3

 話し始めた船長の、悲壮な顔つきはそのままだ。

「実はこれももう二年前、1580年1月、ポルトガル国王エンリケ一世陛下はご自身のご生誕の当日に、お亡くなりになりました」

 人びとがざわめいたのも、やはりポルトガル人が圧倒的に多いからだろう。正直言って私にとっては他国の国王であり、それはお気の毒だとは思ったが、まあ他人事だ。

 それよりも、今私たちが生活をしているこの国での大異変、これから私が皆に告げなければならないあの方の死の方がやはり大事件に思われた。だが、そのようなことは表面に出すわけにはいかないので、一応私も驚いた様子を見せ、悲痛な顔つきでいた。

 1580年1月といえば、私はマカオで霊操を受けていた頃だ。

「それで、次の国王陛下ですが」

 船長は話を続ける。

 私もそれが少し気になっていたのだ。エンリケ一世陛下は枢機卿という聖職者であるまま国王の地位に就いたのだから、当然として独身であって王妃はいない。当然、皇太子もいない。

 一度聖職者を辞して還俗げんぞくし、王妃を迎えようとされたこともあったようだが、教皇様がそれをお許しにならなかったそうだ。

「実は亡くなる直前に兄君のドン・アントニオが王位継承の最有力候補とされていました。実際に、一度はドン・アントニオが国王としての即位を宣言したということです。でも、昨年になって状況は変わったようです」

 話していた船長は、泣きださんばかりに顔を覆った。そして気を取り直すまで少し時間がかかったが、話は続けられた。

「なんとイスパニア国王フェリペ二世がポルトガル王の地位を狙って一気にポルトガルに三万の兵を送ってリスボンを陥落させ、イスパニア国王がそのままにポルトガル王を兼任するという形で去年の四月にフェリペ二世はポルトガル国王となったのです」

 私はふーんという感じだった。そのことは我われの日本における福音宣教とはあまり関係がないような気がした。第一に私はポルトガル人でもスパーニャ《(イスパニア)》人でもない。私の生まれ育ったローマは教皇領、つまり教皇様が殿トノなのである。

 船長の話は続く。

「これはあくまでフェリペ二世陛下がイスパニア国王とポルトガル国王を兼ねるということにすぎず、両国はそれぞれ独立したままのいわゆる同君連合ウニヨン・ペソアルという形をとることになっていました。つまりこれまでのポルトガルの貿易はなんら変わることなく、ポルトガルの足場となっている場所もそのままで、役人や商館員もポルトガル人、船もポルトガルの船で貿易を行うということでした」

 同君連合ウニオーネ・ペルソナーレならば特に問題はないのではないかと、私は思っていた。なぜにこの船長も、そしてあらかじめすでに話は聞いているであろうと思われるコエリョ師もフロイス師も悲壮な顔をしているのか、私には分からなかった。それよりも早く、信長殿の死という一大事を彼らに告げたくて私はうずうずした。こっちの方が大問題だろうと思うのだ。

 だがその時、悲壮な船長の顔が余計に悲壮になった。

「私どもマカオの商館員も、この事実は今年の五月まで全く知りませんでした。ですが、五月に本当なら直接の行き来はなかったはずのフィリピーナスから突然アロンソ・サンチェス神父様パードレ・アロンソ・サンチェスがマカオに来られたのです」

アロンソ・サンチェス神父パードレ・アロンソ・サンチェスはフィリピーナスのイエズス会の司祭なんだが、イスパニア人だ」

 フロイス師が解説の口をはさんだ。船長は続けた。

サンチェス神父パードレ・サンチェスはフィリピーナスのイスパニア総督ドン・ゴンサロ・ロンキーリョからの使者という名目で、国王フェリペ二世陛下の意向を伝えに来たのです。まずは同君連合の事実をマカオの商館員や聖職者すべてに伝え、マカオにいるポルトガル人すべてが新国王への忠誠を誓うよう求めてきたのです」

「それはおかしいですね」

 私は抑えきれずにそう発言した。

「同君連合なのでしょ? なぜイスパニア総督からそのような話が来るのですか?」

「実は先ほど話に出たドン・アントニオはリスボンで敗れてからアソーレス諸島へ逃げていたのですが、どうもインジャのゴアへ移ってそこからイスパニアに反旗を翻すのではないかという風説が流れて、それがフェリペ国王陛下のお耳に入ったようなのです。だから、焦っておられるようだ。もはやただの同君連合ではないという事態になっていると、我われは解釈しています」

 もしかしたら、スパーニャとしては表向きは同君連合だけれど、実質上ポルトガルを併合したつもりでいるのではないかと、彼らは解釈しているのかもしれない。

 だから先ほどからの悲壮な顔つきなのか……。

 そもそもがスパーニャ自体がアルゴン、カタルーニャ、カスティーリア、レオンの同盟によって成立している国だ。そのカスティーリアを中心とした連合王国にポルトガルも加わるということのようだが、そうなるとたしかにポルトガルという国は消滅してしまう。

 連合王国もすべて同君連合にすぎないはずだが、アルゴンとかカタルーニャとかの主権はないに等しい。その四カ国が一つとなってスパーニャであり、ポルトガルもその中に吸収されるということを意味する。

 しかし、我われイエズス会はあくまでローマ教皇様の尖兵としてこの東の果ての国まで来ているのであって、ポルトガル国王に派遣されて来たわけではない。だから、ポルトガルという国がなくなってもやはり我われイエズス会には関係のないことだし、日本での福音宣教に影響はないだろう。

 ポルトガル人は新国王に忠誠を誓えということらしいが、イエズス会にはポルトガル人でない人も若干はいる。そもそも我われが忠誠を誓うべきは『天主ディオ』に、御子キリストに、聖母マリアに、そしてこの世においては教皇様に対してだけだ。地上の国の国王に忠誠を誓う必要はないはずである。

