3

 こうして、長い会議は終わった。

 私はこうも現実的な、世俗的な会議になるとは思わなかった。キリストがいしずえを築いた教会も、今やこの世の組織なのだなという実感があった。何よりも、カブラル師がやたら武力をちらつかせ、ポルトガル国王の威信がどうのこうのと言っていたのが気になる。コエリョ師も言葉数こそ少なかったが、どうもそれに同調しているような雰囲気を感じた。

 もはやヴァリニャーノ師とカブラル師の間の溝は、埋めようがないくらい深いものになっているらしい。

 司祭となってまだ一年もたっていない私だが、神学生の頃とは教会に対する見方も違ってきたような気もする。しかもそれは、あまりいい意味ではなく、だ。

 ただ、それは私自身の霊性の低下によるものかもしれない。考えてみれば、日本に来てからというもの何もかもが慌ただしくて、聖務日課で読む「詩編」と、毎日のミサで朗読される箇所以外にほとんど聖書にも接していないというのが現状だった。

 これではいけないと反省したが、今の私の課題は全力での日本語の習得にあったから、反省を生かす心の余裕とてあまりなかった。

 

 そして八月も終わろうとしていた時、司祭館の司祭たちがざわめいている朝があった。何ごとかとメシア師に聞いてみると、なんとカブラル師が日本総布教長を辞任する辞表を提出したのだそうだ。辞表は二通、巡察師であるヴァリニャーノ師宛てと、イエズス会総長宛てだった。そしてその総長宛ての辞表に、了承した旨の署名をすでにヴァリニャーノ師はしたということであった。

 だが、その後の日常生活において、少なくとも表面的にはカブラル師とヴァリニャーノ師の間はほとんどこれまで通りという印象を私は受けていた。

 数日間雨が続いた後のある日、私はヴァリニャーノ師と共に再び口之津へ行くことになった。かねてより準備していた有馬の殿ドン・プロタジオの従弟いとこの洗礼が行われるということで、これはかねてより決まっていたことらしいが、ヴァリニャーノ師が授洗司祭になるということだ。受洗式のミサには殿のドン・プロタジオも参列するとのことで、殿は警護の兵士に前後を守られながら馬で口之津へ向かい、私たちは同じ行列にやはり馬で加わっていた。

 私が初めて自分が乗る馬を神学校の庭で見たとき、

「これはポーネイ(ポニー)ではないですか」

 と思わず言ってしまった。それを聞いて、ヴァリニャーノ師はまた笑っていた。

「これが日本の馬だよ。たしかに我われの目から見るとそう見えるかもしれないけれど、これで立派な大人の馬なのだよ」

 それを聞いて、日本の馬はずいぶんと小さいものだなと私は思った。

 残暑厳しい中ではあったが海沿いの道は潮風も強く、それがいくぶん涼しくもあった。

 海峡の対岸の天草アマクサの島も、よく見える。

 行列では私とヴァリニャーノ師が馬を並べて歩く形なので、十分に話ができた。ドン・プロタジオにとっては自分の領内へ行くだけだから、警護の兵士といってもそう仰々しいものではなく、数えられるくらいの人数だった。その日本人の兵士たちは、ヴァリニャーノ師の話では半分くらいが信徒クリスティアーニだという。兵士とはいっても、本職は皆農民なのだそうだ。信徒クリスティアーノだからといってポルトガル語が分かるわけではないし、ましてや久しぶりに二人きりになったので、この日は思いきりイタリア語で会話をしていたのだから、だれにも遠慮はなく大きな声で話はできた。

 すぐ目の前を、馬上のドン・プロタジオの背中が見える。

 本当に小さな背中だ。

「日本では、このような少年が領主ということは、よくあることですか?」

 私はヴァリニャーノ師に聞いてみた。

「わたしの知る限りでは、この殿だけだけれどね。ただ、彼ももう十三歳。日本ではすでに元服ゲンプクという成人の式を済ませている以上もはや少年ではなく、一人前の大人として扱われるのだよ」

 たしかに、十三歳とはいっても実に堂々とした態度で、それはまさしく大人としての振る舞いが身についていた。自分の故国の十三歳と比べてみても、故国では十三歳といえばまだまだ子供扱いで、実際にこのように堂々と領主を務める十三歳などいないだろう。やはり国民性の違いか、あるいは社会背景の違いでそうなるのか、私が首をかしげていると、ヴァリニャーノ師がさらに驚くべき言葉を言った。

「彼は十三歳といっても、実は我われの国でいうところの十一歳か十二歳だよ。我われとこの国では年齢の数え方が違う。この国では生まれた時点で一歳で、誕生日ではなく正月で皆が一斉に年をとるのだ」

 私はしばらく、唖然としてただ馬を歩ませていた。そして、

「今回の洗礼志願者は、年は」

 と、やっと話題をみつけて言った。

「十一歳だよ。我われの国での九歳か十歳だ」

「親御さんは?」

「親の千々石チヂワ殿はジュリアンという信徒だったけれどね、戦争で死んだ。そのあと母親と共に伯父である大村の殿のドン・バルトロメウに引きととられて養育されていたんだ。今回の受洗は本人の志願もあるけれど、その父親の遺志と、伯父のドン・バルトロメウのたっての希望で前から話は進んでいた」

