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 そしてさらにその次の日、教会を訪れたジュストは浮かない顔だった。

 茶の湯の席でジュストから依頼されたとおりに宗易殿は関白殿下にルカスの一族の助命嘆願を願い出てくれたそうだ。

「なにとぞ、私に免じてあの一族のお命を」

 だが、宗易殿がそこまで言ったとき、関白殿下はその言葉を手のひらを向けて遮ったという、

「それ以上は言うな。この話はもうするな」

 その関白殿下の言葉で、この案は失敗に終わったということだった。

 それを聞いた時の、ディオゴの落ち込み方は激しかった。

 今は来客も一段落している。そこでオルガンティーノ師と私は、ディオゴが居住する部屋を訪ねた。

「あれ、バテレン様はご病気はもうようならはったのですか?」

「はい。あなたが大変な時に、私ばかり寝込んでいるわけにもいきません」

「せやけど、いたずらに日数だけが過ぎていきますな」

 ディオゴはため息交じりに、オルガンティーノ師に言った。

「堺から知らせはいろいろと来ておりますがな。このたびははっきりと関白殿下からの下命によって宗札の家族六人の処刑が決まったとかあるいは処刑は延期になったとか、いろいろな知らせが飛び交ってます。ま、弟たちの嫁や小島屋さんは釈放されたようですが、財産は没収ですわ。我が家にも三万両もの金を納めろといってきたと、家内よりも知らせが届きました。もう破産しかありまへんわな」

「希望を持ち続けることは大切です。あなたの苦しみは『天主デウス』様はすべてご存じです」

「はい。希望は捨ててはおりません。小西様も動いてくれはっているようです」

「あなたは今、大きな試練の時ですね。聖パウロの手紙にはこう書いてあります。“『天主デウス』はまことなれば、汝らを耐え忍ぶことあたわぬほどの試練に遭わせ給わず。汝らが試練を耐え忍ぶことを得んためにこれと共に遁るべき道を備えたまわん”、そして“我が兄弟よ。汝らさまざまの試練に遭う時、ただひたすらこれを喜びとせよ。そは汝らの信仰の験は、忍耐を生ずるを知ればなり。忍耐をして全き働きをなさしめよ“、さらに“試練に耐うる者は幸いなり。これを善しとせらるる時は、主の己を御大切にする者に、約束し給いし命の冠を受くべければなり”と。どんな試練でもそれを感謝で乗り越えれば、必ずキリストの栄光に与ることができます。しかし、不平不満で、ただ苦しい、つらいということばかり考えていては、それはただの不幸な出来事にしかなりません」

 ディオゴの目に、一筋の涙がこぼれた。オルガンティーノ師も泣いていた。

「わかりました。家内にふみをしたためまひょ」

 そうしてディオゴは、筆を走らせた。だいたい次のような内容の手紙だった。

 

「何日もいたずらに過ごしてしまったので、あなたも心細い思いをしているのではないかと、それを心配している。しかし、何も心配することはない。私たちは娘とも、その夫とも、孫たちともすべて、キリストの御名によって一つに結ばれている。一切が『天主デウス』様の御手内みてぬちにある。もし娘やその夫、そして孫が無実の罪で殺されようとも、取り乱してはならない。一切を『天主デウス』様にお任せし、そのみ摂理に従いましょう。また、堺政所が我われの財産を没収しにくることに備えて、蔵を整頓して清潔にし、彼らが不都合のないようにしてあげなさい。“汝を訴えて下衣を取らんとする者には、上衣をも取らせよ。人もし汝に一里ゆくことを強いなば、共に二里ゆけ”とキリストは言われたことを忘れないように」

 

 この手紙をことづけた教会の同宿が戻ってきたときに、同宿は言った。

「手紙はお渡ししまして、奥様はお読みになって涙を流さはって感動してはりました。そやけど、なんだか大騒ぎにもなっておりまして、なんでも三河の殿様のお使者がまいらはったとかです」

「三河の殿様……、徳川殿か」

 ディオゴはその後すぐに、司祭館の我われ聖職者が常にともにいる部屋を訪ねてきた。

 彼はその同宿からの返事のことを我われに告げ、すぐに堺に戻ると言った。

 ちょうどその場に居合わせたジュストも、徳川という名を聞いてディオゴに同行して堺に行くと言い出した。

 ディオゴと息子のヴィセンテはすぐに支度をして、オルガンティーノ師や私、セスペデス師にこれまでの尽力に感謝し、別れを告げた。

 オルガンティーノ師は言った。

「こんな話があります。イエズス様がある村をお通りになったとき、マルタという娘はありとあらゆる手を尽くして忙しくイエズス様をもてなす支度をしました。でもその妹のマリアは手伝いもしないで、イエズス様の話を聞くのに夢中でした。それでマルタはイエズス様に、マリアが自分の手伝いをしないことに対する愚痴を言ったのです。イエズス様はおっしゃいました。“あなたはいろいろとしてくれてはいるが、するべきことは多くない。いや、一つだ。マリアは今、その一つのことをしている”と。大事なのは己を無にしてイエズス様のみ声に耳を傾けることです。自分のすべてを、イエズス様に明け渡すことです。あなた方はまだ、マルタのように非常に熱心に忙しく動いていますね」

 ディオゴもヴィセンテも、うなだれてそれを聞いていた。

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