3章 疑われる者 その2

 要津の発言の意味がわからず、俺は訊き返した。

「俺たちが、黒幕……? どういうことだ」

「ずっと怪しいって思ってたんだし」

「このわけわかんない状況、誰が犯人かずっと考えてた。怪しいのはあんたたち兄妹と……もしかしたら浦野ってヤツも仲間かもしんない。その三人がこの事態を引き起こしたってのがあたしの中でもっとも有力な説じゃん」

 

しばし呆気に取られていた。

 要津は真剣だ。鋭い眼光が如実にそのことを語っている。

下手なことは口にしない方がいいだろう。

できるだけ言葉を選んで俺は言った。

「俺と雪奈が黒幕? まさか、そんなわけないだろう」

「じゃあどうして雪奈っちはあんなに落ち着いているんだし? それに雪奈っちと浦野っちのペアは情報収集が変に順調なのも疑わしいじゃん」


 段々、要津の敵意に満ちた視線が息苦しくなってきた。

 俺はその視線から外れるように窓辺に寄っていった。

「雪奈が異常事態に動じない精神を持っていたのは俺も驚いたよ。情報収集がスムーズなのは雪奈の頭がいいからじゃないか。もしかしたら浦野ってヤツも、その手のことが得意なのかもしれない。ともかく、間違っても黒幕じゃないって俺が保証すよ」

「どうしてそう言い切れるし? 暁夜っちが兄だからって、妹のことを何でも知ってるわけじゃないじゃん?」

「そりゃそうだけど、でもこんな異世界を作れるような技術は持ってないはずだ。いくら優秀な頭脳を持っていても、人間には限界が存在する。チーターがどれだけ努力しても、光には決して追いつけないように」

