第13話


 アーマイゼが久しぶりに実家へ帰った。ボロボロだった家は新しくなり、立派な部屋がたくさんそなえられ、アーマイゼの弟妹たちがせわしなく遊んでいた。実家帰りについてきたクモ姫が部屋中に糸をたらせば、それにひっついて猿のように遊んだ。


「きゃっきゃっ!」

「きゃははは!」

「見て見てー!」

「きゃっきゃっきゃっ!」

「すみません。なんのおかまいも出来ませんが」


 アーマイゼは母親に似たのだろう。長年、寝込んでいたアーマイゼの母親の顔色はすっかり元にもどり、普段のアーマイゼの面影を感じる。クモ姫があたたかいお茶を飲んでいると、弟のオルがアーマイゼをひっぱった。


「ねーちゃん!」

「こら、暴れないの。クモ姫様の前なのよ」

「こんにちは! 姫様!」

「こんにちは」


 クモ姫が返事をかえすと、オルがアーマイゼの腕をさらにひっぱった。


「ねーちゃん! すげーんだぜ! オルのお部屋ができたの!」

「ああ、そうかい。あとで見にいくからね」

「ねーちゃんたち、今日は泊まるんだろ!」

「そうだよ。あんたたちと久しぶりに風呂に入れるんだよ」

「ねーちゃん、クモ姫様と入るんだろ。新婚の夫婦は風呂場でいちゃいちゃするってきいたもん!」

「こら。あんた、なんてこと言うのさ。クモ姫様の前だよ」

「夜になったら、えっちするんだろ?」

「っ」

「オル!!」


 オルが笑いながら逃げていく。子供とは時にざんこくで恥しらずである。そしてとても愛おしい。アーマイゼとアーマイゼの母親がクモ姫に頭を下げた。


「すみません、姫様。弟が……!」

「しつけておきますんで……!」

「……かまわん。元気があっていいことだ」


(ぼうや、わたくしだって、したくなくて、しなかったわけではないのだよ)


 大丈夫。クモ姫の努力はだれだってわかっている。魅力的なアーマイゼの処女をうばうこと、よくもここまで我慢したと使用人たちは絶賛したいものだ。嫁が来たときいて、食べると思っていたからね。使用人たちは殺人現場の掃除をする覚悟を全員決めていた。だけれど、今や、肩をならべて、女同士であるにもかかわらず、ふたりは本当の家族になろうとしている。


「はちちゃん!」

「かわいー!」

「萌える」

「ここなでるといいんでしょ! あたち、しってる!」

「にゃん。にゃん」


 妹たちがハチをかわいがる。その姿を見て、アーマイゼがくすくす笑う。クモ姫は正直、それで満足になりつつあった。前までなら愛とは性欲を満たすためのものだった。しかし、アーマイゼが来てから、それは大きく変わった。


 肩を寄せて、

 額を重ねて、

 よりそって、

 だきしめて、

 手をにぎって、

 笑い合う。


 これで十分だった。だって、となりを見ればアーマイゼがいる。ふれないとさびしがる。やさしくなでたらアーマイゼがよろこんでくれる。今までここまでクモ姫のそばにいて、笑顔になった恋人はいただろうか。たしかに彼女は女であり、男ではない。女は男に魅了され、男は女に魅了され、そうすることによって生命が生まれる。けれど、かまわない。自分の細胞には精子細胞だってそなわってる。子供を作ることなら男でも女でも困りはしないのだ。


 ただ、アーマイゼが自分の腕の中で、笑顔で自分を見上げてきてくれるのなら、なにもいらない話というだけだ。


「クモ姫様、一緒に映画でも見ましょう」

「ああ」


 リビングに置かれたテレビでゆっくりと映画鑑賞。これも悪くない。


(ん)


 見ていると、クモ姫のとなりに指をくわえたアーマイゼの妹がやってきた。指をくわえたまま映画を見ている。目がきらきらしている。きっと彼女もアーマイゼのようになるのだろうとクモ姫は考えた。そう思えば、自然と手が伸びて、彼女をだき、ひざの上に乗せた。アーマイゼが目を見ひらいておどろく。クモ姫はなんてことない顔で、妹の頭に顎を乗せて、再び映画鑑賞にもどっている。親子みたい。かわいい。やばい。エモい。萌える。アーマイゼは思った。


(シャッターチャンス!)


