第10話 お人好し

 しばらく混乱する泉を面白そうに見ていたクァンだが、天井に視線を投じては愚痴る。

「にしても、寝てんのかい、アイツ等。折角荷物纏めてわざわざ持ってきてやったのに、楽しむなら引き取ってからにしろってんだ」

「……へ? あいつらって、権田原さんたちのことですか?」

「他に誰がいるってのさ。かのえの奴、薄情が過ぎるよ」

 難題を投げ出し、首を傾げる泉。

 気になってクァン越し、店側へ目を向けたなら、クァンもこれに習い、店を眺め出す。

 おかしなその様子に頬を掻いた。

「ええ、と? 権田原さんたち、店にいませんでしたか? 二人きりになりたいって、桐原さんが」

「は? 二人きりって――――」

「おや、あんた」

 クァンの言葉が遮られる。

 誰、と思う間もなく陽の中から現れたのは、泉の足の怪我が完治する前、店番の際に会った中年の女だ。

 その後も数度、客として訪れてはいたが、こんなに憶えが良いのは、偏に彼女が「お人好し」と泉を評したことに由来する。

 奇人街の住人の言葉とは思えない響きは、インパクトが大き過ぎた。

 そんな「お人好し」の中年女は、ずかずかと居間まで近寄ってはクァンを押し退け、泉の姿をまじまじと見てきた。ふくよかな身体つきには似合わない、突き刺さる視線に怯えていると、女が眉を思い切り顰めた。

「ちょいと……今の芥屋に、従業員は幾人いるんだい?」

「え? あー……さ、三人、ですか、ね? 芥屋に来た人間、って意味なら。私も入れて」

「さっ!?……な、なら、女はあんた一人じゃないってことかい?」

 目を剥き焦る女に、多少不審があるでもないが、泉はこくりと頷いた。

 瞬間、女の顔色がさっと青褪める。

「なんてこった! 嘘だろう、おい!? や、ヤバいじゃないか!」

 がくがく震え出す様子に戸惑えば、女が顔を上げた。

「さ、さっき、芥屋の従業員っぽい男女が、人狼に攫われちまったんだ!」

「「!」」

 驚きに声も出ない泉を余所に、クァンが立ち上がって女の肩を揺する。

「さ、攫われたって、いつ!?」

「ほ、ホントについさっきだ。ああ、間違いないさ。だ、だからあたしゃてっきり、あんたが攫われたんだと――――」

「ちぃっ!」

 女の身を除け、クァンが苛立たしげに走っていく。

 小さく「アタシのモンになにしやがる!」と動く唇なぞ、我に返ろうとも泉には知る由もない。

 泉は泉で焦り、慌てて背もたれの猫を呼んだ。

「猫、お願い、二人を助けて!」

「なぅう?」

 頼んでも渋るように顔を洗う姿を認め、泉は切羽詰ってその身体を持ち上げる。

 横合いで「ひっ!?」と怯える声が漏れても気にせず、影舞う小さな獣を揺さぶった。

「お願い、助けて! あんな怖い思い、して欲しくないの!」

 幾分和らいだとはいえ、人狼という種の残忍さを侮った憶えはない。

 自分は猫という力に救われたが、彼らにはその力がないのだ。

 散々揺らした後で、ビックリした目つきの金と交わし、再度助力を請う。

「ふう…………えぅ」

 人間臭い嘆息の後、了承したと手に前足が乗った。

 喜び抱き締め、すぐさま放つ。

 転身、虎の大きさへ。

 言葉を失くしてへたり込んだ中年女を下に、店前の柵へ足をかけてはそのまま落ちる。

 追って店を出、柵へしがみつき、夕暮れ間近の空の下、すぐに見えなくなる背へ。

「猫……ありがとう。揺すって御免。権田原さんたち……無事でいて」

 身を乗り出しては手が白くなるまで柵を握る。

 その後ろで、恐々とした苦笑が一つ漏れた。

「…………本当だったんだねぇ、あの話は」

 中年女の声に、危機を知らせてくれた礼をと振り返った泉は、瞠目。

 嫌な予感にどこかへ逃げようとした腕が持ち上がった。

「な、なんですか、この人たち!?」

 自分の腕を取る、にやついた顔の男と、中年女の傍に控える、似た顔つきの男を指して問えば、中年女が苛立たしげに鼻を鳴らした。

「何って予備の迎えさ。本当ならアイツ等がカタつける手筈だったってのに、まさか従業員の女が二人もいるなんて、ツイてないったらないよ」

「一体――――ん!?」

 首を振る女に叫ぶが、猿轡をかまされ、声を封じられてしまう。

 それでも身を捩って逃げようとするが、腕を押さえる手はびくともしない。

「そんなに暴れるなって。……黙らせる方法は他にもあるんだぜぇ?」

 下卑た男の嗤いに泉の顔から血の気が引き、中年女が手近な石を男へ投げつけた。

「馬鹿かい? おふざけでないよ。とっととこの娘を差し出さなきゃ、ウチの可愛い坊やが八つ裂きにされちまうだろうが。大体、手ぇ出してみろ、てめぇが死ぬぞ?」

「……分かってるさ、んなこたぁよ。あの方にゃ冗談すら通用しねぇしな」

 唾を吐いた男は、手早く泉の腕を縛り上げ、女の傍にいたもう一人の男が足を縛る。

「ったく、これだから母性づいたババアは……若い頃なんざ、ガキ捨てても親分に取り入ってたクセに、よっ!」

「っ!」

 力任せに腕が締められ、仰け反る泉を見ては、中年女が再度石を投げつけた。

「阿呆! 大切な土産に痕でもついたらどうすんだい!? 今後、その娘に疵つけて良いのは、フーリ様だけなんだ!」

「!?」

 荷物のように担がれ、驚く瞳を女へ向ける。

 気づいた女はうっとり微笑み、泉の顎を口づけるように持つ。

「羨ましいねぇ、あんた。若い内に幽玄楼へ招かれるなんてさ。ホント、羨ましい。けど……可哀想だ。まだこんなに若いのに、あの方、あの場所以外を許されないなんて」

 額を合わせ、目を逸らさせず、続けた。

「でも、やっぱり羨ましい。……あたしはそこまで望まれた覚えがないからね?」

 最後に髪を撫でて離れ、目を焼く夕焼けを背に嗤う。

「前に忠告しただろう? あたしはお人好しの方だが、奇人街の住人を信用しちゃならないって」

 少女のようにあどけない微笑み。

 歩く振動が加わる。

 ぶれる笑みのなか、女は苦笑を混ぜて喉を鳴らした。

「ね? 信用ならないだろう? 後ろなんか見せるべきじゃないのさ。お人好しって言ったってさ?」

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