アンダードッグ

 ローガンは上機嫌だった。

 先程マーニーの酒場のイカサマポーカーでせしめた二十ドルと、なみなみとバーボンが入ったスキットルを手に、夕暮れのサン・アントニオのメインストリートを愛馬に揺られながら、にわかに明かりが灯る街並みを眺めていた。


「それにしても、こりゃあ変わった懐中時計だな」


 着古した砂色のガンマンジャケットのポケットから鎖のついた丸いそれを取り出して、まじまじと見つめた。さっき掛け金の代わりに【快く】貰ったものだ。真鍮で出来ている。それだけなら普通の懐中時計だが、その周りを囲むようにクリーム色の象牙細工に覆われて、その細工は流れる水とそれを泳ぐ魚を表現している。こういった芸術に疎いローガンにもこれがかなりの価値になるだろうことはわかった。


「でもこれじゃ何時か分からねぇな」


 文字盤はもっと奇妙だった。数字でもアルファベットでもない、文字が並んでいるのだ。まじまじと見ていると、愛馬がこちらを見ているのに気づいた。


「ああ悪いなローチ。腹減っただろ」


 ポーカーで金を得たその足で近くの雑貨屋へ寄って正解だった。サドルバッグからオーツケーキを出し、包みを開けた。オーツ麦の香ばしい香りが広がる。手を伸ばして鼻先に持っていくと、ローチは旨そうにそれを食べ始めた。


「今日は豪勢に宿を取るか。なあ、相棒」


 オーツケーキを貪っていたローチが鼻を鳴らした。ローチは此処に来る四つ前の街で出会った、白と茶の斑模様のマスタングだ。気性が荒く、牧童を二人ほど蹴り殺して射殺寸前の所だったのをローガンが二束三文で買い取った。この気性の荒い牡馬は、不思議なことに、ローガンを見ると驚くほど大人しくなり、鞍を載せてもじっとしていた。一日に三十マイル移動することが出来るスタミナと、銃弾が降り注ぐ中でも恐れることなく駆け抜ける勇猛さで、すぐにローガンの唯一無二の相棒になった。


「おい、このイカサマ野郎!」


 後ろからかけられた濁声に、ローガンはせっかくいい気分が台無しだとばかりに、黒に近い飴色のギャンブラーハットを少し上げて馬を止めた。そこにはヤマアラシのような髭の、でっぷりと太った男が目を血走らせてこちらを見てた。


「あぁ。さっきの。ええと、ロブだっけ?」

「グリムジョーだ! クソ野郎! 俺の時計を返しやがれ!」

「はぁ? 賭けに負けたんだから当然だろ?  それともそのおつむじゃ、ルールを理解できないか?」


 ワザとらしく大仰にため息と身振りをしたら、グリムジョーはこめかみに青筋を立てながら、顔を顰めた。やりすぎたかな?と思う間に、男はホルスターに手を当てた。


「馬を降りやがれ! このクソイカサマ野郎!」


 やれやれとローガンは帽子を被り直し、馬上から降り立った。


「すぐ終わるからな。向こうで待ってな」


 首筋を軽くたたいてやると、頼もしいマスタングは心得たと言った風に鼻を鳴らし、少し離れた所へ歩いてゆく。通りを歩いていた、あるいは道端で飲んだくれていた人々が、この成り行きを見守ろうと自然と集まり始めた。決闘はダイムノベル(三文小説)と同じで庶民の娯楽のひとつだった。


「テメェを殺したら、その馬も貰ってやるぜ」

「そうかい。ならアンタはすぐに地面に落っことされて六フィート下の穴蔵で神に祈るんだな」


 観衆のさざ波のような笑いが辺りに響く。グリムジョーは今度こそ怒り心頭に発したように、ローガンを睨み付けた。


「あ、ごめんって。ジョークだよ。ローチは気難しいから……」

「黙れ!」


 グリムジョーが怒りに任せてホルスターから銃を抜いた。まだ話途中だったローガンが哀れにも地面に斃れ伏すと誰もが思っていた。

 しかし、銃声はほぼ一発に聞こえていた。否、正確には、三発。

 ゆっくりと、グリムジョーの巨体が頽れた。ローガンの右手には、白い煙をたなびかせるキャトルマンリボルバー。あの一瞬に銃を抜き、二発叩き込んだのだ。グリムジョーの右手の銃と、眉間に。


