これは一大事だと、とっさに私は判断した。

「あれは何を言っているのです?」

 と同じく慌てて私に詰め寄るコエリョ師に

「とにかく、行きましょう」

 と促して、私は廊下を走った。コエリョ師も走ってついてきた。ほかのミゲル・ヴァス師やサンチェス師、そして修道士イルマンたちも皆何ごとかと顔を出し、私たちの後に従った。

 声がした庭に出た時は、もう二人の影はなかった。だが、すぐに二人はそのまま御聖堂おみどうの中に入ったらしい形跡があるのが分かった。

「御聖堂とは、まずい!」

 すぐに私たちは御聖堂へと急いだ。

 ちょうど中天にもう少しで半月になる月があったので、満月ほどではないが少しは月明かりがあった。

 御聖堂の中も、夜目がきく程度の明るさはかろうじてあった。その中で、二つの黒い塊がカタナというこの国の剣を互いに振り回し、時には激しくぶつかって金属音をたてている。

 一人の刀は長いが、もう一人のは短い。その刀がぶつかり合うだけで、なかなか決着がつかない。しかも、二人とも畳の部屋に土足であがりこんでいる。

「やめろ! ここは聖なる場所だぞ!」

 コエリョ師はポルトガル語でそう怒鳴ってから、我われの方を向き、

「早くやめさせなさい!」

 と、叫んだ。そうは言われても、何しろ剣を振りまわしているのだから、うかつに実力で止めに入ったらこちらが斬られてしまう。

「やめなさい。ここは御聖堂です。やめなさい」

 と、私が日本語にて大声で叫ぶしか手立てはなかった。

「御聖体をお守りして!」

 と、サンチェス師はミゲル・ヴァス師に言っていた。サンチェス師は祭壇の上の聖櫃にご安置されている御聖体を護衛すべく、祭壇の上にかけのぼった。

 その時、外の方で大勢の足音がした。騒ぎを聞いてポルトガル商館護衛のポルトガル人兵士たちが駆けつけて来たようだ。

 二人は刀と刀を合わせて力で押し合いながら硬直した。

「なんで御聖堂の中まで追ってくっとね。信じられん」

「信じられんのはこっちたい。なんが父のかたきね。おいはわいの父なんか知らんけん」

 逃げて来た男は御聖堂という聖なる場所に逃げ込めばそこまでは追ってこないというアジール権を信じていたようだが、追ってきた男にはそのようなことは通用しないようだった。すると、逃げて来たのは信徒クリスティアーノ、追手は異教徒ということになる。

 しかも、最初に斬りつけたのはどうも逃げて来た信徒クリスティアーノの男の方のようで、斬り口は浅かったのか追ってきた男は斬られたから追っていると言っている。

 しかも斬った理由は父の仇、つまり自分の父親がこの男に殺されたその報復という一種のフェーデ(私闘ファイダ)であった。フェーデの後、教会のアジールを頼って聖堂に逃げ込むというのはエウローパではよくあることだ。だがこの国では教会のアジールはまだ確立されていないようで、現に斬られた男はそのようなこと関係なしに御聖堂の中まで抜刀のまま追ってきている。

 もはや我われは、ただひたすらこの騒ぎが収まるよう祈るしかなかった。手を合わせ一心に祈り、「アヴェ・マリア」を唱え続けた。

 次の瞬間、均衡が崩れた。

 長い刀の男の力が勝り、相手を押し倒した。そしてさらに次の瞬間、窓からの月明かりに刀が光った。そのふりあげられた刀が相手の体を斬り、血しぶきがあがった。

 音を立てて、この時切られた男は倒れた。顔はよく見えない。ただ、黒い塊が床に倒れるのだけが見えた。斬った方も刀をだらりと下げて肩で息をしている。

 その時、銃声が響いた。窓の外から短銃が撃ち込まれ、それは今しがた相手を斬り倒した男に命中し、もう一つの黒い塊もバッサリと倒れた。恐らくはすぐに倒れたのであろうが、私の感覚ではゆっくりと倒れたように感じる。撃ったのは、外にいるポルトガル人兵士のようだ。

 私は足の震えが止まらなかった。こんな間近で人が死ぬ、しかも殺されるのを初めて見た。もはや御聖堂内は血の海だった。

 聖なるものが汚された悔しさもあったが、それよりも恐怖の方が勝っていた。だから、足がすくんで動けなかった。それでも勇気を振り絞って二つの亡きがらの近くに行ってそれを見たとき、吐き気も感じた。

 さらに外が騒がしくなった。外でも小競り合いが続いている。

「入ってはいけない! 入るな!」

 ポルトガル兵たちが大声で叫んでいたが、駆けこんできたのは皆日本人のようで、ポルトガル語が通じるはずもなかった。

「おいどんの兄が狼藉もんば追うて、こん南蛮寺の中さん入ったとたい」

「だから中に入れんね」

 と、口々に今駆けつけた一団は言っている。どうも先ほど中で死闘をしていた人たちの家族や親類、友人たちのようだ。男ばかり七人ほどいた。皆武士サムライだ。彼らは力づくで中へ入ろうとする。それをポルトガル兵が力づくで押しとどめようとする。

