売らない師

吟遊蜆

売らない師

 僕はその日も売らない師の店を訪れていた。


 売らない師の店では、なんでも売っているがなんにも売っていない。食品もおもちゃも洋服もペットも電化製品も、その他なんだかわからないものまで扱っているが、この店で誰かがなにかを購入する場面を、僕はこれまで一度たりとも見たことがない。それどころか、買ったという話を聞いたことすらない。だからこそ彼女は、誰が呼んだか「売らない師」と呼ばれているのだ。


 それでも僕がついつい売らない師の店に立ち寄ってしまうのは、もちろん置いてある商品がすこぶる魅力的であるから。この日も僕は、棚の隅っこにさりげなく置いてあった商品がどうしても欲しくなってしまった。丸っこくて柔らかくておいしそうで、それでいてデザインも斬新なうえ、堅牢かつ機能的でお値段もリーズナブルと来た。まさに僕の求めていた理想の商品がそこにあった。


 僕はその商品を手に入れるためなら、どんな嘘でもついてやろうと覚悟を決めた。


 売らない師が客に物を売ってくれないのは、彼女が厳しく客を選んでいるからで、接客時に売らない師から浴びせられる質問に対する客の答えが間違っているからだ、と巷では噂されていた。逆に言えば、誠だろうと嘘だろうと、売らない師の望むとおりの答えを返すことさえできれば、商品を売ってもらえるに違いないということになる。


 僕はレジ向こうに座っている薄紫のヴェールをまとった小肥りの中年女性に、「これください!」と勇気をふり絞って商品を差し出した。この店のレジ前に立ったのも売らない師に話しかけたのも、まったく初めてのことだった。僕の顔面に描き出された精一杯の笑顔がひきつっていたことは、言うまでもない。


 売らない師は手渡された商品を乱暴にレジカウンターの上へ置くと、最初の質問を僕に投げかけた。


「はい、じゃあまず、生年月日とお名前を」


 我が子のように大事な商品を売り渡すからには、やはり信用というやつが必要ということなのか。そのわりには、商品の扱いが乱暴であることが少々気になったが、それこそが扱い慣れた手つきだということもできるかもしれない。


 いきなり個人情報を伝えるのは気が引けたが、逆にそれさえ教えればこの商品を買うことができるというのなら、お安いものだという気もした。それほどまでに、その丸く食欲をそそる先鋭的で多機能な商品が、僕の心を捉えていたということでもある。


 僕は自分の生年月日と名前を素直に伝えた。するとその情報を手元に広げたノートに読めない文字で記した売らない師から、即座に次の質問が飛んできた。


「あんた、近ごろ仕事で悩みを抱えているね?」


 いきなりプライベートに踏み込んできたこの第二問に、どう答えれば良いものか。僕はしばし正解を見つけられずにいた。たしかに僕は一週間前に望まぬ部署異動を命じられてから、このまま会社にとどまるべきか思いきって転職すべきか、大いに悩んでいるところだ。


 しかしここは、そんなことを正直に話している場合ではない。僕はとにかくこの魅力的な商品を売ってもらうために、目の前の売らない師が気に入るような回答を探し当てなければならないのだ。


「そうですね。でも仕事上の悩みというのは、誰しも少なからずあるものですから。でもこの商品さえあれば、そんな悩みも一発で吹き飛んでしまうような気がします!」


 なんだか通販番組のような「臭み」が出すぎてしまったのが気になったが、僕は質問への回答にかこつけて、いかに僕がこの商品を欲しがっているかという熱意を伝えることを選んだ。我ながら、この回答にはなかなかの手ごたえを感じていた。しかし売らない師は、特に良いリアクションを示すこともなく、冷静に次の質問へと移行した。


「あと恋愛関係も、あんまり上手くいってないようだね。いまの彼女とは、早いとこ別れないと大変なことになるよ」


 これに関しては、考えるまでもなく先に答えを言われてしまったので、僕は素直に「はい」と答えるしかなかった。


 もちろん彼女とすぐに別れる気などなかったが、ここで必要なのは売らない師が気に入る答えなのだから、わざわざ相手が模範解答を提示してくれている以上、それ以外に選択肢はないように思えた。とはいえたしかに、つきあっている彼女とは以前ほど上手くいっていないのも事実ではあった。


「それからあんたは、しっかりして見えて意外と忘れ物が多いね。特に大事な物ほどなくしがちなタイプだから、よくよく注意すること。あと火の不始末ね。これは大惨事になる。いやもうすでにやらかしちまって懲りてるところかね。それといまの家は泥棒に入られたことがあるようだが、またすぐ入るから早めに引っ越したほうがいい。まあざっとそんなところかね」


 売らない師は、これまでの僕の回答に気を良くしたのか怒りを覚えたのかあるいは単に面倒くさくなったのか、ここへ来て矢継ぎ早に質問を並べたてた。言われている内容はすべて見事に当てはまっていたが、もはや質問というよりはアドバイスの領域になっていたため、僕はどう答えていいものかわからずその混乱を顔に浮かべた。


 そのどうしようもない表情を的確に読み取っていらだってきたのか、まもなく売らない師の指がレジカウンターの表面をカタカタと無秩序に叩きはじめた。その圧に耐えられなくなってきた僕はイチかバチか、いよいよ本題を切り出さずにはいられなかった。


「それで結局のところ、この商品は売ってもらえるんでしょうか?」


 すると売らない師は、平然とこう言い放った。


「なに言ってんだい? これは〈うらない〉よ」


 僕はなにか大きな勘違いをしているのかもしれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

売らない師 吟遊蜆 @tmykinoue

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