思議な高揚感や未だ微かに残る恐怖、それら全てを吹き飛ばす様にこちらも負けじと吼えた。


「グゥオアアアアアァアアッッ!!」

「てめぇが死ねぇぇええええッ!!」


 視界を覆う程の眩い光と共に魔法は発動した―――2、3メートルはある奴の巨体を超える程の大きさの炎の槍が俺の手より放たれる。

 その炎はとても綺麗で――――どこか神秘的にすら見えた。


 もしもこれがただの見掛け倒しに過ぎず中身は全然大したことのない魔法だったなら、俺はそのまま奴の突進を食らい死ぬだろう。

 だがそれでも、これで負けるのならどうしようも無かった。そう思える程には全力を出し切れたと思えた。

 その証拠に、もう立っているのもきつく感じる程の喪失感に全身が包まれていた。


「……うっ‥」


 魔法と奴がぶつかる寸前、ついに視界までもがぐらつき出した。


 ――――やがて視界はぼやけ、ホワイトアウトを始める。


「あーあ、ほんとにからっぽになっちまっ――」


 巨大な炎の槍があの化け物を飲み込む。そこまでを見て、俺はついに我慢出来ずに地面へと倒れた。



 ――――そして俺の意識はそこで途絶えた



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