霊能力者紅倉美姫26 BANZAI

岳石祭人

一、旅行


 結城昌一にとってその沖縄旅行は最初からあまり楽しいものではなかった。

 十月という南国に遊びに行くには中途半端な季節であり、そもそも旅行代理店に勤める姉の旦那の、足りない営業ポイントの穴埋めに無理矢理参加させられたパックツアーだ。実際地元地方空港に集合してみると、三十名ほどの参加者のほとんどが会社を定年退職したおじさんおばさんばかりだった。仮にも二十代は昌一と、旅行代金を姉に折半させて無理矢理誘い出した女友達の美尋(みひろ)だけだ。彼女ともつき合いは長いが恋人ではない。

 沖縄に着いて、二泊三日のツアーが始まると、美尋は文句ばっかり言っていた。

「沖縄旅行って言うからさ、少しはリゾート気分が味わえるかと思ったのに、なに? ぜーんぜん、つまんない〜〜」

 彼女が文句を言うのも分かる。天気は雨。観光バスで回るのは植物園や伝統の黒砂糖工場見学という地味なものばかりで、本土の人間がまともに喜びそうなのはグスクと呼ばれる累々積まれた城の石垣くらいだが、それもこの雨では、である。彼女の文句に付き合わされて、昌一も

(もうちょっとまともなツアー組みやがれよな)

 と義兄の旅行社のセンスの無さを恨んだ。

 文句たらたらの一日目が終わり、ホテルだけは、季節外れで空きがたくさんあるのだろう、プライベートビーチ付きのリゾートホテルだった。とは言えここも雨の夜で散策する気にもならず、若い男女が一つの部屋で万が一を期待したが、

「沖縄ってテレビ三局しかないわけ? つまんないの〜」

 と、ここでも文句を聞かされるだけで、

「つまんない。お休みなさーい」

 と、さっさと寝られてしまった。

 本当につまらない旅行だ。


 二日目がまた最悪だった。

 空には暗い雲が立ちこめ、昨日ほどではないがまだ雨が降っている。

 二日目の観光バスツアーの目玉は海に突き出す断崖絶壁、万座毛(まんざもう)だが、その前に「ひめゆりの塔」と「旧海軍司令部壕」を見学した。

 太平洋戦争末期の「ひめゆり隊」の悲劇は有名であるし、「旧海軍司令部壕」は当時のままの暗い防空壕の中へ長い階段を降りていき、重っ苦しい迫力があった。

 ドライブインの大きな食堂でどこでも代わり映えのないフライ定食の昼食をとり、市街地を移動するバスの中でガイドのお姉さんが

「このすぐ向こうに皆さんもよく名前を聞くと思いますアメリカ空軍嘉手納基地が広がっています」

 と、周辺の騒音被害や、米軍機の離発着がいかに危険であるかと熱の籠もったガイドをした。要するに本日は沖縄と戦争について学ぶツアーのようだ。気が重くて、美尋など文句を言うのもうんざりしてすっかりふてくされてしまっている。

 万座毛に着いた。

 ここから眺める夕日の海は素晴らしいそうだが、まだ三時だし、雨はなんとか上がったがこの厚い雲では今日は夕日は出ないだろう。

 海に突き出した崖は、横から見ると先の方に大きな穴が貫通していて、ゴロッした岩肌と相まって、象のようにも見えるし、骸骨のようにも見える。

 晴れていればさぞや美しい青い海が広がっているのだろうが、残念ながら空も海も重い鉛色だ。

 万座毛の名前の由来は琉球王国の王様が「一万人が座れる広い原っぱであることよなあ」とか言ったことだそうだが、必殺バスガイドのお姉さんによると、

「ここは沖縄本島の三大自殺名所の一つになっています。先の方に立って下を覗き込んで、あちらの方へ引っ張り込まれたりしないようにお気をつけください」

 だそうで、まったく笑えない。

「沖縄戦に置きましては激しい戦火に追い立てられ、苦しい状況に追いつめられた多くの人たちが毒をあおったり、刃物で刺し合ったり、首をくくったりして自ら尊い命を落としましたが、午前中回りましたひめゆりの塔近くにあります喜屋武岬(キャンみさき)の荒々しい断崖からは多くの人たちがその身を投げてお亡くなりになりました。

 ここ万座毛でも同じく多くの方々が身を投げてお亡くなりになっています。

 えー、写真を撮る際には、ゲストの方がいっしょに写ってしまう場合がありますのでご注意ください」

 まったく笑えない。

 しかし、

 いかにもこちらの人らしいちょっと濃いめの顔立ちをしたおガイドの姉さんはニコニコと冗談交じりに説明しているが、それが現在の沖縄の人たちの立場と心情なのだろうと昌一は思った。

