4章 よすがのソナタ その3
「できたー! うんうん、我ながらいい出来だよ」
6月6日、11:29。
我が家の洗面所で、雪奈は歓喜の声を上げた。
彼女の手にはハサミと櫛(くし)。
俺は散髪用ケープを着せられて鏡の前で突っ立っていた。
顔という素材は如何(いかん)としがたいが、雪奈の手によって整えられた髪型のおかげで容姿にまずまずのバフがかかっていた。
「すごいな、プロ並みの腕前だ」
「えへへ、もっと褒めていいよ」
「これなら将来、カリスマ美容師になれるぞ」
「それはないかな。雪奈はお兄ちゃん専属の美容師だから」
ケープが雪奈の手によって取られ、俺は自由の身になる。
「にしても、散髪なんてどこで覚えたんだ?」
「雪奈って、ずっと引きこもってるでしょ?」
「……胸張って言うことじゃないぞ」
俺の突っ込みを無視して雪奈は続ける。
「だからね、自分で髪を切れるようにならなくちゃって練習してたんだ。そしたらね、お兄ちゃんの髪も切ってあげられるぐらい上達してたの」
「ほほう。それならいつか、料理も作れるようになるかもな」
「料理はー……、料理はほら、体から食物を出せるようにならないといけないから!」
「……シェフはバケモノじゃないぞ?」
「じゃ、じゃあ、後でお洋服も選んであげるから!」
「いや、服ぐらいは自分で……」
「ダメだよ、お兄ちゃんのファッションセンスはピカソのキュビズム時代並みに現代大衆の理解を得難いものなんだから!」
遠回しに却下して雪奈は洗面所を出ていった。
俺はため息を吐き、鏡の中の自分を見やった。
悪くはないが、よくもないといった感じの容姿だ。けれど雪奈がしきりに『カッコイイ』と言ってくれるので、完全には自信を喪失しないで済んでいる。
目の下のクマも熱したタオルで消しておいた。
首より上の準備は万端だ。
後は出かける前に服装を整えればいい。
俺はほっと一息吐いて、居間に向かった。
今日は合コン当日。
どうやら本月も参加するらしいので、俺も行くことにした。
雪奈には黙っているつもりだったが、「お兄ちゃん何か隠してない?」と詰め寄られて結局白状してしまった。
バレてからはこうして散髪をしてくれたりと、何かと協力してくれている。
口説き文句の練習はさすがにいらなかったと思うが……。多分、合コンに非モテの兄が行くというシチュエーションを楽しんでいるのだろう。
●
約七時間後、大体19時頃。
俺は居酒屋の一角でちびちびオレンジジュースを飲んでいた。
周囲ではテンションの高い連中が安いアルコール飲料片手にパーリナイトをエンジョイしていた。
本月はというと、先輩男性に囲まれてしきりに話しかけられている。
彼女自身は適当に相槌を打っているだけだ。かなり不愛想で、表情が硬い。容姿が整っていなかったら今頃俺のように隅に放置されていただろう。
……にしても居心地悪いな。
もう目的は果たしたようなもんだし、とっとと退散したいのだが……。
ため息を吐きつつ枝豆の皮をむくのに専念していると。
「聞いてくれよぉ、暁夜ぁ!」
涙目の真琴が迫ってきやがった。
「あー、キモイ……」
「えっ、それ俺っちのこと!? ねえ、キモイって俺っちのこと!?」
正確には趣味が悪い、とかダサいである。
アロハシャツに短パンとサンダル、デカい黒色のサングラス。よくもまあこんな格好で関東のビル街を堂々と歩けるもんだ。ある種の才能かもしれない。
「どうせだったら、ハイビスカスの首飾りもつけてきたらよかったんじゃないか?」
「ふっ、暁夜にはわからねえか……このハイセンスさが」
「あー、はいはい。イケてるイケてる」
「だろだろ!?」
「で、何を聞けって?」
「ああ、そうだったそうだった。俺っちイチオシの女の子たちがさぁ、用事で来れなくなっちまったんだよぉ!」
……しまった、そのまま追っ払えばよかった。酔ったコイツ、超面倒臭い。
「マジでショックだぜぇ、これじゃあ来た意味がねえ! プリティーな子もいたから、暁夜にも紹介してやろうと思ってたのによぉ」
「ベタベタくっつくな、鬱陶しい」
絡んでくる真琴を押し返していると、主催者の先輩が急に立ち上がって言った。
「はいはい、注目、ちゅうもーくっ!」
無駄にデカい声が場に響き、飲んだくれてた連中はなんだなんだと主催者の方を向いた。
「これから王様ゲームを始めまーすっ! 全員、強制参加だからなーっ!」
方々から「えーっ!?」とわざとらしいブーイングの声が上がる。ただ本気でイヤがっているヤツはいない。本気でイヤだと思っていると、俺のように声を上げるのも億劫になるものだ。
無論、真琴は「えええっ!?」とご機嫌な声を上げていた。楽しそうで何より。
本月は無言でビールの入ったジョッキを眺めていた。彼女は合コンが始まってから一口もビールに口をつけていない。もしかしたら下戸(げこ)なのかもしれな。
「それじゃあ、寄って寄って。先が赤い割り箸を引いた人が、王様だぜー!」
「王様になった人が、好きな数字の人に命令できるんすよね?」
「そー、そー。じゃあ、始めっぞ!」
主催のヤツが複数本の割り箸を握った手を出し、みんなは各々好きな割り箸を手に握る。
俺も群がる酔っぱらいに紛れて一本の割り箸をつかんだ。
本月も真琴も、適当な一本を手に取っている。
「王様だーれだッ!?」
