第13話 帰路

「あ、しまった。髪型、変えてたね、あの子。褒めといた方が後々良かったかもしれないってのに……アタシとしたことがやっちまったよ」

「クァン」

 見送った一団の、少女の下ろされた髪にそんな感想を持てば、おずおずと、別の少女が彼女の背中を呼ぶ。

 振り返ったクァンは、今まで応対していた褐色のクセ毛とは違う、ストレートの長い黒髪の持ち主へ破顔してみせた。

「あら、似合うじゃないの。さすがアタシの見立てさね。やっぱ、あん時貰っといて正解だったよ」

「……も、貰う? 強盗の間違いなんじゃ」

「まあまあ、気にしない気にしない。そんじゃ、ちゃちゃっと準備しようか。あの子らは全員揃ってるかい?」

「あ、うん……ううん、ライとパノ、チェンさんが来てないわ。あと――――」

「はいはい、了解。要はいつものメンバーがいつも通り遅れてますってことね。……さっぴいて燃やすぞ、あの雌共」

 口は笑顔を噛み締めたまま、喉だけで低く唸るクァン。

「でも……効果ないわ、きっと」

「……分かってるさ。全く。ちょいとばかり顔が良くてスタイル良くて口が上手くて腕っ節が強いからって」

「充分だと思うけど……とっ!?」

 少女が突っ込めば、じとりと睨んだ鬼火は何を思ったのか、突然彼女に抱きついた。

「あー、可愛いっ! なんでこの子はこんなに可愛いのかしらね? バカ面下げた娘どもの名前も、一人も漏らさず憶えてさっ! ウチの娘たちも全員が全員、アンタみたいな可愛い子だったら良かったのにねぇ?」

「うぶっ……お、落ち着いてよクァン! 全員私みたいなのって、確実に客足遠退くからっ! 好みなんか人それぞれ、万人に通用する顔も性格もないでしょう!?」

 豊満な胸に埋められた手足をばたつかせ、必死で抗議した少女は、クァンの拘束が緩んだ隙をみて、振り解く勢いのまま、遠くへ逃げる。

 これを惜しむように少しの間だけ手を伸ばしたクァンは、「もう、つれないっ」と笑いつつ、白い髪を掻き揚げては挑戦的な笑みを少女へ向けた。

「ま、早い話が、アンタにゃ期待してるってこった。忘れるんじゃないよ? その分、ヘマしてコケたらヤツらの比じゃ済まないんだからねぇ?」

「分かってる! でも、クァンも忘れないでよ?」

「…………なぁに?」

 たっぷり沈黙を置いてから、クァンはそっぽを向いて応える。

 少女の言葉の意を、理解しているともしていないとも取れる、惚けた仕草。

 けれど少女は怯まず、薄闇の中、黒い瞳を爛々と輝かせて言った。

「私の彼、見つけたら――――」

「ああ、はいはい。分かっていますとも。アンタの彼が見つかったら――――」

 不貞腐れたように唇を尖らせて。

「帰してあげるわよ、元いた場所ってやつに。アタシがさ」

(あーもったいない、見つからなきゃいいのに)

 少女を舞台へ上げてから得た収入以上に、人間の身でありながら物怖じしない彼女を好ましく思っているクァンは、こっそり打算を働かせる。

(彼氏、誘惑しちゃおうかしら?)

 娘ら全員、手加減で相手させりゃ、少女の彼も留まるかも知れない。

(イイ案かも……)

