君が見た景色

吉田優蘭(ユーラ)

【前編】-cantabile.-

 こんばんわ、そしてごきげんよう。

 唐突だけど、あなたは、子守唄はお好きでしょうか?


 いいえ、嫌いな人なんてきっと居ないはず。

 あなたが覚えていないだけで、あなたが幼い頃、それは寝る前に聞いていたはず。

 あなたが気づいていないだけで、あなたは誰かの腕に包まれて、耳にしていたはず。


 そう、これは【子守唄】。

 私が、あなたに伝えられる物語は子守唄のように優しく、温かなものなのだから。


 でも、彼女にとっては人生そのもの。紆余曲折があり、岐路があり。時には傷ついて、泣いて、悲しむこともあるかもしれない。

 自己を確立し、何事にも根を上げず、胸を張れることもあるかもしれない。

 ひょっとしたら、諦めてしまうこともあるかもしれない。


 でもどうか、安心してほしい。

 あなたは聞いているだけでいいのだから。

 彼女が選んだ道を、どうか聞き届けてほしい。私はただ、静かに、その語り部となろう。


 さぁ、目を閉じて。耳を傾けて。

 彼女が感じた気持ち。彼女が抱いた疑問。彼女が見た景色。それを赤裸々に語ろう。

 解釈の仕方はみな違う。

 だから、あなたなりの真実を見出して欲しい。それによって、あなただけの、物語となるのだから。


 それでは、始めましょう……。


 タイトルは………、


 【君が見た景色】


(fine.)

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~


 想像してほしい。

 ここは、緑の美しい自然に囲まれた小さな村。村の人はみな、自給自足で生活していて川へ行けば魚を捕り、林へ行けばイノシシを狩ってくる。

 畑を耕して穀物を収穫する人もいれば、野菜を栽培する人もいる。力仕事は、山の麓で鉱石を発掘する男たちもいた。

 日が昇れば目が覚め、日が沈めは床に入る。時間や、年月といった概念は無く、とてもありふれた日々の名残。

 生きるために食べ、生活するために身体を動かす。人々の喧騒も、家の中の談笑も、全て全て、生命の息づく証。輝かしい光景。


 まずは、この物語の背景を理解するところから始めよう。

 あなたの生きる世界がどういうものであるか、それは今は忘れて欲しい。この世界に息づく人々は、この日々の中で満ち足りていて、私たちの世界とは何ら関わりは無いのだから。


 さて、この村の名前は【ウィッカ】。

 なぜウィッカ村というのかは、後述する。村の周りは山が囲み、平原も広がっている。山の麓の林はイノシシが多く生息していた。

 そして、反対側には深い森が広がっている。村の人々は林に猟へ出掛けたり、川へ行く以上に遠くへ行くことはしない。遠出をしなくても生活をしていけるからだ。

 それに関して興味を持つ者もおらず、逆に、深い森には【ある儀式】の時以外は近寄ってはいけないという戒律があった。


 その【ある儀式】とは、成人の儀のことである。

 この村では、18歳になった女性は成人の儀を行うことになっており、18歳になった女性……いや、少女は魔女が住むという深い森へ一人で行かなければならない。

 それは3日3晩の旅路であり、古くから行われてきた儀式なのだ。

 おそらく魔女と聞くと、負の象徴であるとか、不可思議な魔法を使う邪悪な存在だと思うだろう。でも安心してほしい。

 この森に住むのは、いわゆる【黒魔女】ではなく、【白魔女】である。その違いは、元のイメージとの対比で構わない。

 決して恐怖たる存在ではないことを念を押しておこう。


 ここまでの説明で聡明なあなたなら、なぜ村の名前がウィッカなのか想像が付くだろう。

 本来のイメージ【黒魔女】であるなら、ウィッチであったはず。しかし、この森には【白魔女】が住む。ゆえに、ウィッカと名付けられた。

 ここに住む女性たちは皆、その成人の儀を終えて今に至る。未だかつて死人が出たとか、森で行方不明になったという報告は無い。皆、胸を張って生きている。


 それでも……。

 年頃の少女の胸中は、察することが出来るだろうか。この村では、成人の儀以外での遠出の機会は皆無といっていい。

 初めての遠出、初めての深い森。話でしか聞いたことの無い【魔女】という存在。不安を抱くのも無理は無いというもの。噂に聞く魔女の話。そして、母親が伝える成人の儀の仕方。

