第6話 少年たちの冒険

 周縁の東京は夜が深い。古汚い街は街灯が薄暗く小道を少し入れば闇の淵。行き交う誰もが身を固くして、互いの肩を睨み合っている。道中、少年たちは人と出会わない。人の気配を感じれば、民家の間のさらに細い脇道に蹲って息を潜めた。道行く仕事帰りの人々は、彼らにとってこの世ならざる者たちだった。姿が消えると少年たちは、弾む心を懸命に抑えながら先を急いだ。夜更けの街をうろつくなど初めてのこと。これは冒険だ、誰もがそう感じていた。

 少年たちは廃ビルに着いた。彼らはそのまま敷地内に入らず迂回して、細い脇道を行く。そのまま道を抜けてビル裏に建つ民家の門をしれっとくぐる。家屋からは暖色の明かりとともに、人々の談笑とテレビの音が漏れ聞えた。少年たちは家で寛ぐ母を想ったが、それはすぐに好奇心に上書きされる。民家の奥に立つ石塀を乗り越えて廃ビルの敷地内に降り立った。そうして、鍵の空いた小窓からビル内への侵入に成功した。

 先日の不法侵入の際、少年たちは表門から入りすぐに捕まった。それを少年らのひとりが中学生の兄に話したところ、あそこは裏から入れば警備員は来ない、そう助言を与えたのだった。

 しいん、と静寂が耳に痛い。浮ついた心が急に冷め、身を縮こませ自然と手を繋ぎ合う。鼠が走る音に肩を跳ねらせ、背後から聴こえる人間社会の名残に襟足を掴まれていた。携帯端末を持つ少年が周囲を照らしながら、一歩、踏み出した。それは少年たちにとって意味のある一歩だった。続いて全員がそろそろと足を動かした。

 少年たちは恐る恐る扉を開けた。そこは広いエントランスで、先日、少年たちが警備員に捕まった場所だった。暗闇を見渡すと、顔が見えないよう隠された受付や、暗く何も映さないディスプレイが薄らと確認できた。誰かが、いるか、と訊ねた。誰かが、ううん、見えない、そう応えた。じゃあ、次行くぞ。

 少年たちは重たい扉を開けて非常階段を上って行く。滞った空気は少年たちが幾層にも重なる床の埃を舞わせる度、新たな生命を得たように鈍く泳ぎだす。その重たさにつられて少年たちの足取りも重くなった。たった一階分の階段が永遠のように思えた。少年たちは再び重い扉を開けた。

二階に抜けてまず眼に映ったのは、壁。左右には廊下が広がっており、一方に携帯端末を向けると突き当りの壁が茫と浮かぶ。それほど長い廊下ではなく、部屋数もさほど多くはなさそうだった。怯える少年たちは扉をひとつひとつ開けてゆく。部屋の中心に大きなベッド、そしてテレビと鏡面台も備わり、バスルームにはゆったりとしたバスタブが設えられている。室内は荒れ放題で割れた空き瓶や煙草の吸殻の散乱、グラフィティ・アートなど、悪童のマーキングが見て取れた。何部屋か見て回ったがどの部屋も同じような造りのようで、冗長性のある空間が恐れを緩慢化させる。二階の部屋をすべて確認し終える頃には、既に飽き始めている者もいた。もう帰ろうよ、誰かが言った。三階が最上階なんだ、そこを見終わったらな。誰かが言った。

 三階も同様の造りだった。結局同じだよ、帰ろう。そう言おうとしたとき、誰かが口を覆った。眼を見合せ、しぃっと黙らせる。

 声がした。少年たちではない人の声。廊下の左側から響いている。退屈し始めていた面々はひやりと張る背筋の感触を歓び、互いに顔を見合わせれば誰もが暗闇に表情を輝かせている。携帯端末のライトを消した一行は手探りで音の在り処へと向かった。

 一歩歩く度に音が近くなる。ぼそり聴こえる音は、どうやらふたり分らしい。扉の前に立つとはっきり聴こえる、男と女だ。幽霊ではなかったことに肩を落とす者もいたけれど、大半はこんな夜更けに一体何をしているのだろうと好奇心を燻ぶされた。音をたてないようゆくりと扉を開けてゆき、屈んで四足になって室内に入る。声の正体たちは興奮していた。そのため、少年たちに全く気が付かない。