 そう思いながら。

 けれどクァンは思う。

 そんな彼氏だったら、生きたまんま、海に投げ捨ててやる――と。

 重ねた、別の想いを脳裏に描いて。


* * *


 褪せた陽の翳りの中、マザコンの衝撃を背負って歩く泉。

 時折、褐色のクセ毛へ擦り寄る灰があるため、まだ酔っ払っているんだと、だらりぶら下がる、畏怖していたはずの人狼の凶暴な両手を睨みつつ。

 隣を歩く猫は、心配そうにこちらを見るが、泉は力なく笑って大丈夫と告げる。

 前を行くシイは、思い立ったように振り返っては意味ありげに笑い、近づいた分だけまた走っていく。

 泉の見知った視線はこの二つだけだが、そこかしこ、ちらほらと別の視線が注がれているのにも気づいてはいた。

 含まれる意味合いに、相変わらず、否、日中より増した嫉妬の炎を感じたなら、ランが本性の姿を面倒と言った理由も知った。

 要は冴えない男より、服従したくなるような姿が、人狼女の好みらしい。

 ……知りたくなかった。

 そしてもう一つ、知りたくない視線が泉に注がれている。

 畏怖――――

 傍で猫が歩く姿は、幾ら否定したところで、従えているようにしか捉えられず。

 媚び――――

 猫を恐れる反面、それは、お近づきになりたいとも泉へ訴えかけてくる。

 男女を問わない露骨な眼は、夜が近づくにつれて増す、奇人街の住人たちの数だけ、静かな広がりを見せ……。


「よお……綾音? なんでお前、ランなんか背負ってるんだ?」

 物理的な重さと精神的な圧力で挫けかけた泉が、ようやく芥屋の前まで辿り着けば、そんないぶかしむ声が為された。

 そこにいたのは、何故か店を背にした史歩。

「……陽に本性を当てられたからだそうです」

「ああ、なるほど。……阿呆か?」

 包帯で納得した簡潔な罵倒に、大きく揺れた背後が情けない声を褐色の髪へ擦りつける。

「ううううう……どうして俺の周りの女って、こんな奴ばっかりなんだ? 泉さんはこんなに優しいのに」

 負傷中の右手は垂れたまま、左手が泉の腹へ回される。

 硬質な感触には多少ビクついたものの、相手がランとあっては「まあまあ」と宥めて、丸太大の腕を叩いてやる。

「綾音……妙な奴に懐かれたな。それにしてもラン、お前なんだ、泉さん、て?」

「いや、だって……猫、本当に操れる人、呼び捨てとかため口とか出来ないだろう?」

「そのくせ、面倒かけるのは構わないってか?」

「う……」

 史歩の指摘を受けて、そっぽを向いたらしい横顔が、ぴったり泉の頭部へ押しつけられる。ぶつぶつ呟く小さな文句は泉の耳にしか届かず、内容は泉を口説いているとしか思えないモノばかり。離れたくない、手放したくない、傍にいて欲しい等々囁かれて、泉から無下に払うのも心苦しい。

 だというのに、鼻白む史歩の視線が、拒まない自分へ向けられては、何か言わねばと妙な焦りが生まれる。

 と、そこへシイが割り込んできた。

「聞いてくださいよ、史歩のお姉ちゃん。ランのお兄さん、まだ陽の毒気に当てられているのをイイ事に、泉のお姉ちゃんから離れてくれないのです。クァンのおばちゃんのところを出てから、猫やシイが運ぶって言っても、ずーっとべったりなんですよぉ?」

「んなっ! ま、猫のお誘いを断っただとっ! し、信じられん。なんて贅沢者なんだ……しかも綾音如きと比して」

「如き……いいですけど…………それにしてもシイちゃん、今、おばちゃんて、すっごいナチュラルに言ったよね……」

「如きとは何だ、如きとは! いいじゃないか。アンタと同じ性癖持ち合わせた覚えはないんだから。泉さんの方が抱き付いてて気持ち良いし」

「はい。クァンのおばちゃんは、齢の割におばちゃん臭いところがありますから。シイはあんまり嘘つけない正直者なのですよ」

「気持ち良いっ!? 正気か、綾音? なんだってあの変態中年と同じ台詞吐く奴に、背中なんぞ貸してるんだ!?」

「だからあの時詰まったの?」

「なっ、ふざけるな! 誰があのキフ・ナーレンと同じだ! 虫唾が走る! あのオヤジ、会う度会う度ねっとりしつこく迫ってきて、迷惑しているってのに!」

「ふっ、もちろんですよ。素直にお姉さんと言って上げても良かったのですが、やはり世渡り上手とはいえ、正直者のさがには逆らえません」

「なら、とっとと離れやがれ、変態! 見ていて気持ちが悪い!」

「……結構、毒舌だったのね」

「ああ、いいともさ。泉さんが嫌だって言ったら離れてやるよ!」

「いいえ。正直者なだけです。ところで泉のお姉ちゃん、そろそろ中に入りませんか? 店先で世間話続けたいっていうなら別ですけど」

「よし、決まりだな。そんなわけで、綾音! お前、嫌だろう?」

「まさか。そんなことないわ…………て、あれ? ど、どうしたんですか、史歩さん? 指差して固まらないでください」

 ランの重みに耐えながらシイを伴い、芥屋へ入ろうとしていた泉の眉が顰められる。

「……勝った…………」

 更にランが頭を頬擦る不可解さから首を捻っては、ふと気づいて尋ねた。

「……あの、史歩さん?」

「あー、負けた。……くそっ、綾音! お前、店主という者がありながら――――」

「何か入用ですか?」

 びしっと突きつけられた指のせいで目が寄れば、真っ直ぐ張った人差し指は、へなへなと力をなくす。

 ついでに大本の史歩自身が項垂れてしまった。

「……もう、いい。疲れた。帰る」

「はあ……」

 先程までの噛みつく元気はどこへやら、とぼとぼ背を丸めた姿をそれとなく見送る泉。

 追うのを止めて店の中へ入る直前、白袖から手が振られた。

「まあ、頑張れ」

「はあ……?」

 判別しない意味は疑問符をつけて史歩を追うが、精も根も尽き果てた後姿は応えない。

 なんとなく、その姿が思う猫と目を合わせたなら、導くように金色が店の内側へ投じられた。

 同時に上がるのは、先に芥屋へ入ったシイの「わぁお」という可愛らしい声音。

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