第24話 迷惑

 恥ずかしさを隠すコートをやんわり取り上げられ、困惑する前に鼻へ当てられたのは、ティッシュが数枚。

「はい、泉嬢、チーンして」

「…………ワーズさん……」

 へたり込んだまま、じとり睨めば、白い面が嬉しそうに歪んでいて、半ば自棄になって鼻をかむ。ほとんど幼子扱いだが、呑気に夕食を愉しんでいると思っていた手前、探してくれていたと知っては、抗議の言葉もない。

 最後にひんやり濡れた感触に拭われて驚けば、次いでアルコールのような匂いが鼻をつく。

「ウエットティッシュ……ワーズさんのポケットって……」

 探れば色々出てくる割に、スマートな身体の輪郭を崩さない、今は抱えられているコートのポケットに首を捻ったなら、ビニール袋へティッシュを捨てていたワーズがへらりと傾いだ。

 そのままポケットに入れられなくて良かった、などと思っていると、銃口を自分の頭へ突きつけたワーズが言う。

「ボクの服は特別でね。このポケットは芥屋の物置に繋がってるんだ」

 そうしてコートのポケットへ、ビニール袋を仕舞い込む。

「……って! ご、ゴミ! 物置直行させたってことですか!?」

 どういう作りでそうなるのか、など聞くだけ無駄だと決めつける泉は、あの不可思議な空間に漂う袋を想像して、晒し者にされた気分を味わった。

 けれど、すぐに否定がやってくる。

「んーん。違うよ? 右と左で物置とゴミ箱に繋がってんの。でもボク以外扱えないから、泉嬢は間違ってもこのポケットに手ぇ入れちゃダメだよ?」

 言いつつ、ビニール袋を入れたのとは反対のポケットに手をつっ込むワーズ。

 折り畳まれているため、どちらがどちらに繋がっているなど分からないが、世の中、知らなくて良いことはたくさんあるものだ。

 好奇心が全くないわけでもないが、ワーズがダメだとわざわざ忠告を入れるのだから、従おうと心に誓う泉。

 どこからこの奇怪な男へ寄せる信頼がやってくるのかは知れないが、少なくともワーズの言葉には、今まで偽りがなかった。

 決して、正直であり続けることが正しいとは思っていないけれど……。

 それでも、と半ば直感めいた誓いを再度胸に刻めば、ずるり、ポケットから引きずり出される黒がある。

「ぃっ…………こ、コート……ですか?」

 一瞬、人の髪かと思った黒いソレは、広げたなら見慣れた黒いコート。

「汚れちゃったからねぇ。まさか、着るわけにはいかないでしょう?」

「う…………ご、ご尤もです。すみません」

 あからさまに、そうはっきり言われると、人間好きを豪語するワーズとはいえ、やはり嫌なモノはあるんだと思い知る。

 汚れを汚れと認めず愛でるよりかはマシでも、それなりに萎縮して項垂れてしまう。

 と、羽音のような音と共に、身体が黒にすっぽり覆われた。

 ぽかんと顔を上げた先で、ワーズが混沌を細めて血の口で笑う。

「幾ら自分のでもさ、やっぱり嫌でしょう? 羽織るなんて。見るからに寒そうだしさ、泉嬢」

 白い手に促されて掴んだのは、泉の身体を包む、新品同然のコートの合わせ目。

 てっきりワーズ自身のために出したのだと思っていたコートは、薄手であるにも関わらず、外気に冷やされた泉の腕を柔らかく温めてくれる。

 加え、相も変わらず安堵を生む香りにほだされて目を閉じたなら、頬に心地良い冷たさが寄せられた。

「……泉嬢、もしかして、怪我してるのかい?」

 労わるように擦られてもひりひり痛む張られた頬。

「っ!?」

 途端、忘れていた痛みが戻り、泉の身が強張った。

 肩も足も頬も、打たれた箇所は去ることながら、無理に無理を重ねた運動量が、節々へ悲鳴を奏でて痛みを送る。

 けれど、これ以上ワーズに手間を掛けさせるわけにはいかない。

 勝手な想像で、彼の助けをないものとしていた自分が、安堵とコートまで与えられて、その上、何かをして貰うなど。

「……大丈夫です」

 遠慮ではない、意地だけで出来るだけ平静を装って突っぱねる。

 すると脈絡なく、両肩へ添えられる黒いマニキュアの白い両手。

「え――――っあぅ!」

 そのまま後ろへ倒されて、衝撃に捩った手が押さえるのは、右の肩と左の太腿。

 しかして痛みはそれだけに治まらない。

 庇うような行為すら、一度軋んだ骨には耐えようもなく苦痛を強い、喘ぎ走り抜いた肺と喉は、冷ややかな外気に侵されて干からびた咳を上げる。

「やっぱり、怪我してるんだね、泉嬢」

「ぅぐっ、ワーズさんっ……なんで」

 のほほんと呆れる声を睨んで叫べば、飄々としたていで肩を竦める。

「なんでって……それはこっちが聞きたいくらい。全然大丈夫じゃないのに、大丈夫ってさ。少しは迷惑考えなよ、泉嬢。君は変なとこで意地張るクセがあるみたいだけど、治した方が良いよ? 頼ったり利用したり出来るモノが近くにあるんだからさ?」

「!」

 知ったような口調に、地べたへ寄せたこげ茶の瞳が剣呑に揺らめいた。


 頼る、なんて――――考えちゃ……いけない……けど!


「私っ……私、ワーズさんを利用しようなんて……誰かを利用するなんて、思いたくもありません! 大体、迷惑だっていうなら、放って置いてください! コート、ありがとうございました!!」

 自棄っぱちで叫べば、拍子に浮かぶ涙がある。

 哀しいのか悔しいのか判別のつかない雫は、痛みと倦怠に囚われた手では拭えず、頬を伝っては地に染み入るばかり。

 惨めな自分を思っては増す涙から、泉は一人になりたいと願った。

 奇人街でそれを望んだ未来は、決して明るくないと知っていながら。

 けれど相手は人間を擁護する芥屋の店主。

 むざむざと人間である泉の身を危険に晒す、一人になどさせてはくれまい。

 そんな店主から大仰な溜息が吐かれては、泉の身体が情けない叫びをぶつけてしまったと後悔に震え――

「へ?」

 支え抱かれては、間抜けな声が痛みをまたも忘れて吐息混じりに外へ出た。

 疑問符の音に対する答えは得られず、促されるまま、よろけて立ち上がる泉。

 止まった涙の、土混じりの小汚い跡なぞ知る由もなく、上を向けば普段は気づかない、中性的な美貌の片眉が上がっていた。

「迷惑って、君の身体の話だよ? も少し労わって上げないと」

 言って、銃を携えた右手が柔らかく、張られた頬と涙の跡をなぞり拭う。

「なんたって君は、ボクの腹に一撃加えた挙句、鼻水までつけたんだからさ。その勢いでボクに全部任せてくれなきゃ。変なところで納得して妥協して切り上げられちゃ、人間が大好きなワーズ・メイク・ワーズとしては、手出しし難くて仕方ない。……まあでも? し難いだけで、否応なく干渉するけど、ね?」

 へらりへらり、気の抜ける笑みがワーズの顔に戻っても、泉の視線はぼんやりそれを眺めるだけ。

 これを了承と受け取ったワーズは、一層呑気な笑顔を深める。

「うん、良い子。帰ったら怪我、診せてね? じゃ、行こうか」

 最初からそれだけが目的だったのだと、自然に促された泉の意識には、ワーズ以外の存在はなく――

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