その掛け声と共に、一斉に割り箸が引き抜かれる。
割り箸の先端を見ると8の数字。本来なら王様になれずがっかりするところからもしれないが、俺は無駄な注目を浴びずに済んでむしろほっとした。
「へっへー、最初の王様はオレ様だぁッ!」
主催者が先端が赤くなった割り箸を高々と掲げた。
周囲から「えーっ、先輩がー!?」「ちょっとー、もしかして仕込み?」と不満の声が湧いてくる。
主催者は「んなわけねーじゃん」と不満の声をはねのけ、場の人間をじろじろ見回しながら言った。
「じゃあ、二番がー……五番に……あーんして唐揚げを食べさせる!」
「うっしゃキタコレッ!」
真琴が拳を振り上げて歓喜の声を上げる。
……コイツ、絶対に捕らぬ狸の皮算用って言葉知らないだろ。
「さぁ、さぁ、五番って誰だ!? 俺っちの運命のカワイコちゃんはいずこに!?」
「……オイラだ」
すっと暗い顔で手を上げたのは、柔道部とかに入ってそうなガタイのいい男だった。
真琴の顔に無数の縦線が入っていく。
「え、その……先輩が?」
「……そだ」
周囲のヤツ等が手を叩いて爆笑し、「そだそだー!」「真琴よかったなー、カワイコちゃんでよ!」と囃し立てるような声が上がる。
盛り上がる空気の中、ますます二・五コンビの空気は淀んでいく。
「……唐揚げ、レモンかかってるっすけど……」
「……平気だ」
「そっすか……」
真琴は爪楊枝と箸を前に少し悩んだ末、後者を手に取った。
多少苦戦した末に唐揚げをはさみ、柔道部先輩の口の前まで運んでいく。
柔道部先輩がいかにもイヤそうに口を開けて食べようとすると、周囲の連中が「おいおい、黙ってんじゃねーぞ!」「あーんはどうした、あーんは!」と非難の声を上げ始めた。
真琴は死人のような顔で、「……あー……ん」と覇気の欠けた声で言い、柔道部先輩は運命の口みたいな顔で唐揚げを迎え入れた。
機械的に閉じられた口から、割り箸がずぷっと引き抜かれる。
さすがに咀嚼するところまでは見る気が起きず、俺は本当自分が当たらなくてよかったと心底から安堵した。
割り箸を回収した後、「じゃあ、次行くぜー!」と早くも二週目の開始が宣言される。
まだ真琴と柔道部先輩のHPは回復していないようだが、休息という概念はこの場には存在しないようだった。
全員が割り箸を手にした後、例の掛け声と共に一斉に引き抜いた。
俺の番号は7だった。
「よぉし、次の王様はボクちゃんだ!」
モヒカン頭の男が立ち上がる。
主催者は手を叩き「おめでとう、おめでとう!」と幸運を讃える。
「で、王様。ご命令は?」
「じゃあ、8番がぁ……」
あっぶねえ……、一つ前だったら俺だった。
で、今回の8番ってのは……と見回して、すぐにわかった。呼ばれた瞬間、あからさまに動揺しているヤツがいた。本月だ、ビクッて体全体が震えていた。
それを見て、にやっとモヒカンが笑う。
「この王様にキッスをするのだぁ!」
場にいる全員が「うぉおおおおおおおおおおおおッ!」と湧きかえる。
本月はというと、顔を真っ青にして固まっている。
ってかマジか……。王様ゲームだからって、普通そんなこと命令するか?
「オマエ、命知らずだなあ。8番が男だったらどうするんだよ?」
「リスクを背負ってこそ、最高のチャンスに巡り合えるってものだ。さあさあ、8番さんはどこにいるん? んん?」
端から端まで舐めるように見回した後、本月の持っている箸へと目を止める。
「おお嬢ちゃん! それはまさしく8番じゃあないか! ボクちゃんの相手はキミだったのだな!!」
本月は恐る恐るモヒカンを見上げる。
彼女は明らかに怯えていた。その瞳は不安に揺れ、指先まで震えが走っている。
その様を目にして、モヒカンは下卑た笑みを浮かべる。獲物を前にし、肉食獣さながらにベロを出し息を荒くする。
「さっ、さっ、さあ、さあさあ! キッスだよ、キッス! ボクちゃんとあっつういキッスを交わしておくれよ!!」
「いっ、いっ……イヤ」
本月は拒否の言葉を口にするが、すっかり興奮に頭がのぼせたモヒカンやギャラリーの耳には届いていない。
モヒカンは膝に手をやってしゃがみ、本月へ顔を近づけていく。
「緊張することはないんだ。ボクちゃんのこの唇に、嬢ちゃんのぷにぷにリップをちょんってしてくれれば、それで終わりなんだから」
「……イヤ、イヤよ……。初めてのキスは、好きな人にもらうって……決めてるんだから」
好きな人、という言葉が心にひっかかる。
まさか本月には、もう好きな人がいるのか?
それならソイツは一体……。
「好きな人とぉ? ならさあ、ボクちゃんを好きになっちゃえばいいんだ。そうすれば二人共幸せ、ウィンウィンじゃあない?」
「……わたしは、あなたのことなんて好きじゃない!」
きっぱりと本月に告げられようとも、モヒカンは引かない。
周りのヤツ等も止めることなどせず、拍手をして眼前の出来事をショーとして楽しんでやがる。
「おい、暁夜」
俺の隣に来ていた真琴が、しきりにおしぼりで手を拭きながら小声で言ってきた。
「こりゃ、ちょっとマズくないか?」
俺はぎゅっと拳を握りしめ、下っ腹に力を入れた。
「ああ。義を見てせざるはってヤツだ」
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