 タブレットで写真を撮りまくる。クモ姫は気にしない。アーマイゼがアルバムフォルダに保存した。ああ、このフォルダ、尊い。


(子どもが産まれたらこんな感じなのかしら)

(子どもが産まれたらこんな感じなのだろうか)


 アーマイゼとクモ姫の目が合った。二人とも、なぜか、目をそらした。


(わたしたち、女同士だし)

(今じゃなくてもいい)


 子供はかわいい。


(そういえば、大臣さんたちがおよつぎって……)

(まだその時じゃない)

(たしかに、クモ姫様とそういう行為ってしたことないかも……)

(まだしなくていい)

(やっぱり、女同士だから……)

(まだ二人でいたい)

(クモ姫は)

(アーマイゼは)


 どう思ってる?


「おふたりとも、ぽっぷ、こーんは、いりますか?」

「……あ、あら、嫌だわ。母さん、わたしがするから大丈夫よ。もう、座っててちょうだい」

「いつもありがとうね。アーマイゼ。あんたは本当に親孝行の出来るやさしい娘だわ」

「母さんだってとても素敵な母さんだわ。わたしは母さんが大好きよ」

「あらあら、この子ったら」


 クモ姫はふたりの会話をききながら、指をくわえる小さな妹をやさしくなでた。



 その日の晩。



 この家にはアーマイゼの部屋もある。離婚した時のために、クモ姫が作らせたものだった。

 贅沢な家具に、ダブルベッド。使わないのは家具がかわいそうだ。クモ姫がベッドに寝そべった。


「クモひめさまっ……」


 アーマイゼがおろおろしている。


「あの、お部屋はまだあるようです。わざわざ、わたしのお部屋で、きゅうくつな思いをされなくとも……」

「だれがきゅうくつだと?」

「……きゅうくつでは、ございませんか?」

「わたくしたちは夫婦だぞ。これがあたり前なんだ。ハチはお前の弟妹たちがべったり面倒を見てくれている。夫婦水入らずの夜は久しぶりなのだから、よけいなことを考えるな」

「でも、あの……」

「いいから、こちらに来なさい」

「で、では、あの、明かりを消しますね」


 明かりを消して、部屋が闇に包まれる。アーマイゼがベッドに乗れば、ベッドのきしむ音が耳に入った。アーマイゼが寝そべった。クモ姫が手を伸ばせばアーマイゼの肩にふれることができた。自分に寄せれば、アーマイゼがクモ姫の腕のなかにすっぽり収まった。


 暗いからだろうか。あたたかいからだろうか。どうしてだろうか。


 心臓がどきどきする。


 アーマイゼも、クモ姫も、これは初夜ではない。結婚してはじめての夜は、マッサージで終わった。とても気持ちよかった。クモ姫が爆睡し、アーマイゼはソファーで寝ていた。そのあとクモ姫が何度かこころみたが、夜はアーマイゼのマッサージですべて解決した。あの時は想いなんてなかった。よりそったってなんとも思わなかった。クモ姫にとっては一時的な嫁。アーマイゼにとっては拾ってくれた主。ただそれだけだった。


 だけど、どうしてだろう。今日は思い出が鮮明によみがえる。ここは、はじめて寝るベッド。ふたりはいつも同じベッドで寝ている。別に、寝方は普段どおりだった。ただ、ちょっと、ベッドがせまくて、ふたりのきょりが近くて、アーマイゼのふところにタブレットがなくて、ハチがいないだけ。アーマイゼがハチを連れてきてから、おそらく、はじめてのふたりきりの夜だった。


「……」


 クモ姫がやさしい手でアーマイゼの頭をなでた。アーマイゼがその手をにぎって、そっと頬に誘導した。手のひらがアーマイゼの頬にふれる。あったかい。もっと感じたくなって、クモ姫が顔を近付けさせた。そうすると、額同士がこつんとくっついた。おたがいの鼻息があたる。目の前にはアーマイゼが、クモ姫が、いる。


「……」


 暗い部屋のなかで、慣れてきた目でおたがいを認識する。目だけはきらりとかがやいている。そのうつくしい目を見つめる。クモ姫から動いた。唇を寄せると、アーマイゼも受け取った。ふたりの唇が重なり、離れる。


「……」


 呼吸の音だけがきこえる。今度はアーマイゼから動いた。首をかしげて唇を押しつけると、歯があたらずに唇だけが重なった。これも何度もキスして覚えた。


「……」


 クモ姫の手が伸びて、アーマイゼの腰を掴み、顎を上げて、再び唇を重ねた。アーマイゼもクモ姫をだきしめ返し、やさしくやさしくキスをした。


「……」


 クモ姫が長い舌でアーマイゼの唇をなめた。アーマイゼの口の中から、ちらっと舌が出た。舌同士がふれあえば、もう知らなかった時間にはもどれない。どんどんその熱を感じ合い、ふれ合って、求め合い、からんでいく。


