第11話 濡れたかんざし

 叫べず、身動き一つ取れない泉へ目隠しが為されたのは、芥屋からそう遠くない建物の、エレベーターと思しき箱の中。

 恐怖から暴れる喉元に女の手が這う。

「死にたくないなら静かにしな。こっから先にゃ、フーリ様のお声も聞けない下っ端連中がうじゃうじゃいるんだ。暴れて落っこちたら…………分かる、だろう?」

 甘く撫でる声音に震えれば、手が離れて頭を撫で――――

 時間の経過が曖昧となる闇の中、歩みの揺れと遠い雑踏だけが感覚として許される。

 解放されたのは、ドレッサールームと思しき部屋。

 男たちの冷やかしを中年女が追っ払い、光を取り戻した視界は柔らかな明りに一時細まった。

 取り戻した視力がまず捉えたのは、大きな三面鏡。

 台部分に透明な板で仕切られた棚があり、多種多様な化粧品が置かれている。

 鏡も用いて見渡した部屋は、出入り口と思しき扉と三面鏡以外、あらゆる衣装で埋まっている。

「んじゃ、ほれ。これを着な」

「へ?」

 現状を把握する前に、鏡台前に座らされた膝へ落ちる深紅の衣。

 広げれば滑らかな肌触りと共に大体の形状が把握出来た。

 白い帯で留めた、赤紫の衣を纏う中年女と同じ造りながら、デザインはこちらの方が華やかで、裾丈もヒラヒラ舞うほど長い。

 丁度、中年女が言っていた「フーリ様」から連想される人物、シウォン・フーリの白い衣と並べば、画になりそうな…………

「って! お、おばさん、いきなり何を!?」

「ふっふっふっ……この期に及んで四の五の言うんじゃないよ!」

 言うなり、中年女は泉の服を剥ぎ取っていく。

 抵抗虚しく下着姿にさせられたなら、「コイツは……まあ、いいか」と納得され、あれよあれよと言う間に、広げた衣は泉が着る物へと変貌を遂げた。

 回ったり引っ張られたり押されたりと、忙しない動きに目を回した泉は、一度離された椅子へ戻され、今度はクセ毛が梳かれていく。

 しばらくガクガク頭が揺さぶられ、乗り物酔いにあった気分を味わう泉。

 止まった――と思った矢先、今度は髪が結わえられ始める。

 ほとんど着せ替え状態の己を嘆く暇もなく、下ろして久しい髪にかかる突っ張った感触。

(……無理に解いたら髪が抜けちゃいそう)

 洒落にならない小さな痛みへ眉を顰めれば、女が次に持ち出した物を鏡越しに見、こげ茶の瞳が開かれた。

「それは…………」

「ん? これかい?」

 言って背後の中年女が泉へ渡したのは、銀細工のかんざし。

 雫を模す飾りつきの花は、中央に深紅の宝石を抱き、五枚の花弁を彩る紋様は金。

 花弁はそれぞれに小さな淡色の宝石を一つ含み――――

 間違いない。

 ひんやり冷たい硬質な感触は、あの時、酔いどれ中年があらぬ方向へぶん投げたかんざしと同じものだった。

 さすがに夜の水路に落ちたものと同じモノではないだろうが、改めて見た繊細な造りは何度でも泉の目を奪う。

 だが、中年女は言う。

 かんざしを結わえた箇所へ差しつつ、

「これはね、フーリ様が直々にお造りになったモノさ。呆れるほど多趣味だからねぇ、あの方は。ほら、この中央に嵌め込まれた宝石、あるだろ? コイツは珍しい品でね。フーリ様を持ってしても、入手は一個が限界だったのさ」

「…………」

 一個しかない。それはつまり――――。

 泉の頭を飾るそのかんざしは、誰かがあの水路から掬い上げねば此処には在り得ない。

「いつ…………いつ、渡されたんですか?」

「うん? 渡されたのは確か……ああ、あの愚か者がフーリ様に呼ばれた日、だから、昨日だね。ほら、あんたがフーリ様助けるために猫を止めたっていう、その後で」

 ずいぶん都合の良い解釈だが、結果的にそう見えて当然かもしれない。

 甚だ不本意、思う間もなく、

「でも、なんだってあの方、日中にあんなところにいたのかねぇ? しかも帰って来たらずぶ濡れって、雨だって降っちゃいなかったってのに」

「!」

 シウォンがどこにいようとも、泉の知ったことではないが、ずぶ濡れの原因には一つの可能性が付き纏う。

 鏡越しに見るかんざし。

 優美さが妖しく幻想の花を薫らせる。

 混じるは、男と獣の匂いが潜む甘美の香。

 包む柔らかさの中、感じた温もりは芯を痺れさせ――同時に泉の顔色を青く染めさせた。

 彼の人狼が泉へ求めることは猫を操る能力とはいえ、己で水路を浚いかんざしを取り戻した執念は、狂気の沙汰としか言いようがない。

 けれどあくまで、可能性。

 真実そうであるとは限らない――――と思いたかった。

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