 戦闘機の大きな軍空港が市街地を占拠し、その危険性と沖縄の地の極端な軍事負担をいくら訴えても、日本国政府は言葉だけの美辞麗句を並べるだけで、何もしてくれず、沖縄の人間たちも、日々の生活という現実の前に「基地のある町」という現実に妥協して生きて行くしかない。

 同じ沖縄と一口に言っても、基地のある地域とない地域ではその意識に大きな差があるそうだ。ましてや本土の人間をやだ。

 昌一は申し訳ない思いがしたが、

(でも、金払ってわざわざ説教されに来たくはないよなあ)

 と正直思った。

 断崖は下部が波に浸食されてゴツゴツと凹み、周りは浅い珊瑚礁の底が見えている。そこへ飛び降りる様を想像するとゾッとして気持ち悪くなった。

「せっかくだから先まで行ってみよう?」

 美尋に誘われ、昌一は広い芝生の原を歩き出したが、さっきのイメージのせいか途中で貧血を起こしそうになってギブアップした。

「悪い。俺、無理。おまえ一人で行ってくれ」

「ええ? あんた高所恐怖症?」

 美尋はあざ笑い、

「行こうよお? 火曜サスペンス劇場ごっこやろうよお?」

 と誘った。二時間サスペンスのクライマックスでよくある刑事と犯人のシーンだ。

 昌一はしゃがみ込んで手を振った。

「駄目駄目。そんな気分じゃないな。俺ここで待ってるから、おまえもほんとに落ちないように気を付けて行って来いよ?」

 美尋は呆れて、

「あーあ、つまんないのーー」

 と、一人でプラプラ先の方へ歩いていった。

 美尋の他に半分くらいが先の方へ行っているだろうか? 後の半分は昌一同様恐れをなして麓の方で見物している。

 昌一は先へ歩いていく美尋の後ろ姿を眺めながら、彼女がそのまま断崖の向こうへ消えていってしまうようなイメージが浮かんで目を閉じると、切ないため息が出た。

 本当に気分が悪くなってきた。

 ここにしゃがんでいるのも耐えられず、昌一は駐車場に戻ることにした。土産物屋があったから、そこを眺めていれば気分も落ち着くだろう。

 道を戻ってくると、同じツアーの夫婦連れと会った。

 妻が

「あなた、こんな所でまでやめなさいよ」

 と夫を非難している。

「うん? いいじゃねえか」

 と夫は嫌な顔をする。昌一は軽く頭を下げてすれ違った。

 夫婦が揉めているのは夫の喫煙だ。

 実は昌一もずうっと気になっていた。どこへ行ってもこそこそとたばこを吸っている。今すれ違ってもプーンとヤニの臭いが濃くまとわりついている。相当のヘビースモーカーのようだ。

「あなた!」

 と妻に叱られて、

「分かったよ、うるせえなあ」

 と、夫はたばこを落とし、火を踏み消した。

 ばれてもかまうものかと昌一は横目でたばこを睨み、憤然と歩き去った。

 ガイドの話を聞いてなかったのか?

 と思う。

 どうしてこういう場所でたばこのポイ捨てなんかができるんだよ?、と。

 夫は見たところちょうど七十くらいか。

 自分と違ってまだ戦争を直接知っている世代だろうに、と腹が立つ。

 結局これが、本土と沖縄の人間の意識の違いなんだろう。

 年寄りが戦争を知らない若者を非難する資格なんてないのだ、

 年寄りだろうと、生き残って、戦争なんかすっかり忘れ去っている人間なんて、いくらでもいるのだ。



 まだ日のあるうちにホテルに帰ってきて、美尋といっしょに狭いビーチを歩いた。

「あーあ、夏に来たかったなーー」

 と、いくらか空の明るくなった海に向かって伸びをした。それには昌一も大いに賛成だ。

「いいとこなんだよなー」

 と、ザザー、と打ち寄せる波に手を晒して言う。昼間の戦争の追体験でどうにも気が重く、楽しい旅行気分になれない。

「なあ、今度は本当に夏に来ようぜ? 冬でもいいかもな?」

 行き帰りの飛行機が心配だが、昌一たちの住むのは北の雪国だ。

 美尋がにやけた顔で昌一を覗き込んで言った。

「なに? 本当にわたしと恋人になりたいわけ?」

「そんなんじゃねえけどさーー……」

 昌一は沖を眺め、ため息をつくように言った。

「なんかさあ、もっと楽しい気分にならないとさあ、この土地に悪い気がしてさあー」

 南国沖縄といえば寒い土地の昌一には憧れの地だったのだ。今は蒸し暑いだけで全然快適じゃないし、このままがっかりした気分のまま憧れの地を終わらせたくない気がするのだ。