「だから言ったのに」


 くるりと右手のリボルバーを一回転させて、ホルスターに収める。グリップには牡鹿が刻まれていた。

 斃れた男を跨ぎながら、ローチが蹄を鳴らして近づく。やっと終わったか、とでも言うように不満げに右前脚で地面を踏み鳴らしていた。


「ねぇ……グリムジョーって…あのエディ・【ブラック】・ジョーンズの……」


 ひそひそと囁かれた野次馬の声をローガンは耳聡く聞き付けていた。すぐにジャケットの内ポケットを探り、すっかりくしゃくしゃになった手配書を取り出し、死体の顔と見比べる。


「あー…こいつか。似顔絵が下手くそで分からなかったぜ。グリムジョー・ブラッド。ブラックギャングメンバー。殺人、駅馬車強盗……こりゃ良い。手間が省けた。おおい!近くの保安官事務所はどこだ!?」

「二ブロック先の突き当たり左手だよ!旦那!」

「懸賞金貰ったらウチに来ておくれよ!ねぇ!」


 野次馬達に向けて大声で問いかけると、すぐ斜め前の娼館の窓から女性達が黄色い声でそれに答えた。


「オーケイ!レディ達、ちょっとだけ待っていてくれよ!すぐに帰ってくるからな」


 ローガンは彼女達に向けて、帽子を軽く上げウィンクをした。嬌声と笑い声が通りに響く。


「今夜の宿が決まったぜ、相棒」


 含み笑いをしながら大きな耳に囁けば、斑模様のマスタングは呆れたように鼻を鳴らした。



 ーーーー


「もう何も知らねえ……知らねえんだ」


 ランタン一つだけが灯された納屋の中に、苦しげな声が響いた。

 辺りには牛の糞尿の臭いの中に明らかに鉄錆の臭いが混じって凄まじい異臭を放っている。

 だが、黒く丸みのあるボーラーハットにダークグレイのダブルスーツを着た四人の男達は不快な表情ひとつせずに、目の前の椅子に縛られたまま、血塗れになって悶える男を見つめていた。


「【時計】はお前の仲間が持っていたと聞いている。正直に言えばもう数本の指が吹き飛ぶだけで勘弁してやる」


 男はヒッ!と引きつったような声を上げた。男はブーツを履いておらず、両足はおびただしい血に塗れ、いくつかの指が無くなっていた。


「しらねぇ……一緒にいなかったのは、グリムジョーだけだ……近くの街に酒と……女を買いに行った筈だ……」


 腫れ上がった唇を懸命に動かしながら男が言う。


 男達の1人がランタンを手に近づく。その男は顔の左半分がケロイド状になっていて、酷薄そうな眼と相まって異様な雰囲気を放っていた。


「成る程。そうですか」


 黒い革手袋をした手で男の顔の血を拭ってやる。その手つきは先程まで拷問を行なっていたとは思えない程優しかった。

 その異常な光景を、周りの男達が戸惑ったように見つめていた。


「御協力どうもありがとう」


 その言葉と共に、右手が水平に、素早く動いた。

 指先から鋭い剃刀のような刃が見えていた。

 あまりの速さに、誰もその挙動を見切る事すら出来なかった。

 すぐに男の喉が赤黒い飛沫が吹き出し、火傷跡の残る顔を赤く染めた。あまりに凄惨な光景に、周りの男達も目を逸らす。


「ち、チーフ……」


 その一人が、恐る恐る男に声をかける。


「ああ、【社】に連絡をお願いします。【ソードのエース】が【時計】の場所を確認した。と」


 チーフと呼ばれた男は、白いハンカチで顔を拭きながら、まるでつい今しがた人を殺した事すらなかったかのように柔和な笑みを浮かべてそう言った。

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