雪を溶く熱

穂乃華 総持

第一首 浅き夢見し

 もういつのみかどのときになりましょうか。

 わたくしがお仕え致しました姫は、その罪深くもやんごと無きお血筋ゆえに、この山深き郷に隠されました身にございますれば、父母も無き、それは寂しい暮らしにございました。

 しかしながら、その幼き御身おんみ何故なにゆえに罪に問われましたかは、わたくしは知りようもなき山育ち。ただ東国の山郷を管理致します守護代の御本家ごほんけに呼び出され、幼き姫さまの身の回りのお世話をせよと御命じあるままに、離れにて寝食を御一緒していたに過ぎぬ小娘にございます。

 そのような罪を背負おうとは微塵も考えが及ばず、今日とて裏庭より聞こえる幼き二人の楽しげな声に耳を傾け、繕い物などをしておりました。


「もういーかいっ?」

 その目を隠し、庭さきの縁より問う声はなよなかなる男児のもの。さりとて御本家が渋りながらも預かりました、武士もののふの御子にございます。

 御名みなこそお隠しにございましたが、そのお血筋の高さは御屋形おやかたさまが自ら上座を降りまして、お譲りになることから推して計るべきにございましょう。


「まーだだよっ!」

 離れし木々の隙間より響く清らかなる声が、わたくしがお仕えし姫にございます。

 その見目は幼き女童めわらわとは言えども、ちらりとも目にしますれば、郷者とは知れぬ、可愛いらしきお姿にあられました。

 お二方ともに京の都を遠く離れ、預けられし身でございましたから、その御心が共鳴し合うのもまた必定。

 姫は秋口に参りました御子を秋人さまとお呼びになり、御子はその曇りなき白き肌から、美冬とお呼びになられ、お二人に過ごされるのを常日頃としておりました。


 しばしの間を開けまして、少し離れた草影より、姫の笑みを含めました声が響きまする。

「もういーよっ!」

 さりとて、そのお姿は着物を重ねた姫装束にございます。自らはお隠れになられているお気持ちにございましょうが、草葉の間より装束の赤き衣の裾がのぞいておられます。

 しかるにお優しき心持ちの秋人さまは、その口元を弛めたもうただけで、検討違いの方へと歩みをお進めになられました。

 その仲睦まじきご様子に、わたくしめも口元を弛めずにはいられない、御本家の御館おやかたより更に山をわけ入りし、離れの館にての幼き日々にございます。



  果て無きと

     浅き夢見し

        蝉時雨せみしぐれ

       たわむ稚児ちご

         笑みを浮かべつ


(夏の日に仲良く遊ぶ、二人の子供。こんな日がいつまでも続くのだろう)



 そのおりに詠みました、拙き和歌にございます。今にして思えば、なんて呑気なものと思わずにはいられません。

 しかるに、わらわのときは久しからず。その時は意外にも早く訪れました。





 お二人の健やかなるご様子をお耳にされた御屋形さまが駿馬にて駆け付け、その顔色を失い、引き離しておしまいになられたのです。

 武士の御子であられた秋人さまは剣術に馬術の稽古にへと、美冬姫には「貴族の娘であるならば、屋敷にて御簾みすの中で過ごされよ」と。

 わたくしは日々に何度も御再考のほどを願い出ましたが、「なれば、姫より遠ざける」との頑ななお言葉に、諦めるよりほかに手立てはございませんでした。


 それより程なくしてからの、わたくしめの日課にございます。

 夕暮れ時になりますと、手に手拭いと清水の木桶を持ちまして、庭の端の小路に立ちてお待ち致します。

 やがて遠回りになるもいとわず、お通りになられました秋人さまが馬を止め、わたくしめに問いまする。

「今日も変わりないか?」

 されども、その目はわたくしにあらず、庭先に降ろされた御簾より、動くことはありません。

 お二人を阻む、薄き一枚の隔たり。

 そこに姫さまのお姿を探し、声を聞けずしても、息遣いさえにも耳を澄まされる。

 その向こうでは身動みじろぎも忘れ、ただただ秋人さまのお姿を、その目に焼き付ける姫さまのお姿があるのでしょう。


 稚児服よりお衣変えをなされたお二人に、いとあはれと目に涙を浮かべ、御屋形さまをお怨み申し上げた秋の日にございます。



  した想い

    声を交わしき

       やま鳥を

         恨みし夕べ

          紅葉降りまじ


(心に秘めた想いを、声にして伝えられる山鳥を恨んだ、紅葉が降りやまぬ秋の夕暮れです)



 されども御屋形さまのお心を知るのも、もう幾年いくとせのこと。考え浅き、愚かな女の日記よとお笑いください。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る