 そもそも要塞化したこの教会は、門さえ閉じてしまえば難攻不落の城と同じだ。だが、その門が甘かった。やはり本物の城とは違う。簡単に人びとの突破を許し、彼らはゆっくりとこっちへ歩いてくるので、コエリョ師が叫んだ。

「遺体は司祭館の方へ運んでください、急いで!」

 日本人の修道士と同宿の少年たちで、二つの倒れた黒い塊を数人で持ち上げて御聖堂とはつながっている司祭館の一室へと入れた。

 運ばれたのは、一人は武士サムライ、もう一人はまだ若く、少年といってもいいくらいの男だった。その二人を追って町の方から来た人々は、今にも御聖堂の中へ入ろうとしている。

「ドアを閉めなさい。鍵もかけて。ポルトガルの兵の皆さんも司祭館の中へ入ってください」

 コエリョ師がさらに叫ぶ。ポルトガルの兵はコエリョ師の命令系統の中にはないが、今は非常時でそのようなことを言っていられない。

 かろうじてポルトガル兵は司祭館の中へ入り、すぐに庭に射撃ができるよう、皆短銃の火縄に火をつけて、弾も込めて窓から構えていた。なんとか町の人びとが御聖堂や司祭館に入る前に施錠をした。

 人びとは司祭館の入り口に殺到した。そして激しくドアを叩いた。その数はざっと十人くらいと思われたが、その十人が一斉にドアや壁を叩いたらかなりの恐怖である。

「ここば開けんね!」

「開けろ!」

「さっき銃声が聞こえたばってん、あれは何ね?」

「まさか、深江様が撃たれたんじゃなかね。そのへんのこつばはっきりさせんさい!」

「深江様を出せ! 深江様に会わせろ!」

 怒声はどんどん大きくなっていく。ポルトガル商館の方からも、ポルトガル商人たちが何ごとかと駆けつけて来た。すると、司祭館に押しかけていた人びとは、今度は庭伝いに駆けつけて来たポルトガル人たちに向かって、

「さっきの銃声は、わいどんが深江様ば撃った銃声じゃなかかね!」

 と、詰め寄り始めた。

「深江様が南蛮貿易に反対しよることを知ってわざと刺客を放ち、そしてこん南蛮寺さん誘いこんで撃ち殺したんじゃなかとね」

「そうたい、そうたい。わいどんは侵略者じゃ。いつかこん国ば占領せんと思うとるに来まっとっと!」

 だが、ポルトガルの商人たちは日本語が分からないから、きょとんとしている。実は彼らと日本の商人たちの通訳をするのも、ここ長崎では我われ修道会の仕事でもあると聞いたような気もする。

 そこでコエリョ師は、窓辺で防御していたポルトガル兵の一人をそっとどかせて窓から顔を出し、いちばん近くにいた私を呼んでその隣に立たせた。

「通訳してください」

 そう言うとコエリョ師は、窓の外の人びとに向かって叫んだ。

「事情を説明しますから、落ち着いてください」

 私は言われた通りにそれを通訳していたが、ふと疑問に感じた。なぜコエリョ師は自分で言わないのだろうかと。

 これがヴァリニャーノ師なら分かる。ヴァリニャーノ師ならまだ日本に来てから二年で、しかも普通の宣教師のように日本に来てまず日本語の習得というような過程はない。なぜなら彼は宣教師ではなくあくまでイエズス会総長代行の巡察師ヴィジタドールであり、その巡察師ヴィジタドールとしての激務でとても日本語を学んでいる余裕などなかったはずだからだ。

 しかしコエリョ師は来日十年。しかも一介の司祭ではなく下布教区の布教区長であり、これから総布教長になろうとしている人である。それがなぜ、いちいち通訳を必要とするのだろうかと思ったが、今はそれどころではない。

「先ほど、突然二人の人が刀でけんかをしながらこの教会に入ってきました。そしてわれらが聖堂にてけんかの末、互いに剣で斬り合って、両方とも亡くなってしまいました。お気の毒です」

 あくまで射殺のことは隠し通すつもりだ。それを聞いて押し寄せていた人びとはどよめき、

「なんと、深江様が狼藉者と差し違えたというんね」

「なんともまあおいたわしか」

「うそじゃ、うそじゃ、そぎゃんコツがあっていいはずなか!」

 と、まだ興奮して叫んでいるものもいる。悲嘆にくれて膝を折って地に倒れ込み、涙をぬぐっているものもいる。

 どうやら話の流れから、最初に御聖堂に逃げ込んだ若い方ではなく、追手の方の異教徒の武士サムライが「深江様」らしい。

「騙されたらいけん!」

 興奮して叫んでいたものは、さらにわめき続けている。

「捕らえられとるに決まっとろうが。バテレンたちは人の肉を食らい、血をすするっちいうけん」

 中には冷静に、そう言って叫んでいるものを制する年配の武士サムライもいる。この者たちは武士サムライとはいってもシロ殿トノに仕えている武士サムライとは違って、半分は市民のような感じだ。