 だが、それは口に出しては言えない。

 ここにいる多数を占めるポルトガル人司祭や修道士の心情を考えたら、自分たちの故国がなくなってしまったわけだから、やはり気の毒に思うべきなのだろう。

 かのカブラル師は自分たちがポルトガル国王に派遣されて来たような感覚でいたけれど、そういう感覚の人もポルトガル人ならいるはずだ。

 でも、その時のポルトガル国王のエンリケ一世陛下は領土的野心はなく、ただ貿易でこの東の果ての国々と結びつこうとされていただけだった。

 たしかにエンリケ一世陛下はそうだった。でも、ポルトガルにとっては新国王となるフェリペ二世陛下はどうなのだ……? 

 むしろはっきり言えるのは、フィリピーナのドン・ロンキーリョ・スパーニャ総督はかなり領土的野心旺盛だと聞く。

 その時私は、思わず「あっ!」と声を挙げてしまいそうになるのをやっとの思いで抑えた。

 ある事実に思いいたってしまったのである。それまでとにかくいろんな情報がいっぺんに入って来て頭が混乱し、ぼーっとしていたというのが正直なところだ。

 だから、今頃になって恐るべき重要なことにやっと気がついた。

 それは、私にとっても、日本での福音宣教にとっても決して他人事ではなかったのである。

 スパーニャとポルトガルが併合……それは両国の間にあった垣根が取り払われること……つまり、地球を二分して両国それぞれの貿易範囲を定めたトルデシリャス条約とサラゴサ条約がすべて白紙になるのではないか……これまでは、そのサラゴサ条約のお蔭で日本はポルトガルの領域であったので、スパーニャの商館員は日本に来ることができなかった。またスパーニャ系の修道会とて然りだ。

 唯一フィリピーノだけが例外的にスパーニャの領域に入っていたのだが、今やその条約による境界線も撤廃されたら、フィリピーノ経由で大勢のスパーニャ人が日本へ来るのも時間の問題だ。

 いや、商館員だけならまだいい。まさか、まさかとは思うが、一気にスパーニャの兵力が日本へ……いきなりそれはないだろうとは思うが、またもや私の頭の中に思い出したくもないあの書物のタイトルが浮かんでしまった。

 そう、ヴァリニャーノ師が日本を離れる際にひそかに私に託したスパーニャ語の本……「|Brevísima relación de la destr ucción de las Indias(インディアスの破壊についての簡潔な報告)」……ここにはエウローパの西の大海の向こうのインカという帝国で、スパーニャの軍隊がその巨大帝国を占領するためにどれだけ悲惨な言語を絶する残酷な仕打ちを原住民になしたか、それが克明に記されていた。

 長らく忘却の彼方にあったその書物のことが、忌々しい記憶となって甦ってしまった。

 その時にヴァリニャーノ師はこうも言われていた。

 ――今やスパーニャとポルトガーロは世界を二分して覇を競っている。でも、サラゴッツァ条約のお蔭で微妙な均衡が保たれているのだけれど、この均衡は実に危ない。もしこの均衡が破れたら、考えたくもないような恐ろしいことになるかもしれないし、この日本も危ない……。

 まさに今そのヴァリニャーノ師の予言通りになろうとしているのではないか。

 私は思わず手を挙げた。

「あのう、一つお伺いしたいのですが」

 船長は気軽にうなずいてくれたが、コエリョ師とフロイス師はまたもや顔を曇らせていた。

「今、マカオはどのような状況になっているのですか?」

サンチェス神父パードレ・サンチェスとカピタン・モールのドン・アルメイダとの会談は何回もありました。その席でドン・アルメイダは新国王に忠誠を誓うことを表明し、その旨手紙をしたためるということでした。さらには、カピタン・モールがフィリピーナスのイスパニア総督に対し、シーナを武力侵攻すべき旨を主張していました」

「え?」

 驚いた。この驚きはコエリョ師やフロイス師も同じだったようである。その様子を見て船長もうなずいた。

「おかしいでしょう。もともと我われポルトガルは本来の条約では我われの領域となるはずのフィリピーナスにイスパニアが居座っているのが納得いかず、なんとか追い出そうと試みてきたのです。それを考えたら、カピタン・モールの今回の主張は変でしょう?」

 やはり、私が先ほど危惧したことが実際に起こり得る可能性があるということだ。だから私は、さらに尋ねた。

「マカオには巡察師ヴィジタドールヴァリニャーノ神父パードレ・ヴァリニャーノもおられるはずですが」

「はい。巡察師ヴィジタドールもフィリピーナスから来たサンチェス神父パードレ・サンチェスと何回も会談していたようです。でも、そのへんの詳しいことは私たちには分かりません。ただ、巡察師から準管区長宛ての手紙も預かって来ています。本当はゴメス神父様パードレ・ゴメスに託けたかったようですけどごたごたしていてゴメス神父様パードレ・ゴメスがつかまらず、それで私があとで渡しておくからと受け取ったのですが、私もまたゴメス神父様パードレ・ゴメスには渡しそびれてそのまま持ってきました。ここに持ってくればよかったのですけれど、商館の方に忘れてきましたのであとで持ってきます」

「とにかく」

 コエリョ師が口をはさんだ。

ゴメス神父パードレ・ゴメスも何かしら情報をつかんでいるでしょう。今は彼の船が無事に日本に到着することを祈りましょう」

「これから日本での福音宣教のあり方も、大きく変わるかもしれませんね」

 と、付け加えるようにフロイス師も言った。私はそれを聞いて、どうも嫌な予感しかしなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る