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 異変があったのは御ミサの後の朝食を食べ終えてかなりたっていたので、もう昼も過ぎていた頃だった。

 外から雨の音とは違う大勢の足音が聞こえるというので、私とペレイラ兄は教会の三階まで上がってみた。二階の外廻縁ソトマワリエン、つまりぐるりと取り囲むベランダは雨が吹き込むし、三階の方がよく見えるだろうと思ったからだ。

 音がするのは南の方のようだった。南の方は教会の前の通りから二筋向こうが四条の大通りだ。その大通りに民家の屋根越しに、実に奇妙な光景が展開されていた。すぐ目の前ではないので遠目ではよく分からないが、その大通りを大勢の人の群れが右から左へと走って行っている。

 群れというより大群だ。真っ昼間ではあったが雨の中のその異様な光景は、無気味にさえ感じられた。

 すべて男で、簡単な甲冑を着けている者もいるので、兵隊たちらしい。それが次から次へと切れ目もなくどんどん右から左へ、すなわち西から東へと息も絶え絶えという感じでよろめきながら、ときには歩きながらも走っていく。

 統率のとれた行軍などでは毛頭なかった。甲冑を着けていないものも、どうも途中で脱ぎ捨てたらしい。さらに遠くからではあるけれども、彼らが兵隊にしては何の武器も持っていないことがそれとなく感じられた。

 日本語には「百鬼夜行ヒャッキヤコー」という言葉がある。百の悪魔の夜のパラータ(パレード)という意味で、非常に恐ろしい場面の形容として使われる。

 今は夜ではなく昼間だが、まさしくそんな言葉で表すのがふさわしいような状況だった。

「みんなを呼んできてくれ」

 私は呆気にとられながらもペレイラ兄にそう頼んだ。すぐにオルガンティーノ師をはじめ司祭・修道士たち、そしてヤスフェも含め全員三階に上がってきて私の背後から窓の外をのぞいた。

「あれは兵隊だな。しかも武器も持たずにひたすらよろめきながらも駆けている。逃げてるんだな」

 オルガンティーノ師は窓の外に視線を向けたまま言った。

「あっちの方角は」

 フランチェスコ師が目を右の方へ向けた。都は東西と北の三方は山に囲まれているが南だけは山がない。その右側、すなわち西山のが南の平地に消える辺りに大山崎はある。

 ここからだと四条通りもかなり西まで見える。今日は雨なのでさすがにその先の山の麓までは見えなかったが、目の前を走っている兵士たちは方角的のその大山崎の方から来たことは間違いない。

「あれは明智の軍勢ですね」

 ヤスフェが言った。さすがに信長殿の城で働いていたヤスフェだ。我われよりも詳しく織田家の内情には精通している。

 その明智の軍の兵隊がばらばらの状況で武器も捨て、ひたすら東へ向かって駆けているのである。これはもう明智が戦争に負けたと思って間違いないだろう。だから逃げているのだ。

 だが、徒歩の兵隊たちが次から次へと逃亡してきては東へ去っていくのに、馬に乗った武将の姿は全くなかった。当然のことながら、明智日向守殿らしき姿も一向に見えない。

 我われはただ茫然と、その昼間の「百鬼夜行ヒャッキヤコー」を見つめていた。

 ところが、次から次へと兵は走ってきては去っていく。時には塊で、ときには一人ひとりばらばらに、逃亡兵士の流れは目の前の四条通りを東へ流れて行っていた。それがいつまでたっても終わりそうもない。

 こうしてかれこれ二時間近く、断続的にその逃避行は続いた。明智の軍の総勢は一万と聞いていた。それが全部逃亡したらそれくらいはかかるだろう。いや、それくらい時間がかかったということが、逆にその兵の数の多さを物語っていた。

 だがその兵たちも、今は逃亡してほとんどいない。

 おそらく兵たちはこの都に潜もうと思って逃げてきたのかもしれない。だが、都は大通りから路地に入るところにはすべて木の扉が設けられており、普段はそれは開いていて自由に通行できるが、夜などは閉めてしまう。だがこの日は南の方で戦争が起こっているということで、昼間なのにどの町内もその門を固く閉ざされていた。兵たちは都に入っても大通りしか通行できず、あきらめて東の坂本へと向かうのであろう。

 だが、私がこの国へ来てから知った知識では、戦争の兵士たちはほとんどが駆り出された農民だ。彼らは殿トノに対して武士サムライのような忠誠心を持っているわけではなく、だから戦争に負けそうになると一目散に逃げだすし、彼らが向かっているのは坂本の城などではなく自分の郷里の村であるに違いない。

 帰りを待つ妻や子らのもとへと、雨の中を懸命に走っているのだ。そう考えると、その雨の中の駆け足の逃亡は不気味というよりは哀れなものに私には感じられた。


 こうして二時間にもわたると兵たちの逃亡を眺めていた我われだが、その兵たちの逃亡も少なくなってほとんど途切れたであろうと思われた夕方近くになって、銃声を聞いた。

 これも耳をすませば微かに聞こえる程度の銃声だが、それがまた断続的に都に鳴り響いている。方角は先ほど大山崎だと見当をつけた南の方だ。かなり遠くでの銃声で、それが絶え間なく続いていた。

 兵たちは逃亡したのに、戦争はまだ終わっていないようだ。

 とにかく我われは一階へと降りた。銃声が聞こえるので戦争は続いている様子だが、何がどうなっているのか、ここにいる我われには全く見当がつかなかった。

 戦争が都まで及ぶことはないだろうとその日の晩はとりあえず皆寝室に入ったが、それでも遠くの銃声は聞こえ続けていた。

 そして翌朝、ようやく静かな朝を都は迎えていた。

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