「……ぁっ……」


 アーマイゼの小さな声がきこえた。強くだきしめたくなるのをこらえて、クモ姫がふれる程度にだきしめる。こわがらせはしない。こうやってやさしくだきしめて、頭をなでるだけ。すこしこわい。でも、今、自分にふれてるのはクモ姫だから、アーマイゼはその背中にしがみつく。クモ姫が、大丈夫大丈夫と、子どもをあやすようにアーマイゼをなでれば、自然とふたりのキスが深くなっていく。たしかにこれはえっちなキスだ。弟妹にはしない、ふたりにしかできない、夫婦のキス。唇を重ねる行為が、ふれ合う力加減で、まるで、会話のようにつたわっていく。


 やばんな男の手ではない。わかってますよ。わかっているか? わかってますよ。こわくないか? 大丈夫ですよ。アーマイゼ。クモ姫様、あたたかいですね。


 手をにぎって、頬にふれ合って、足をからめさせて、キスの音を鳴らせば、クモ姫がぴくりと肩を揺らした。


「……ん……」


 色っぽい声がきこえて、アーマイゼがはっとする。


(今の、クモ姫様の声……!?)


 もう一回ききたい。ね。もう一回。姫様。

 アーマイゼがクモ姫の上に乗り、唇を押しつけた。


「……っ、アーマイゼ、こら」

「クモ姫様、知ってますよ。ここ、くすぐったいですよね」

「こらっ。ふふっ、この、いたずらっ子」

「クモ姫様だってわたしにやりました」


 首筋に唇を落とす。


「わたし、上手ではありませんが」


 そこに唇を寄せれば、クモ姫の頭のなかがぼんやりしてくる。あまりにもあたたかな唇で、あまりにも自分を組みしいてくるアーマイゼが愛おしくて、そのほそい腕を逆に押したおして、好きにもてあそんでしまいたい。ひどくだいて、痛いと泣かせて、あえがせて、アーマイゼの乱れた姿が見たい。手が伸びる。けれど、ぐっと拳を固めて、たえる。長い爪が手に食いこむ。だが、これでもいい。それでこの欲がおさまるのなら、かまわない。けれど、何も知らないアーマイゼはキスをしてくる。


「クモ姫様……」


 頬に、額に、瞼に。


「お慕いしております。あなただけを」


 弱々しくだきしめられて、


「愛してます。クモ姫様」


 そんな小さな手で、


「クモ姫様……」

「もういい。だまれ」


 クモ姫がアーマイゼの手をひっぱり、位置を逆にした。ベッドにはりつけたアーマイゼにのしかかり、胸を押しつけ、顔を近づかせた。


「……、……ひめさ……」


 唇がまた重なる。閉じ込めたら、もう止まらない。重なって、重なって、離れて、また重なって、仕返しに同じところにキスをして、くすぐったそうなアーマイゼを見下ろして、震える手をにぎって、もう一つの手は肌をつたう。


「……あっ……」


 暗いなかで手が動く。


「あ、……あっ……」


 アーマイゼの甘い声がきこえる。ひどく、心地いい。


「クモひめさま……」


 足が動く。手が動く。肌がくっつく。アーマイゼの乱れた声がきこえる。もっとききたくて、ふれて、キスをして、ふれて、アーマイゼの体か揺れて、手を動かして、なめて、なでて、めでて、ふれて、またキスをして、肌と肌がふれ合って、唇を、また、押しつける。甘い声が耳元にひびく。呼吸の乱れた音がきこえる。指をなぞらせて、なでて、動かす。


 アーマイゼのひとみから、なみだがつたう。


「……痛い、です……」

「……やめるか?」

「……いやです……」

「……これは?」

「あっ、……なんか、んっ……」

「アーマイゼ、深呼吸をしろ」

「ひめ、さま……」

「こわがることはしない。……本当だ」

「……ひめさま、……好きです」

「……愛してる。……アーマイゼ」


 手を、にぎり合う。













 ――アーマイゼが目を覚ました。

 あそこが痛い。思ったよりも出血がひどかったみたいだ。しかし、どうやらシーツは無事らしい。がんじょうなクモ姫の糸によって守られ、かわりに糸が赤くそまっていた。


(……)


