第28話 『福音』、そして少女は紅蓮の長髪を靡かせる
「
「……そっか、それ以上は知らないんだ。―――じゃあ、『福音』も知らない?」
「福、音……? ローリエさん、いったいさっきから貴方は何を言って……?」
クリスティアは怪訝な面持ちでベッドに寝そべるローリエを見つめる。彼女はクリスティアを見つめ返しており、瞳の奥には理知的な光が宿っていた。
しかも普段の彼女のおちゃらけた雰囲気とは異なり、今の彼女はどこか冷たいようにクリスティアには感じられた。
唐突に浮き出たローリエの二面性。二人きりの場で、加えて近くでクリスティアが猜疑心を抱きながらも身が竦んでしまうのは当たり前だった。思わずクリスティアは椅子から立ち上がると震えながら後退る。視線は目の前のピンク髪の少女に固く固定されたままだった。
ローリエはゆっくりとベッドから頭を起こす。
「『福音』っていうのはね、
「人ならざる、能力……?」
「そう、先天的もしくは後天的に『ラッパの祝福』に恵まれた存在。……クリっちが幼少期の頃から
やがて彼女はベッドの上から降りる。清涼さを含む可愛い声。俯いているので表情は良く分からないが……。
しかしクリスティアの耳朶に響くその言葉の節々には抑揚が無く、とても不気味に聞こえた。
「ローリエさん……、貴方は、貴方は先程から何を仰っているのですか……? 『福音』や『ラッパの祝福』とは、いったい……?」
「―――心当たり、ない?」
「ひっ……!!」
クリスティアの目の前にいたローリエがいきなり背後に出現。クリスティアの耳朶に流し入れるかのように耳元で囁いた。
それは普段のおちゃらけたローリエにしては甘く、そして色情が見え隠れする妖しげな声。どんな表情をしているのかは見えないが、きっとそれも彼女の一面なのだろうとクリスティアは複雑な感情を抱きつつ視線を空中に彷徨わせるしかない。
―――だが、クリスティアは頭の片隅でカチリと最後のピースがはまる音が聞こえたような気がした。
「マリーゴールドの、花言葉……!」
その事実にぶるりと身を震わせるクリスティアだったが、心臓を掴まれたかのように動けない。
思えば、ローリエの行動には不審な点がいくつかあった。
「―――ま、さか……っ、ローリエさんだったんですか……!? 貴方が、第三皇女である私の命を狙っていたのですか……っ!?」
「ウチが最初に質問してたんだけどな。……ま、いいや。答えてあげる。それに関しては半分正解で半分ハズレだね」
そうしてローリエはクリスティアの身体からゆっくりと離れる。クリスティアは不可視の圧力から解放され大きく息を吸うが、それに構わずローリエは医務室内をすたすたと歩く。そしてベッドの端に腰掛けた。
彼女は口元を三日月状に曲げながらうっすらと笑みを貼り付けていた。その猫のような瞳で皇女を真っ直ぐ射抜く。
「一年前、ウチがこの魔剣学院に潜入したのはクリっち―――クリスティア・ヴァン・レーヴァテイン第三皇女の噂の真意を確かめる為だった。そして観察した結果、それが事実だと判明したから、外部の『影』と協力してこうしてウチがこの場に立っているってワケ」
「外部……? そもそも、噂などと何を根拠に……!?」
「あっはは♪ 隠さなくたっていいよ! ―――ウチ、クリっちが福音を発動するの隠れて見てたんだー。学院で一人で鍛錬してる時とか、Sクラスのリーリアと戦っている時にねっ!」
「……ッ!!」
「あれは
「あ……っ」
ローリエの指摘に呆然とするクリスティアだったが、彼女はそのまま言葉を続けた。
「
「【
「さっき言ったでしょ? 『ラッパの祝福』より賜った力だよ」
【
なにせゼロクラスに所属する仲間ローリエが実は以前から自分の命を狙っていたのだ。しかもその者の口から『福音』『ラッパの祝福』『【
いくら聡明なクリスティアでも、自らの命を狙う者と二人っきりの状況で冷静な思考を組み立てることは難しかった。
ローリエはそんなクリスティアの戸惑いを見透かしたかのように笑みを浮かべる。そうして優しげな瞳で彼女を見据えた。
「―――ねぇクリっち、ウチたちのとこにこない?」
「え……?」
「学院に脅迫状……第三皇女の殺害予告を送ったのって、実はそんな貴重な『福音』を持つクリっちを死んだことにして組織に迎え入れる為なんだよねー。ウチたちならクリっちを不当に扱ったりなんかしないし、蔑んだり皇女として安易に期待を背負わせたりもしない。……でもその代わりね、その『福音』の力を使ってウチたちに協力してほしい事があるんだー」
「それは、いったい……?」
「”悪神アスタロトの復活”、だよ♥」
「………………は?」
今度こそ、ローリエの言葉に頭の中が真っ白になる。クリスティアはもはや理解が追い付かず、目の前の彼女が言っているのか分からなかった。
当人はなんてことないように上目遣いでクリスティアを見つめている。まるで自身が口にした言葉が正しいとでも言うかのように、
何故ローリエがそんな悍ましいことを口にするのかと、クリスティアは愕然とする。
その"問い"に対し"解"を得るのは、同じゼロクラスのクラスメイトだとしても、自分を狙う何者かであっても、クリスティアにとって彼女の胸中や人となりを知る時間が短かった。