 私は彼らの言い分もいちいちコエリョ師に訳して伝えていたが、そのたびにコエリョ師は呆れたように黙って首を横に振るばかりだった。そのうち、ようやくコエリョ師は口を開いたので、私がその言葉を彼らに告げた。

「状況は説明しました。今度は私があなた方に問いたい。まずは、あなた方のお仲間、深江様というのですか、その方を刺して逃げて来たものは、深江様に自分の父親を殺された復讐だと言っていました」

「そぎゃんあほなこつなか! 深江様が仇と狙われとるなんて話は聞いたこともなかけんな。そもそも深江様が、これまで人ばあやめたっちゅうこつも、絶対になか」

「あなた方はその深江様の何なのですか?」

「こん者は」

 年配の武士サムライは自分よりは少し若いがそれでも十分に年配の武士サムライを示し、

「深江様の弟御たい」

 と、言った。

「おいどんは皆親戚縁者か、親しく付きうとったもんたい」

「深江様というのはどのような」

頭人トーニンのお一人たい。頭人ちゅうても頭人中トーニンチューには六丁町のそれぞれの町の頭人や大村様の手のもの、竜造寺様の手のものといろいろおるばってん、深江様はこん長崎のいちばん古か土着の血筋、これまでのお代官の長崎様の家系よりも古か家系たい。じゃけん、深江様は頭人中でも筆頭株のお方じゃった。そぎゃん親の仇と狙われるはずもなかお人たい」

 頭人ということについてはミゲル・ヴァス師が予備知識を入れておいてくれたおかげで、私の理解は早かった。だがコエリョ師はそのままトーニンと言っても分からないような顔をしたので、代表者プリンシパエスと言い換えておいた。

「他の頭人たちはわいどんバテレンや南蛮の商人あきんどに迎合し、それによって長崎も利益を得るべきだと主張する者が多かったとばってん、深江様だけは違うてバテレンを受け入れるのには断固反対されとったと。そもそもこの国にもこれまで何千年と培ってきた伝統があっと。こん長崎にも受け継いできた伝統と、大村様より自治を任されてきたちゅう誇りがあったとよ。じゃけんわいどんバテレンはそれを何もかも根こそぎ壊して自分たちのしきたりを押しつけとるけん、挙げ句の果てにはそうしてこん国を乗っ取ろうちゅう魂胆に決まっとる。武力ではかなわんけんそぎゃんやり方でこん国に入りこもうちゅうこつで、その一つがわいどんのバテレン宗じゃなかね」

 通訳しながら、私は声が震えていた。正直言って、そのような内容を言語を変えて伝えるための通訳であっても自分の口で口にするのは抵抗があった。

 だが、聞いていたコエリョ師は、少なくとも表面は冷静さを装い、ただ黙っていた。しばらくしてからコエリョ師は言った。

「とりあえず今夜は、こういういきさつです。夜も遅いですし、明日また話し合いましょうか」

 私の通訳を聞いて、先ほどの深江様の弟と紹介されたものが前に出た。

「なら、まずはほんなこう二人とも刺し違えて死んだいうなら、仏さんホトケササンば我われに引き渡してもらいたか」

 この場合のホトケサンとは異教徒の崇拝対象のカミホトケホトケではなく、亡くなった人の亡骸なきがらという意味である。

「それと、深江様だけではなく、深江様に斬りつけた狼藉者の仏さんも一緒にこちらで引き取りたか」

「いいでしょう」

 と、私の通訳を聞いた後のコエリョ師は言った。

「ただ、今日は夜も遅いですし、御遺体は一晩こちらで預かりますから、明日あらためて引き取りに来られてください」

 この申し出に、皆不服そうではあったが年配の者にたしなめられて、とりあえずはそうすることにしたようで、しぶしぶと引き揚げていった。

 とりあえずは収まった。私は大きくため息をついた。もう外は夜など寒いくらいの時分だが、私はじっとりと汗を書いていた。

 だが、コエリョ師は平然とした顔をしていた。明日遺体を引き取った彼らが、深江様という人の遺体の鉄砲傷を見たらなんと言うだろうかという懸念も残る。そのことを口にすると、ポルトガル語に堪能な一人のロケ兄という名の日本人修道士イルマンが、

「それは大丈夫ですよ」

 と、言った。

「日本では昔から遺体は穢れとされていますから、むやみに遺体に手を触れることなくすぐに埋葬されるでしょう」

 そのとき、同宿の少年が息を切らして走ってきた。

「さっき運んだ二人のうち、若いほうの人はまだ生きています」

「え?」

 これは、その場に居合わせた人たち皆が驚いた。

「でも、ほとんど虫の息で、亡くなるのも時間の問題でしょう」

 私がこのことをコエリョ師に告げると、例によって表情も変えずに、

「それなら、最後に告解を聞いてあげなさい。彼は信徒クリスタンですよね。終油の秘跡ウンクショウネムも」

 と、私に言った。

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