 それは【何が正しい】というものは無いのである。つまり、それぞれが、違う経験をして帰ってくるのだ。

 いや、【何かをする】というのは語弊があるかもしれない。【何かを考える】が正しいのかもしれない。


 この成人の儀というのは、一人で森へ訪れ魔女と会い3日3晩生活を共にするということしか決められていない。

 途中、1日で帰ってきてはいけない。成人の儀を拒んではいけない。……などという制約はないのだ。

 かといって、今まで成人の儀を放棄した女性もいなければ、3日を待たずに帰ってきた女性もいない。皆が皆、違う経験なれど立派に成長して帰ってくる。


 それが即ち成人したということ。3日後に帰ってきた娘の表情を見れば分かるだろう。胸を張る子もいれば、にこやかに微笑む子、少しの憂いを覚えた大人びた瞳。

 しかしどの子も【成長した】のだ。

 母親は娘にこう伝える。大丈夫、あなたらしく生きなさい、と……。


 そう背中を押された娘が、今年も一人居た。

 森の新緑に染められたかような翡翠色の髪は、首に掛かるくらいの短さで、片方の横髪が右頬を撫でるように伸びている。背は低くて、線は細い。けれども、川の水のように透き通る白い肌はとても美しい。控え目な性格なのだろう、母からの言葉も不安という陰に気圧されて、ぎこちない笑みを浮かべていた。

 彼女の名前は、エリスメルト・ロニクール。親しい者はエリィと呼び彼女を可愛がっている。


 余談だが、ここではあえて【エリス】と呼称しよう。

 物語を読み終えた後、なぜエリスと呼んだかは思考してほしい。エリスのその表情で母親も分かるだろう。

 だから無理にとは言わない、あなたが決めて良いのだと言う。しかし、刻限はもう明日にまで迫っている。答えは今晩中に出さなければならない。

 補足をするならば、成人の儀の決まりは一つだけと前述したが期日は人生で一度きり。決められたその日から3日間ということになっている。その日は前後することはない。


 その日とは、自分が生を受けた日――。

 それは一生に一度であり、前後するはずもない。故に、その日は刻限であり最も適した日と言える。自分が生まれてから丁度18年後、少女は未知の世界へと旅立つのだ。

 いや、【巣立ち】とも言えるだろう。そんな巣立ちの日を明日に控え、エリスの胸中は期待と希望で一杯……とはいかなかったのだ。

 エリスの立場になって想像してほしい。心の準備があったにせよ無かったにせよ、未知とは不安で一杯なのだ。

 時にそれは、挑戦であったり、期待であったり、胸がすくような高揚を覚える人もいるかもしれない。

 しかし、エリスにとってそれは恐怖だったのだ……。自室のベッドの上で枕を抱きながらエリスは思考する。


『怖い……。どうして一人であんな深い森へ?お母様は自分らしく生きなさいというだけで、魔女については何も教えてくれない。【魔女】とは一体どんな存在なのだろう? 姿は? 人柄は? いやそもそも、人であるの? 魔女 というのは名ばかりの、概念なのでは? 私を試すために大人の誰かが先に森に入り、私を待っている? ひょっとしてそれは、お母様? いやいや、本当に【魔女】なんていたらどうしよう……。知らなかった……。いいえ、知らないことがこんなにも私を臆病にするなんて。私は無知だ。外の世界のことを何も知らない。森のことも、魔女のことも、知らないことだらけ。それが、怖い……』


 エリスが未知に対して感じたのは、【恐怖】。

 まだ見ぬ恐怖が彼女を陥れるのだ。さらに、刻限は明日の朝までという状況でエリスの心は不安で押しつぶされそうになる。

 想像して欲しい。未知に対して恐怖を覚えたことはあるだろうか?


 何事も人は万能ではない。そして初めから全知などということもない。

 つまり、人は誰しも初めは無知なのだ。それは経験や慣れを通して克服していくものだが、エリスにはまだそれが無い。怖い怖いと思い込むことが、さらにエリスの心を蝕んでいる。

 人は思い込むことに脆い。時にそれは、良き方へ傾くこともあるが逆も然り。自身の思い込みが身体に影響を及ぼすこともあれば、脳の意識を増長させることもある。

 これを、【プラシーボ効果】という。

 エリスは恐怖で頭を満たし、心をも満たそうとしている。そこから抜け出すには一つしかない。意識を別の方向へ向けるのだ。希望的観測へ。


『きっと、魔女なんて居ない。それは概念的な存在であり、成人の儀とは一人立ちを促すための試練であり経験をさせるもの。お母様はよく本を読んでくださって、童話もたくさん知ってる。そのお話に登場する【魔女】は、どれも恐ろしい存在であると吹聴しているから、私の心に住みついているだけ。本当は、怖い魔女なんていない。それにほら、あの森に住む魔女は【白い魔女】だから、私を脅かすことはしないってお母様も言っていたもの。それでも……。もしも、魔女という存在が出迎えてくれたとしても白魔女であれば何も怖いことなんてないはず。うん、きっとそう』