「クリっちの福音の力があれば来るべき日がぐっと早まる。ウチらとしても時空の封印を解く『鍵』の覚醒は最重要事項なんだ。だからねクリっち。ウチと一緒にいこう? 組織は貴方を歓迎する。―――貴方が必要なの」
「お断りします」
「え……?」
クリスティアを求めて手を空中に伸ばしていたローリエだったが、ピシリと固まる。
強い意思が秘められた声。真剣な眼差しや表情。
そこには、彼女の中に燻ぶる覚悟や信念がこれまでよりも一層輝いていた。断られるとは思っていなかったローリエは、目の前の彼女を思わず見開いたまま凝視する。
そのままクリスティアは言葉を続けた。
「確かにローリエさんの提案は魅力的です。こんな出来損ないな私を必要としてくれているのですから。以前の私ならば認められたいが為、誘惑に打ち勝てずにそのまま頷いてその『福音』……『【
「………………」
「でも私は、ようやく自分の進むべき道を見つけたのです。その先に、掴みたい光があるから―――!」
「………………」
そう力強く言い放ったクリスティアは、ある一人の魔剣使いの青年を思い描いていた。
出会いはそれこそ偶然だった。最初は彼の剣技にただただ憧れた。だが教師として、クリスティアを守る帝国軍の人間として、魔剣使いとしての在り方や強さを見せつけた彼に、より一層強い憧憬や自らが強くなる可能性という希望を抱いたのは間違いないのだ。
なおもクリスティアは手を胸に当てながら言葉を続ける。
その瞳には、決して己の弱さから逃げようとせず、自分や期待してくれる人の為に強くなろうと現実に向き合おうとする覚悟や誇りの高さが伺えた。
「私はこのレーヴァテイン帝国の第三皇女、クリスティア・ヴァン・レーヴァテインです! この帝国の地に住む民を守る責任のある私が、立場を放り投げてローリエさんについて行くわけには参りません! なによりこのアンタルシアに魔獣が蔓延る原因となった、悪神アスタロトの復活を目的とする組織になど言語道断です!」
「……ふぅーーーー。そっ、かー……。そっかそっかぁ……。残念、残念だなぁ……」
ローリエはベッドからゆらりと立ち上がる。幽鬼のようにふらふらと身体が揺れるが、俯いているので表情は良く見えない。
だが、次の瞬間。
「―――じゃあ、死んで?」
ローリエが顔を上げると、俊敏な動きでクリスティアとの距離を一気に詰める。表情は全てを消し去ったかのように無表情。手にはいつの間にか抜いていたのであろう、二振りの魔剣ジェニミが逆手に握られていた。
クリスティアは腰元の魔剣精クラリスに手を伸ばすが、間に合わないと判断。無駄な抵抗だと思いつつも、ぎゅっと目を瞑りながら両腕で顔を庇うが―――、
『―――
クリスティアに襲い掛かるローリエを遮るように、球体状の赤い炎が物凄い速さで少女らの目の前を過ぎ去る。それは医務室の壁に衝突すると、黒く焦げた跡を残して消えた。
「なっ……!?」
「チィ……ッ!!」
驚愕するクリスティアとローリエ。何事かと射出方向に視線を向けるとそこには医務室の扉があり、その中心にはぽっかりと拳ほどの大きさの穴が空いてあった。
それを二人が認識した瞬間、突如先程のような球体状の炎の弾が医務室の頑丈な扉を突き破って、勢いよく大量に降り注いだ。
―――
「マジかぁ……ッッ!??」
「キャッ……!」
その炎の弾には追尾機能が備わっているのか、医務室の扉をあっさり突き破ると直線だけではなく放物線を描きながらローリエだけを襲う。
瞬時にローリエはクリスティアから後退。その小さな体躯で縦横無尽に広い医務室中を掛け回りながら額に冷や汗を浮かべて必死に避ける。
背をしなやかに逸らし、手に持った魔剣で自らに襲い掛かる炎の弾を切り裂く。
その行動を幾度も繰り返し、ローリエがなんとか全ての炎の弾を捌き切ったときには彼女が身に纏う制服の端々が焦げ付いていた。
クリスティアには目もくれず、荒く息を吐きながらローリエは医務室の扉を
『―――
既に穴だらけだった扉だが、真っ赤な紅い焔の柱に包まれる。垂直に発動したソレは建物を突き破り、破壊を以ってして爆音を轟かせた。
「くぅ……!?」
「きゃあ……!?」
灼熱が伴う風が少女らを舐めとるように撫で付ける。医務室の内部はもう悲惨で、医療用品などがあちこち散らばり、壁には小さな亀裂が所々入っていた。
空気を侵食する白い煙はまだ晴れない。―――だが、とある女性の声が響いた。
『あーあ、コレって修繕費いくらかかるのかしら。面倒だったから
あっさりとした口調でそう言い放つ声の主だったが、途端に煙が晴れる。
―――そこには一人の少女が佇んでいた。
身に纏うは帝国軍の純白の制服、漆黒のフレアスカート。ガーターベルトが覗くすらっとした脚には黒いストッキングに包まれている。その可憐な装いにより、その透き通るような白磁肌は際立っていた。
彼女は紅蓮の長髪を優雅に指で払うと、その強気な瞳で二人の少女らを射抜く。
『―――さぁ、ミリア姉様のクラリスを持つ第三皇女の顔、拝ませて貰おうかしら?』
挑戦的な笑みと共に凛とした声が一人の少女から紡がれる。
ヴァーミリオン公爵家令嬢でもあり帝国軍帝国特務師団長でもある才女、レイア・ヴァーミリオン。
―――
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