マッチングアプリとエビフライ

もりめろん

マッチングアプリとエビフライ

 百桃ももがマッチングアプリを始めたことは、本人から聞いていた。

 二十七歳になって三度目の結婚ラッシュを迎えている私たちだったけれど、結婚にも剣呑な私と違って、百桃は、この現状に危機感を覚えているようだった。

「いま恋人がいない私は、いつになったらあそこに立てるのかな?」

 日高屋の餃子をつまみにレモンサワーを飲みながら百桃が言う。大学時代に所属していたサークルの後輩の結婚披露宴のあと、私たちは飲み直しにきていた。

 日高屋の床は脂でつるつる滑り、ヒールの私たちには歩き辛くてしょうがない。また、この場所に似つかわしくないドレス姿なので、周囲の男たちが私たちに、特に百桃に、何度も視線を投げていた。


 百桃は、大学時代からよくモテた。彼女はかわいく、そして自分をかわいく見せる方法も熟知していた。そして彼女は、愛する人と結婚をすることに人生最大の価値を見出しており(私には過剰な期待に思えるが)、その反面で男遊びも好きだった。

 彼女は常に、複数の性的パートナーを持っていた。愛する人との幸せな結婚と、常に性的なパートナーを持つこと。この二つが両立することに私は首を捻るばかりだったが、百桃にとっては矛盾のないことらしい。そのパートナーは、彼女にとっては生涯の伴侶にはなり得ないことも、何だかよくわからない話だった。

 マッチングアプリとは、一昔で言えば出会い系だ。パートナーを求める人々が登録して、意中の相手を探す。様々な性的指向向けのアプリがあって、ヘテロ用アプリの中にも結婚相手を探す用から、もっと気軽にデート相手を探すものまで様々な種類がある。らしい。すべて百桃からの受け売りだったので、私もよくわかっていないのだけれども。

 それから、百桃と飲むときは彼女の状況報告が主な内容になっていた。月に二回くらい新しい男性と食事に行って、よく吟味してその男と二度目があるか確かめる。二度目に会って、それでもまた次に会いたいと思えたら、その時はと思っているらしい。

 そんな人は、半年経っても現れていなかったけれど。


 今夜の百桃は稀にみるレベルで荒れていた。かつてない好印象の男(公務員らしい)と二度目の食事に行き、その好印象をさらに深めた。ついに三度目かな、と期待が膨らんだ。

 スペイン料理店で食事をしたのち、ふたりは近くのバーで飲み直した。照明がやや暗めに落とされた室内でカクテルを傾けているとき、その公務員が百桃の掌に手を重ねた。

「そのとき、無理だと思った。こいつとは無理だって思ってしまった」

 日本酒の一合徳利を、ひとりで空けてしまった後に、百桃はそう言った。

 やや呂律が回っていない、視線もどこかあやふやだった。明らかに飲み過ぎだった。もう今夜はやめておこう。私はそう言ったが、彼女はその制止を払って、同じ銘柄をもう一合と注文していた。

「目の前にトランプの山があるわけ。それでね、私たちはその山札から一枚ずつ引いていってハイ&ローをするのよ。どっちのカードが強いのか。マッチングアプリってのはそういうこと。一枚のプロフィールをめくる。こいつは無、こいつも無。こいつは有だと思えば、年収六百万で一人暮らしの次男でなおさら有。戦闘力は五十三万くらいか、私なら勝てるかもしれない、っていう風に。でもね、山札には限界がある。すべて引き終わるまで粘ったら、私たちはゲームオーバー。でも、年収の高い男にだけは山札のリロードが赦されてる」


 そして今、私の手の中には、百桃のスマートフォンが握られていた。

 どうしてこうなったんだっけ? 私は記憶を辿る。そうだ、飲み過ぎた百桃がトイレで吐き、しばらく戻って来なかった。ようやくに戻ってきた千鳥足の彼女を私は店先に連れてゆくとき、テーブルの上には彼女のスマートフォンが置かれていた。私はとりあえず、ポケットに入れた。そして百桃に返すのを忘れたまま、店の人に配車してもらったタクシーに彼女を押し入れてしまったのだった。

 まあ家も知ってるし翌日に返せばいいかなと思って、風呂に入って髪を乾かし、寝自宅を整えた。電気を消す。

 百桃はスペイン料理店の男と別れたのち、パートナーの下に行ったらしい。私には、その感覚が本当にわからない。なぜ、好印象の男から向けられる性的な態度が耐えきれず、単なる性的奉仕者である男の下に帰るのか。それはきっと彼女の底には、彼女だけの地獄があるに違いない。