 そう、思い直すエリスの表情は少しだけ和らいだように見える。誰しも希望的観測を抱くだろう。そんなささやかな願いが叶うといいなと、夢想する。

 仮に、そうして得られた幸運があった時、これを【ピグマリオン効果】と呼ぶ。

 余談だが、これはギリシャ神話の逸話に由来すると言われている。古代ギリシャにおいて、キプロスという街で活躍したピグマリオンという彫刻家の話である。

 読んだことが無ければ、ぜひ読んでほしい。


 さりとて、まだ結果はこの時点では得られていない。

 だからまだピグマリオン効果とはなり得ていないのだ。それでも、エリスの心を明日に向けさせるには十分だったようだ……。


 さて、ここまでが前夜の出来事。

 人の心とは本当に面白い。思い込むことに脆く、それでいて耐えうる強さもある。決して人は弱くは無い。それは、18歳という少女の心にも芽吹いている。

 同時に、物事には心を含め【二面性】を有することがお分かり頂けただろうか。

 不安と期待、無知と憧れ、恐怖と希望。表が向けば裏が存在するように。光が差せば、影が落ちる様に。

 今見ているものが全てであると思うのは、とても危険だということ。

 誰しも人生を歩んでいく中で、着実に、確実に思いを巡らせる。それがいつであるか、幾度とあるか、それはみな違う。その中で思考し、解を求める。それが確証のあるものでなかったにせよ、自分を納得させるものであるならそれでよしとする。


 彼女は18歳という人生の節目を向かえ、不安だったのだ。

 これから先の自分、これから先の事、これからの未来に―――。

 その不安を、希望的観測で自分を納得させた。心は揺れても、安寧を求めるのだから。

 でも、ほら……。

 いや、これはあなたの想像に委ねよう。彼女が明日を控え、どんな表情で寝息を立てているのかは……。



 さて……。

 ここで、時間軸は少し先の未来。結果から語ろう。エリスは成人の儀を行い、3日3晩を体験して村に帰ってきた。その表情は、あなたにはどう見えるだろう?

 エリスは何を見、何を感じ、何を得たのか。エリスは【成長した】のだろうか。

 見方を変えればそれは、大人びたと見えるかもしれない。あるいは、エリス本人ではないのかもしれない……。

 森に住むと云われる白魔女は、一体エリスになにをしたのだろうか。

 心して聞いて欲しい。エリスが村へ戻ってきた時、最初に口にした言葉は……。


【私は、魔女を殺しました。】


 いまだかつて、このような言葉を残した人がいただろうか。

 成人の儀とは、精神的な成長を促すための【きっかけ】であって、儀式という形であるだけ。

 かつての少女たちは様々な体験をして、言葉こそ違うけれど【成長した】とひと目で分かるほどだった。

 決して、このような驚愕を覚える言葉を口にしたことはなかったのだ。しかし考えてほしい。

 【殺した】とは、如何様にも取れる。あなたには、エリスの表情はどう映っているだろうか。

 三日月のように口が切れ上がり、殺人という美酒を飲んでしまったような?

 廃人形のように虚ろで、糸で操らないと快活に動けない程の脱力感?

 もしくは堰を切ったように涙を零し、痛々しいくらいに肩を震わせる姿?


 そう、人には【感情】というものがある。虚無すらも感情であるならば、人には【無感情】という言葉は当てはまらない。

 その感情とは、表情であり情緒でありヒトである。

 あなたも意識があれど無かれど、人に感情を表現している。ならば、エリスも感情表現をするのは必然。その感情とは一体どんなものなのか、それを想像してほしい。


 逆に、文章という文字を見て感じ取れることはあるだろうか。……少なからずあるだろう。

 声という音を聴いて感じ取れることはあるだろうか。……たくさんあるだろう。

 では、エリスの表情を見て、あなたは何を思う?……いや、質問ばかりでは頭も抱えてしまう。


 つまりは、エリスが【何を伝えたかったか】ではなく、【あなたはどう思ったか。】

 それを重視してほしい。それが、この物語を通して私が一番伝えたいこと。

 あなたなりの真実を見出せたなら、今度はそれを咀嚼して、それからこの物語を結んでほしい。

 そうすることで、このお話も、エリスもきっと笑顔になれるはずだから……。


 さぁ、これで前置きは終わりにしよう。

 この物語の世界観と、そして私があなたに伝えたいこと。それから、あなたの【心の在り処】を理解したなら大丈夫。

 ここから先は、エリスの見た景色を追っていこう……。

 

 ……一緒に。


【前編】-cantabile.- 了。

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