Episodio 5 腐った鯛(Azuchi)

1

 翌日の日曜日は聖霊降臨ペンテコステの祝日であった。

 前の日の晩から小雨が降り始めていたが朝になったらやんでおり、昼間は晴れた。聖霊降臨ペンテコステナターレクリスマス復活祭パスクアと並ぶ三大祭日で、狭いながらも神学校セミナリヨの礼拝堂で厳かにミサは行われた。

 例によってこの日もヤスフェが来ていたので、早速オルガンティーノ師はミサのあとで司祭館にヤスフェを招いた。昨日の城に登った時にはヤスフェには会えなかったので、いろいろと聞きたいことがオルガンティーノ師にはあったようだ。もちろん、私やフランチェスコ師も同席していた。

上様ウエサマ、信長殿は、ミヤコミカドから関白カンパク太政大臣ダイジョウダイジン征夷大将軍セイイ・タイショーグンか、このうちの一つを選んで受けるよう申し渡されたそうです」

「それはどういうことかね。よく分からないけれど」

 と、私が率先して尋ねた。

「どれもミカドに次ぐこの国のトーポ(トップ)だそうです。私の詳しいことは分かりませんが、特に最後はいわゆる公方クボー様です。武士サムライとしては最高の身分となります。まあミカドやその取り巻きにどのような思惑あってのことか分かりませんが、上様はまだ悩んで回答はしていないようです。なにしろ織田の家を勘九郎様にお譲りになって隠居インキョされてから、上様は何ら肩書がありませんでしたからね」

 やはりまだよく分からないが、とにかくミカドに次ぐ最高位をミカドは信長殿に与えようということらしい。信長殿はそれを受けるかどうかという返事はまだ保留しているとのことだ。

「それと次の戦争ですが」

 甲斐での戦争が終わって間もないし、毛利との戦争はまだ継続中なのに、今度は他にどこなのかと思っていたが、ヤスフェが、

四国シコク

 と言った瞬間にすべてを思い出した。

 明智殿は信長殿が四国の長宗我部殿を討つ予定で、自分が何とかこれまでも仲裁に入ってきただけにその戦争を回避させようと彼は必死であると語っていた。

 だがどうもうまくいきそうになく、彼にとっては盟友である長宗我部殿が滅ぼされるかもしれないと明智殿は頭を抱えていたのだ。今も最後通牒つうちょうともいえる使者を土佐に送ったばかりのはずである。

 まさかその返事がもう来たというわけではあるまい。それなのに、明智殿にとって最悪のシナリオがこれから展開されようとしている。

「戦争の総大将は信長殿の三男で、我われとも親しいあの三七殿です」

「あ、それでか」

 と、思わず私は声を挙げていた。戦争の総大将として出陣するため、三七殿は自分の領地からあのおびただしい数の軍隊を連れて来たのだ。これで納得がいった。しかし、私の関心はそこではなかった。

「明智殿はどうされている?」

「ああ。その明智殿でしたら二、三日後に三河ミカワ駿河スルガの領主の徳川トクガワ殿が安土に来られるので、その接待役を仰せつかっててんてこ舞いしています」

「徳川殿が来られるのか」

 と、ここでフランチェスコ師が口を挟んだ。

「なぜわざわざ?」

「上様が呼んだのだそうです。それ以上の詳しいことはちょっと。あ、そうそう、これも三日くらい前絵だったかな、明智殿と上様との間でちょっと事件が起こりまして」

「事件?」

 と、聞いたのは三人同時だった。

「実は、完全人払いで上様と明智殿は天守閣内の小さな部屋で密談していたのです。でも私ともう一人の小姓の森乱丸モリランマルはすぐ隣の部屋に常に控えていますから、話は筒抜けでした。実は……」

 ヤスフェは声を落とした。我われしかいないし、しかもポルトガル語なので万が一町の人の誰かにこの話が聞かれてしまったとしても分かるはずはないのに、それだけよほど秘密の話なのだろう。

「今度の徳川殿の安土訪問で、上様はとてつもない恐ろしいことをたくらんでおいでです。その片棒を担いでいるのがどうも明智殿のようで」

「恐ろしいこと…」

 誰もが気になって、三人とも思わず身を乗り出していた。

「徳川殿に給する食事に……毒を……。接待役は明智殿です」

 ただでさえ心傷しているところに接待役だけでも十分に大役なのに、さらにそれ以上のこの大役では明智殿はたまったものではないだろう。

「ところがです。私がふと他のことを考えてボーっとしていた時に、上様は突然立ち上がられて、明智殿を足蹴にされたのです。あの、いつもは下にも置かずに丁重に接している明智殿をですよ」

 もしかして明智殿は、四国での戦争を最後まで阻止しようと信長殿に直接談判したのか、それとも例のコンキスタドールのことか、ヤスフェの証言が得られない以上、憶測するしかない。

 だが、明智殿が信長殿に蹴られたのは、ヤスフェが間違いなく目撃している。

「上様は皆さんバテレン様方へはとてもにこにこして穏やかに接していますが、それは例外中の例外です。他の家来に接するときはいつも怖い顔で、厳しい態度で接しているのです。激昂して暴力をふるわれることもしばしばと聞きます」

 その話は、前に織田家のある武士サムライからも聞いた。ニコニコ笑って我われと接する信長殿を見て、我われがいったいどんな魔法をかけたのかとその武士サムライは聞いてきたもののだった。

「明智殿とて皆さん方と同様な例外だったのです。上様は明智殿に対しては常にヘスペイト(リスペクト)を払い、丁重で、ときには笑顔で接していました。だから、今回の上様の明智殿への措置は我われにとっても衝撃でしたけれど、明智殿の方がもっと驚いているのではないでしょうか」

 たしかにそうだろうと思う。

「今から明智殿に会えないだろうか」

 私はふと思いつきでそう言った。

「会ってどうするのかね」

 と、すぐにオルガンティーノ師が釘を刺してきた。たしかに、会ったから何を言おうかとかどうしようかとか、私は全く考えていなかった。

「それは無理です」

 と、ヤスフェもまた別の方向から釘を刺してきた。

「明智殿は今、徳川殿の接待役として徳川殿を出迎えに行っています。今頃はここから北へ七レグアほど行ったところにある番場バンバという宿場町で徳川殿の来着を待っているでしょう」

 それならばたしかに無理だ。そう思った瞬間、私の心の中で何かもやっとするものが発生するのを感じた。その正体は、私にも分からなかった。

 どうも明智殿は信長殿から徳川殿に関して何か重大な、恐ろしい任務をもらっているようだ。だがその直後に、彼のオルゴーリオ(プライド)がズタズタにされるような出来事が起こっている。

 その明智殿は徳川殿が安土に入る前に信長殿よりも先に徳川殿に会うことになるのだ。

 できればこれからの日々が無事平穏でありますようにと、私は心の中で瞬時の祈りを捧げた。自分が平穏でというよりも、とにかく神学校セミナリヨの学生たちを護りたかったのだ。

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