「ちょ、ちょっと待ってください。受洗志願者は確か有馬の殿の従弟だったのでは?」

「そうだよ。有馬の殿ドン・プロタジオも大村の殿ドン・バルトロメウの甥だからね。ドン・プロタジオの亡き父君のドン・アンドレスと大村のドン・バルトロメウ、そして今回の受洗志願者の亡き父君のジュリアンは三兄弟だ」

 長崎付近を領有しているという大村の殿と有馬の殿が叔父・甥の関係だということは初耳だった。そうなるとたしかに有馬の殿と今日の受洗者は従兄弟になる。

 

 それからしばらくは周りの景色で目を楽しませながら進み、時折なされた会話と言えば、その風景についてのみだった。

 だが私は、どうしてもヴァリニャーノ師に聞きたいことがあったし、今ほどちょうどよい機会はないと思ったので、道が岬を回って口之津の町が湾の対岸に見え始めた頃に思い切って横から師の名を読んだ。

「ちょっと小耳にはさんだのですが、カブラル神父様が布教長を辞任なさったということは本当ですか?」

 ヴァリニャーノ師は馬上前を向いたまま少し間をおいてから、

「そうなんだよ」

 と、言った。そして、そのまま話続けた。

「年が上の先輩にこのようなことを言うのはおこがましいが、彼は布教長として、また宣教師としても実に優秀な司祭だ。それに、確かにかなりの功績を挙げている。今、この国で十万の信徒がいるというのも、彼の熱意が大きく寄与してきたといっても過言ではない。だが困ったことがあってね。君もこの間の会議で聞いていたと思うが」

神父様パードレのご意見に賛成してくれないことですね」

「そうだよ。やはり福音宣教というものはこの国に限らずどこの国でも、まずその国の風俗習慣や文化を身につけて、我われの方でそれに順応して、精神的にその国に入り込んでいかなくては成功するものではない。それなのにあの神父は、我われの文化をこの国に押し付けて、この国をまずは文化的に我われの文化と同じように染め上げて、それからでないと本当の意味での福音宣教はできないという考え方なんだね」

 もう再三聞かされていたことなので今さら説明されなくても分かっていたが、一応私はうなずいておいた。

「彼がそのような考え方を捨てて私の考え方どおりにしてくれるのなら、彼ほど統率者としてふさわしい人はいないんだけれどね。残念だ」

「そうですか」

「まあ、辞任したからとて布教長が空席になるわけにもいかないから、後任者が決まるまではそのまま彼に布教長をやってもらうしかないけれど、そうすぐには決まらないだろう。一応考えている人はいるけどね。今は安土アヅチにいる」

 そして少し間をおいてから、また師は話し始めた。

「カプラル神父に関してはもう一つ気になることがあってね。彼は元軍人なだけに、軍事的なことには敏感だ。ま、長くこの国にいた彼がどれほど他国の現状を把握しているかは分からないけれど、今フィリピーネのマニラにいるスパーニャ(イスパニア)総督は、しきりにチーナへの武力侵攻をスパーニャ(イスパニア)国王陛下に進言しているらしい。もっとも、国王陛下にそのようなお考えはないようで、さらにはあの国には今はそんなことを考えている余裕はないようなのだけど、でも総督も頑固で自説を曲げないということだ。そんな総督の目が、もしこの日本に向いたら」

「それはまずいですね」

「だが、かの神父はそれを歓迎しかねない。元軍人だからね。骨の髄までしみ込んでいる。そうなると、この国にもいろいろ不都合なことが起こる。ま、スパーニャ(イスパニア)の艦隊が攻めて来ても、この国はそう簡単には落ちないだろうけれどね。それにサラゴッツァ条約による航海領域の問題があるから、スパーニャ(イスパニア)は日本へは手を出せない」

 それを聞いて少し安心した。今から約八十年前にイスパニアとポルトガルの間で結ばれた条約によると、イスパニアとポルトガルとの間で世界を二分してそれぞれの航海領域を取り決め、領土問題における両国の摩擦の緩和が図られた。その際の例外がフィリピーネ――ポルトガル語でフィリピナス――だったが、日本の大部分はポルトガルの航海領域となる。

 だが、もう一つ、懸念が生じた。カブラル師はポルトガル人だということだ。しかし、ポルトガル国として日本に来ているのはマカオのカピタン・モールである。フィリピーナの総督と違ってカピタン・モールはあくまで航海長であり、カピタン・モールはじめポルトガル商人に領土的野心はないだろう。そもそも今のポルトガル国王は前国王と違って、やはり領土的野心はない聖職者の枢機卿なのだから。

 そんなことを考えているうちに、行列は口之津にどんどん近付いていった。本当に美しい国だ。そこに清潔で礼儀正しい文化水準の高い国民がいる。この国をイスパニア艦隊が攻めるなどという悪夢はあってはならないと、私は緑美しい山と夏の終わりの日差しを浴びてどこまでも青く明るく輝く湾内の海を見ながらそう感じていた。

 ふと、そんな感慨を、ヴァリニャーノ師の言葉が遮った。

「カブラル神父の辞任の件は、あの時の会議の席にいた人以外にはまだ口外しないでほしい。もちろん本人にも、聞いたということは言わないでくれ」

「わかりました」

 そう答えてから私は、また景色に目を戻した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る