 暗闇のなか、私は百桃のスマートフォンに手を伸ばしてしまう。彼女がロックを解除する姿は隣で何度も見ていたので、指の動きは覚えていた。記憶をなぞって、鍵を開けた。

 まずは百桃のプロフィールを盗み見る。仕事や趣味、男性に求めることが書かれている。数枚登録されている写真の一枚は、私と居酒屋で飲んでいるものだ。隠すため、私の顔にはぼかしが入っていた。

 次に男性とのメッセージ履歴を見た。私は半年分のログを一番古い日付にまで遡って、百桃が魅力を感じた男性たちのプロフィール文を次々に踏破してゆく。

 無数の男たちがいた。彼らは真剣に女性を欲していて、百桃と同じように、とても真面目なトーンで自身の紹介文を書いているのだった。

 仕事は不動産営業、休日には映画鑑賞をしています。でも旅行も好きで、年に一度は海外旅行に行ってて去年はバリ島に行きました。海、きれいだったなあ、また行きたい。恋人ができたら、ふたりで色々なところに行ってたくさん想い出を作りたい、とかなんとか。扱うコンテンツが違うだけで、どの人もだいたい、そんなのばっかり。

 そんな中、スワイプの手が止まった。えっ、短い声を暗闇の中で発してしまう。声は、誰に届くことなく夜に消える。ログはすでに直近の、最も近い相手であるあの公務員の男のところまで来ていた。男が登録している写真は五枚、そのうちの一枚は、旅館らしき部屋の中で和装に身を包んでいる姿だった。卓の中央には、金目鯛の煮つけが乗っている。写真は、トリミングされていた。消えた卓の向かいにいるのは、私だ。私、のはずだった。私だ。今から五年前の私だ。百桃を失望させた男は、私の昔の恋人だった。

 百桃のスマホが掌から滑り落ちて前歯に当たった、痛い、猛烈に痛い。が、私は歯を心配するよりも画面の先が気になって仕方がない、拾ってもう一度写真を見直した。残念なことに、どれだけじっくりみたところで、疑念が確信に変わっただけだった。

 あまりにも狭い世界に手が震える。写真から私を隠している二人が知らん間に出会って、知らん間に終わっていた。あいつの隣にもう私はいない。でもかつては、いた。その位置に百桃が座ろうとして、でも座らなかった。百桃と私は、未だによく隣り合って酒を飲む。


 ――ぼくの生まれた町は本当に田舎で、山しかなかった。でもその山中に、大人たちが色々なアスレチックを作ってくれて、小さな頃、ぼくらはよくそこで遊んだんだ。そこに時々ね、松ぼっくりが落ちていたんだけど、それは栗鼠が食べ残しだったりするんだ。不思議なことに栗鼠は、松ぼっくりの葉のような部分だけを食べるんだよ。だから、残骸は常に芯の部分しか残らなくって、ぼくたちはそれをエビフライだって言って、見つけると嬉しい気持ちになった。っていうね、くだらないことをよく覚えているんだよね。


 いつか、彼がベッドの中で語っていた。一日の中で最も暗い時間に、まるで二人だけで世界が完結しているような夜に。きっと今の私の部屋よりも、充分に暗い部屋で。

 思い出すことなら他にもたくさんありそうなのに。彼を傷つけて私たちの仲が終わったこと、彼も安心しきっていた友達と私が深い仲になってしまっていたこと。思い出すべきことは他にあるはずだったのに、なんでこんな話なのか。私には、全然わからなかった。


 翌日になると私は、スマホを届けに昼前に百桃の家に行った。彼女は酷い二日酔いに襲われているようで、しかめ面のまま礼を言うとお礼の代わりに、新鮮な伊勢海老をくれた。

 え、なんで伊勢海老。というか普通に伊勢海老が生のままあるっておかしくない。まだ生きて、足とかがさごそ動いているし。でも、なんか気がついたら家にあったとか言ってるし、この二日酔いのことは、やっぱり理解できない。でも私は深く追求せずに、氷をたっぷり入れたビニール袋に伊勢海老を入れて持ち帰った。

 家に帰った私は、殻を外したら食べられる状態まで捌いてもらった伊勢海老に、小麦粉と卵、パン粉を塗す。伊勢海老のエビフライなんて初めてだ。たっぷりと油をはった鍋の中に、伊勢海老をゆっくりと入れた。ぱちん、と油がはねた。

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