ギャンブラーズ・ハイ

片栗粉

アンティ

――おお、死神さんよ。おお、死神さんよ。


――頼むから後一年勘弁しちゃあくれねえか。


――どうしたことか、俺の眼が見えない。


――そして冷たい手が俺を連れ去りに来る。



 嗄れた細い歌声が、簡素な小屋の中に響いていた。


 小屋と同じく簡素なベッドには、癖の強い真白い髪と皴の刻まれた黒い肌の老人が横たわっていた。

傍には着古した麻のシャツとつなぎのズボンを履いた少年が、今にも泣きそうに顔を歪めて老人を見つめている。


  歌声はだんだん弱いものに変わり、その顔には死が色濃く浮かんでいた。


  何かを掴み取るかのように、薬指と小指が欠けた右手が宙を彷徨い、その武骨な掌を小さな手がしっかりと握った。


  激しい咳が歌声を途切れさせ、命の灯火が吹き消されてしまいそうになる。

老人が喉を喘がせて少年を見た。


 「坊主。悲しむことはねぇ。お前に教えられることは全部教えた。あとは、一人で何とかしな」

 「いやだ。ジョージ。あんたがいなくなったら、おれ、どうすれば……」


 大きな青い瞳を潤ませた少年の言葉を遮り、老人は少年の頭に掌を優しく乗せ、中指でその小さな額を弾いた。

 痛っ!という声に、老人は喉の奥で笑い、その緩やかにうねる金髪をかき混ぜた。


 「言っただろう? 坊主。 俺は大体の悪いコトはやってきたが、死神からはさすがの俺もにげられねえさ。それに、地獄ってのがどんなところだか興味がある」

 「あんたは!あんたはいつもそうやって、勝手なことばっかりだ!」


 泣きじゃくる少年に、老人は低く笑うと、ベッドの直ぐ脇のチェストに置かれた2丁のリボルバーを見やった。

 鈍い銀色のそれはかなり古く使い込まれているが、丁寧に手入れされていて、グリップの部分には雄鹿の刻印があった。


 「お前にこれをやる。餞別さ」

 「ジョージ……」

 「ほら行け。お尋ね者の小屋になんかもう2度と来るな。行っちまえクソガキ」

 「でも……」

 「いずれ、法執行官共が来る。見つかればお前も縛り首だ。行け!」

 「チクショウ! クソジジイ! 大っ嫌いだ!」


 リボルバーとホルスターをひっつかみ、泣きながら少年は小屋を飛び出した。

老人は、その背を見守りながら、穏やかな笑みを浮かべていた。



――いいぞ、これからはお前一人でこのクソみたいな世界を這いずって生きろ。


――お前には俺の全てを教えた。


――なあに。そう簡単にくたばりゃあしねぇさ。


――なんたってお前は、このヘッドハント・ジョージの出来そこないの弟子だからな。





 「おい!ふざけんじゃねぇぞクソ野郎!」


 割れんばかりの濁声が、酒精の香りが漂うホールに響いた。サン・アントニオの北西にある小さなその酒場には、毎夜荒くれの牧童や無法者が入り浸り、女や賭けに興じるのだ。

 カウンターの向こうでグラスを拭くマスターは日常茶飯事なのか、迷惑そうにそのテーブルをちらりと見ると、さっさと他の客にビールを手渡していた。


 「おいおい。下品な言葉を使うなよ。俺の耳は結構繊細なんだ」


 濃茶のオーク材のテーブルには使い古されたトランプが散らばっており、何とも言えない緊張感が辺りを支配していた。


 濁声の主は、ヤマアラシのような髭と、いかつい肩を怒らせて、目の前の男を射殺さんばかりに睨みつけている。


 「テメェがイカサマしてんのはわかってんだぜ!」


 鼓膜を破らんとするその声に肩を竦めたのは、飴色の帽子をかぶり、麻のシャツを着た年の頃は30代位の男だ。ゆるくウエーブのかかった金髪を無造作に後ろに撫で付け、首に巻いた紅いスカーフが日に焼けた肌に良く目立つ。

 履きこまれたジーンズの両腿には黒いバッファロー革のホルスター。2丁のキャトルマンリボルバーが提げられている。

男は端正ではあるが少し下がり気味の眦に呆れた様な色を浮かべた。


 「そりゃあ言いがかりだ。アンタはジャックのスリーカード、俺はエースのフォーカードだ。幸運の女神にフラれちまって残念だな」



 ぱさり、と男が卓上にカードを放った。見事に4枚のエースが揃っている。

 じゃあ、これは貰っとくぜ。と男が掛け金代わりに差し出された繊細な象牙細工で飾られた真鍮の懐中時計を手に取った。


「てめぇ……! ぶっ殺してやる!」


 分厚いオーク材のテーブルが派手な音を立てて蹴倒される。だがその一瞬の間に、銀色の銃口が目の前の怒れる男に向けられていた。


「誰が誰を殺すって?」

「速ぇ……」


 野次馬の誰かが漏らした言葉が、静まり返った酒場に響いた。


「俺はローガン。ローガン・グッドウィルだ。決闘ならいつでも受け付けるぜ?」


ローガンは茶目っ気たっぷりに片目を瞑って言ったが、その挑戦を受けるものは誰もいなかった。





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