 ちゃんと楽しんで、やっぱり沖縄はいいなあ、イエイッ!、という気分になりたいのだ。

「ふうーーん。ショーイチってさ、けっこう繊細な奴だったんだ?」

「バーカ。今さら気が付いたか?」

 昌一は笑って、

「そりゃ!」

 と水を美尋のTシャツにかけた。

「うわあっ、こらあっ! なにすんのよおっ!」

「いいだろう? すぐ乾くって。シャワーすりゃいいだろ?」

「バカショー! 喰らえっ!」

 美尋はじゃぶじゃぶ波に踏み入り、昌一向かって蹴り上げると、サンダルが吹っ飛んで見事顔に命中した。

「うわっ、ぺっぺっ、」

 昌一は口に入った砂を吐き出し、美尋は腹を抱えて大笑いした。

「てめえ、やりやがったな」

 昌一は睨み、

「シャワーゲットー!」

 と後ろを向いて走り出し、

「ああっ、待てっ、レディーファースト!」

 美尋が慌てて追い、

「へっへーん、だあーれがレディだよ?」

 昌一が笑いながら走ると、

「てえいっ!」

 美尋が脚にタックルしてきて、

「うわっ」

 昌一が砂浜に倒れると、ムギュッとお尻を踏んづけて美尋が飛び越えていき、

「へっへー、おっさきー」

 と階段を駆け上がっていった。二人の部屋はビーチに面したすぐそこ一階の部屋なのだ。

「信じらんねー女だな」

 文句を言いながらも、ようやくリゾート地に遊びに来た気分になって昌一は愉快に笑った。



 上の階にあるレストランで食事し、吹き抜けのエスカレーターを下りてくると、

「あっ、ここいいじゃん。写真撮ってやるよ」

 上りと下りのエスカレーターの間を咲き乱れるトロピカルな花々が高々と山になった生け植えがあって、そこに美尋を立たせて携帯で写真を撮った。昼間は重い雰囲気の所ばかりで、ほんの数枚しか写真を撮っていない。

「携帯貸して。ショーイチも撮ってあげるよ」

「おう、頼む」

 昌一は携帯を美尋に渡し、さてどんな風に写ろうか考え、両手を上に開いて首と腰をくねらせたベリーダンスのポーズを取った。

「あははー、ウケるー」

 美尋は画面を見て、「カシャッ」と撮影した。

「サンキュー」

 昌一は携帯を受け取り、ズボンのポケットにしまった。



 夜。

 昌一は美尋の

「ンガー」

 という遠慮のないいびきと、へそを出したはしたない寝相に眠れず、ベッドを下りると窓からビーチを眺めた。

 月が出ていた。

 照らし出された狭い砂浜に、十人ほどの人影が海に向かって整列していた。プライベートビーチは海岸に建つホテルから内陸に掘り下げられた形になっているので窓から覗く昌一には彼らの顔が前から見える。しかし月は天頂近くにあり、頭上から浴びる月光で黒い影になって顔つきなどは分からない。しかし帽子を被ったそのかっこうは、どうやら屋外活動用の制服を着込んでいるようで……回りくどい言い方をやめれば、昔の軍服を着ているようだった。色は月光では分からない。全体が暗い白に見えている。

 昌一はそうっと後ずさり、ベッドに入ると、今見た物を忘れるように眠ることに努めた。



 三日目は特産品売場でたっぷり時間を取り、お昼を食べると、もう那覇空港に向かった。何をしに来たんだか分からない、沖縄旅行の終わりである。

 那覇空港はすぐとなりにこちらは自衛隊の飛行場があり、胴の太い大きな飛行機がずらりと並んで迫力満点だ。

 空港でまたたっぷり時間があり、夕闇迫る中飛び立った小型ジェット機は、次第に夜の空へ入っていった。

 美尋は大あくびし、

「夏も半額でよろしくねー」

 と、シートにもたれて眠ってしまった。昌一は夜あれだけいびきをかいて眠っていたくせにと呆れながら、また連れてきてやろうか、今度は夏に、と思った。

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