 アーマイゼが起き上がり、ベッドから離れようとした瞬間、糸に手首を掴まれた。


「っ」


 手を動かせば、糸が一緒についてくる。まきつく糸によって、ふたたびベッドにひきずりこまれ――あたたかな腕に、後ろから大切に抱きしめられた。


「……まだ日はのぼってない。……どこに行く?」

「……着替えを……」


 そのほそくて長い腕があまりにもがんじょうで、こんなふうにだきしめられたら、そんなさびしそうな声でささやかれたら、アーマイゼの胸が切なくなって、きゅんと鳴ってしまう。


「血が出ているようですから、ナプキンを……」

「ベッドならよごれないようにしている」

「ですが……」

「……まだこのままでいい」


 ぎゅっと、強くしめつけられる。


「しばらく着替えるな」

「……はい」


 背中にくっつくクモ姫の胸がやわらかい。アーマイゼはうっとりしながら、着替えることをあきらめた。クモ姫がアーマイゼの腹をなではじめる。


「……痛いか?」

「……変な感じがします」

「処女膜が切れると血が出る者もいる。お前がそうなのだろう」

「……まさか、指で切れるとは思いませんでした……」


 アーマイゼがクモ姫の手をにぎった。


「わたくしの指は長くてするどい。なかには、処女でなくとも痛がる者もいた。お前はよくたえた」

「……たしかに、痛かったですけど、でも……」


 アーマイゼの頬がゆるむ。


「とても、あたたかい手だったので、こわくなかったです」


 そんなふうに手をにぎられたら、クモ姫の胸が切なくなって、きゅぅんと鳴ってしまう。


「……アーマイゼ、こちらを向け」

「……」


 アーマイゼが振り向き、クモ姫に体を向ける。クモ姫の手が伸びる。頭をなでられ――肩をなでられ――これ以上ないほど、やさしくだきよせられる。


「……痛かったら無理をするな。帰りに、町の医者に痛み止めをもらおう」

「……はい」

「ん」


 クモ姫がアーマイゼのまぶたにキスをした。アーマイゼのまぶたがぴくりと揺れる。目が合う。アーマイゼがはにかむ。クモ姫がその顔を見つめる。


「……どうした?」

「……うれしくて……」

「……そうか」


 もう一度まぶたにキスをすれば、アーマイゼの頬がゆるむ。


「クモ姫様」

「……ん」

「わたし、うれしいです」

「……なにが、うれしい?」

「あなたと、体を重ねられました」


 この痛みは、その証拠。


「わたしは、なんて幸せ者でしょう。もう、消えたってかまいません」

「勝手に消えたらわたくしが許さない」


 アーマイゼの額に唇を押しつける。


「お前が消えたら、わたくしも消えよう」

「……冗談です。そんなこと言わないでください。クモ姫様が消えてしまったら、わたし、とてもさびしいです」

「だったら、お前もそんなこと言うな」

「……すみません」


 頬をなでる。消えない。頭をなでる。消えない。アーマイゼは笑顔でクモ姫を見つめる。消えてしまったら、一緒に消える。うそではない。クモ姫にとって、アーマイゼのいない世界は、もはや、なんの意味もない。


 アーマイゼが消える時、それはクモ姫も消える時。


 それまで、この存在を大切にしなくてはいけない。消えないように。クモ姫も、アーマイゼも、だから、よりそいあう。


 アーマイゼがクモ姫の胸に顔を埋める。いい匂いがする。甘くてとろけてしまいそうないい匂い。そんな匂いのする手が、指が、自分にふれてくる。それが、愛おしくて切ない。


「姫様、わたし、消えたりしません」


 アーマイゼの手がクモ姫の背中をなでる。


「ごめんなさい。冗談がすぎました。そんな、さびしそうなお顔をなさらないでください」

「……そんな顔してない」

「……してます」


 ふふっと笑って、アーマイゼがクモ姫の頬にキスをした。


「とてもさびしそうです」

「……」

「クモ姫様」


 頬に、額に、まぶたに。


「あなたと出会えて、わたしは幸せです」


 アーマイゼがだきしめてくる。それがこんなにもうれしい。


「姫様、好きです。心から」

「……大好きのまちがいだろ?」

「……ふふっ。大好きです」

「結構」


 クモ姫が見下ろす。アーマイゼが見上げる。目が合うのは何度目だろう。そのたびに、やはり欲求にかられて、どちらともなく、やさしいキスをし合った。


 朝はまだ来ない。


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