 黒髪をツインテールに結んだ女が立っていた。女は学生服のスカートを穿くのみで、あとは裸。小ぶりな乳房は未だ形良く保たれており、それは純粋な若さだった。女と向き合う形で、男がベッドに腰掛けている。やめてくれ……僕が悪かったから、男がそう声を張った。すると女は、お兄ちゃんが誘ったんじゃない、と応えながら、男の頭を撫でた。

そのまま膝の上に乗り、腰をくねらせ、男の頭を抱きしめる。そして、手はジーンズ越しに股間をまさぐった。男は懇願するように、やめてくれと何度も繰り返した。本当はこうして欲しいくせに。ほんとキモい、このロリコン。女はそう罵倒しながら、やがてジッパーを下げ、熱く隆起した性器を握った。女が手を上下に動かす度に男は、やめてくれやめてくれ……と繰り言をしながら唇を噛み涙を流した。が、刺激に耐えかねた男はやがて唇に刺さる歯を抜き、ちろりと舌を出した。乳房は汗の味がした。ほろほろと崩れないよう絹豆腐を舌先で転がすよう口に含んだが、存外、繊細ではないらしい。飴玉のように強く吸った。その間も、彼は涙を流し続けていた。

 少年たちは強い興奮に襲われていた。けれど、その源泉がわからない。ただ、すべての子供たちが豆粒のような性器を堅くしていた。幽霊の事は頭からすっかり消えていた。

「そろそろ、入れよっか」

 男は我に返ったように乳房から口を放し、いやよいやよと幼子のように首を振った。女は多少苛立っていた。

「いい加減にしなよ。ここまで来てしないとかあり得ないでしょ。それとも、もっと卑猥な言葉で誘われたいの、お兄ちゃんは。あ、お父さんの方がいいかな?」女は嘲るように続けた。「その子小学生だっけ。私じゃあ、おばさんね」

 男は立ち上がり、女をベッドの上に押し倒した。けれど、躊躇がある。

「センセ、大好きだよ。だから、ひとつになろうよ」

 女はファム・ファタールだった。男の内面を正しく理解し、打てば響く言葉をきちんと用意している。男はその言葉に背中を押され、中に入った。

 忘我にいたのは少年たちだった。眼前の行為の意味はわからないけれど、何か凄いことが行われており、それが原因となって下腹部に抗い難い力が生まれつつある、そのことだけは理解できた。少年たちには、女は悦んでいるように見えた。表情はわからないが、嬌声には時折笑い声が混じる。反面、男は苦しそうだった。ひたすら何かに耐えているようだった。やがてひとりの少年が股間を弄り始めた。おい、お前何やってるんだよといえども、少年はふたりの行為を眺めながら股間を触り続ける。うっと声を漏らし、とろんとした目つきを湛えながら、少年は手の動きを止めた。他の誰もが、一体何が起こったのか理解不能だった。しかし、ひとつわかった事がある。このよくわからない行為には、突然な終わりが訪れること。その瞬間、俺達は逃げなければいけないこと。

 男の動きは激しさを増す。そして、予測通りに唐突な終わりが訪れた。痙攣する腰を深く女の躰に押し付け、苦悶に顔を歪めている。ところを、少年が携帯端末で撮影した。誰だっ、と末田は叫んだが、少年たちの身軽さは確かだった。後には末田と女だけが残されていた。

「ごめん、撮られちゃったみたいだ」

「いいよ、別に。ガキだったし、特定とかにはなんないでしょ」

 女はそそくさと服を着始める。末田は強い後悔に襲われていた。しかし、同時に清々しくもあった。末田は財布から万札を五枚取り出して渡した。女はブラウスに身を通し身支度を済ませると、札束と末田を交互に一瞥し、札束を手で払った。ガラスの破片が散らばる床にはらはらと万札が落ちゆく。

「このクソが。お前一片死んだ方がいいよ。教師の癖に恥しくないわけ。良い大人がさ、失われた青春取り戻そうってまじキモい。死ね、ほんと死ね」

 末田が何も言い返さずにいると、拾えよ、女はそう言った。末田は身を屈め手探りで万札を探り、途中、硝子の破片で指を切った。血濡れた万札を五枚、すべて彼女に渡すと無造作にブラウスのポケットに入れた。

「嘘だよ、お兄ちゃん」

 茫然と立つ末田の唇に自らを重ねて女は言った。

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