第21話 黒曜の瞳、その奥底
竹平とかのえの出会いは、契約している出版社のささやかなパーティでのこと。
当時、ティーン誌のモデルをしていた二人は、そこで意気投合、友達から恋人まで関係が進むのに、時間はあまり必要なかった。
それほどまでに、相性が良かったのだ。
二人の密やかな関係に転機が訪れたのは、事務所から竹平へとある映画の出演依頼が来て後。
かのえの説得もあって、端役ながら出演した映画で、主役を霞ませるほどの演技力を発揮してしまった竹平へ、世間は一気に注目をし出す。
有頂天にならないわけがなかった。
増量し続けるファンレター、ボーカル活動中は竹平へ見向きもしなかったTV番組にも、引っ切りなしで呼ばれるほど。
一躍時代の寵児となった竹平が我に返ったのは、芸名をシンからインパクトの大きい本名にしないか、と提案された時。
そこで興奮の熱が一気に冷めた竹平は、意識せず遠退いていた恋人を思い出す。
ほったらかしにしてしまった、と悔いた竹平。
しかし、竹平が持て囃されたのと同時期に、かのえも歌手業を始めていたと知ったなら、あっちはあっちで楽しんでいる、と思い直す。
嫉妬も、多少、混じってはいた。
何せ、竹平が全く評価されなかった歌で、かのえは秀でた才能を発揮したのだ。
しかも映画の誘いに迷った竹平と違い、恋人に相談することもなく。……竹平の歌唱力を知った上での残酷な優しさから、しなかったのかもしれないが。
もちろん、それとは別に、成功を喜ぶ気持ちもあった。
そうして、世間がある程度落ち着いた頃、かのえから「会いたい」と連絡が入る。
久々の再会に、自分でも驚くほど竹平は胸をときめかせ、緊張した。
けれど現れた少女の姿は、華やかな成功とは裏腹に酷く錆びつき、枯れ果てていた。
「何かあったか?」と問えば、「ううん」とか細い声と薄い笑顔が返る。
強張った顔、無理矢理繕われた笑み。
源の理由を幾ら尋ねても、かのえは「心配しすぎ」と首を振るばかり。
その後も度々逢瀬を重ねたが、彼女は沈んだ表情のまま、微笑み続けた。
(次こそは強引にでも聞き出してやる!)
焦燥に駆られて胸へ誓った言葉は、しかし、マスコミに関係を知られたことで機会を失ってしまった。
別れるよう働きかけもあったが、竹平にそのつもりは毛頭なかった。
だが、かのえはどうだろう?
心は自分と同じ、その確信はあった。
それでも、あんな状態で強く迫られて、彼女が首を縦に振らない可能性はあまりに低い。
愛おしむ気持ちは離れてしまった分だけ、竹平の心に深く突き刺さり、喪失が過ぎるだけで冷たいモノが背中を這う。
確かめなければいけない。
一人で考えても埒の明かない答えを求め、かのえに連絡を。
別れないというなら、関係を強固に。
別れるというなら、どうにか説得を。
最近、ぴたりと張りついていたマネージャーの目を掻い潜り、人気のない駐車場で待ち合わせ。
タクシーか何かで来ると思われた少女は、何故か自身のマネージャーを伴って現れた。
(つまり、そういうことか……?)
別れを彼女の口から聞けば、自分がどうにかなってしまいそうだった。
その前に己から説得を――吐きかけ、噤み、別の言葉が出てきた。
「距離を……置こう」
駆け寄った顔は倒れそうなほど青褪め、手には白い包帯。
思いつめて――想像に難くない、自傷を察しての言。
「嘘……でしょう? 竹平君……」
ひび割れた声は空気を混ぜ、それでも強く響くほど痛々しい。
何も言わない、語らないかのえは、明らかに竹平との関係で壊れかけているように見えた。
否、もうすでに――――
もっと言葉を交わすべきだったのかもしれない。
缶ジュースを差し出すかのえと。
何かの薬の入った液体を飲み干す前に。
「別れる、なんて……誰も、言ってなかっただろうが」
裏切りだと感じた。
何一つ悩みを打ち明けないくせに、こちらに心配だけさせて。
自分がどんな顔をしているのかも、相手がどれだけ自分を想っているのかも、察してはくれない。
熱い目蓋には、ガードレールから飛び込んだ闇が広がる。
目覚めても悪夢をもたらす闇。
そこへ苛むよう甘く響いた、母に似た柔らかな唄声。
一時、揺らぐ想い。
褐色の髪の娘に心を向ければ、愛しい想いも、裏切られた傷も、全てがなくなる気に陥り――けれど。
「……無理だ……」
再会し、謝罪もなく――――
だが、それで良いのだと思ってしまった。
何もなかった、このおかしな場所に来てしまったせいで、酷い幻を見たのだと。
ただ一つ、気がかりがあるとすれば。
「……あれは……誰だ?」
呟きは竹平自身が口にして驚くもの。
そして、すんなり心に馴染むもの。
黒曜石の澄んだ瞳、その奥。
闇に支配された、竹平を呑み込んだ海のようなざわめきが、彼の内へ潜り囁く。
「従え」と。
交わされる視線の度、動きを封じられ、逃れる術を求めても封じが強まるばかり。
姿形、仕草に至るまで桐原かのえ本人だというのに、彼女を前にして竹平は「かのえ」と呼ぶのを躊躇ってしまう。
唇は名を追っても、声が喉から発せられない。
何故――――?
と思考に沈むのを許さない、鍵の開く音が響く。
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