「だったら話は簡単じゃん。雪奈っちが、人間じゃないってことでしょ?」


 笑い飛ばそうと思った。

 しかしこの世界には人外が存在する。

 雪奈が生まれた時から一緒にいる俺は彼女が人間だと知っているが、それを要津に証明することはできない。


「どうしたの、黙りこくって。もしかして、大人しく黒幕だしって認める?」

「いや、それは違う。俺たちはただの人間だ。それに黒幕でもない」

「人の命を軽々しく扱うヤツを信用できると思う?」

「雪奈は少し混乱してるんだ。こんな異常事態に巻き込まれたせいで」

「へえ? あたしの眼には冷静に……ううん、冷酷に見えたし」

「それは……」


 脳裏にこの教室での出来事が蘇ってくる。

 黒木に対する恐喝じみたやり口、今日の命を軽視する様。

 客観視すれば、雪奈は間違いなく恐怖や嫌悪の対象だ。相当なヘイトが集まっていることだろう。

 ……だからって、雪奈が疑われてる現状を放置しておけるかよ。


「でもっ、雪奈は本当に黒幕じゃないんだっ。信じてくれッ!」

「……はぁ」


 要津はすっと身体から発していた敵意を引っ込め、頭をぽりぽりと掻いた。

「……正直、雪奈っちへの疑いはまだ晴れないけど。少なくともあんたが黒幕じゃないってことは、なんとなくわかったよ」

「え、俺が……?」

「あたしは最初に暁夜っちのことも疑ってるって言ったのに、あんたずっと妹のことを庇ってるばっかりじゃん」

「……ええと」

 今までで一番言葉に困った。

 頭の中を掻き回して悩んでいると、要津は肩を揺らして笑い出した。


「はっはっはっ! 暁夜っちって、すごい妹想いなんじゃん」

「そう……だな。そうかもしれない」

「まあ、そんな暁夜っちには悪いけど……。あたしはまだ雪奈っちが黒幕だって疑いは捨てきれないし」

「どうしてだ?」

「妹想いな兄を騙す、極悪非道ってこともあり得るじゃん」


 聞いた途端、かっと頭に血が上った。

「雪奈はそんな酷いヤツじゃないッ!」

「暁夜っちも四六時中あの子と一緒にいるわけじゃないっしょ? その空白の時間を証明できる人っていんの?」

「……そんなの、他のヤツだって……」

「話を逸らしたのが、何よりも雄弁な答えじゃん」

 ぐうの音も出なかった。


「あの幼い見た目にそぐわない、利発な話しぶり。それに大人相手にも臆さない度胸。……あの子さ、何者?」

「ごく普通の人間だ」

「そういうこと聞いてんじゃないし。嘘でもいいから、現実の肩書きを聞かせろってんの」

「……引きこもりだ」

 要津の顔が鳩が豆鉄砲を食ったようになった。

 しばしの沈黙の末、彼女の表情筋がぷるぷる震えて笑い顔になる。


「ひっ、ひきっ、引きこもりって……ぷぷっ。あんな理知的っぷりを見せておいて、そりゃないっしょ!」

「いや、事実だ」

「……え、マジで? でも制服っぽいの着てたじゃん」

「他所行き用の中であまり手間かけずに着れるからだってさ。学校じゃなくてサヤの制服になりつつあるけどな」


 一転して要津は申し訳なさそうな顔になり、目を逸らした。

「……そか。なんか、悪いね」

「いや、気にしないでくれ。別にそのことを雪奈も後ろめたくは思ってないみたいだし」

「それはそれでどうなん?」

 向けられた白い目に俺は苦笑いを返すしかなかった。


 要津はうなじに手をやり、ひっくり返した箱から散らばったような星空を見やって。

「……でもそっか、引きこもりか」

 とぼそっと呟いた。


 哀愁のような雰囲気が漂う。それを不用意に乱すことを恐れて、俺は口をつぐんだ。

 こちらの様子に気付いた要津はからっとした笑声を響かせた。

「そんな、通夜に出るような顔しなくていいし」

「あ、ああ」

「……少し湿っぽいんだけどさ、あんたには聞いてほしいんだ。あたしの昔話」

「聞くよ。バイトもしてない暇な大学生だ。時間は余るほどある」

「……その時間はちょいとばかり、無駄にするには惜しいけど……まあ、いいか」


 要津は教卓の上に身軽に跳び上がって座り、どこか遠い目を話し始めた。


「あたしもさ、昔ちょっと引きこもったことがあったんだ」

「要津も?」

「そうさ。学校ってのは、イヤにグループ学習をさせたがるだろ? アクティブラーニングだがなんだか知らないが、とにかく他の生徒とかかわらせたがる。それが引っ込み思案だったあたしには辛かった」

「……お前が引っ込み思案だったってのは、ちょっと想像できないな」

「年月が人を変えることもあるってことだし。よくも悪くも」


 腿で肘を支え頬杖をつき、要津は語り続ける。

「学校の執拗なコミュニケーションの催促に耐えかねて、あたしは引きこもった。そんで朝から晩までゲームをし続けた。ありがたいことに、親は何も言わずあたしが引きこもるのを許してくれた。その経験が将来生きることになるんだが……まあそれは別の話だ」


 俺は手近な机に腰かけた。雪奈にはあまり見せたくない姿だが……今は彼女はいないと言い訳をする。そこに座ると、ちょうど目線が要津と合った。


「高校は通信制を選んだ。授業はただ座って聞いて板書するだけ。最低限のグループ学習もあたしがやりやすいように、チャット形式にするとか配慮してくれた。週に何度かのスルーリングで、ゲーム好きな趣味の合う友達もできた。次に入った大学はまあ、また散々だったけど……まあ紆余曲折あって、今はちゃんと社会的に認められた職業に就いてる。お堅い人からしたら、そりゃ職業じゃないしって言われそうなもんだけど」

「……そうか。なんか、ありがとな」

 要津はちょっと顔を赤らめて床に降り立ち、くるっと回って背を向けた。


「礼を言われるようなことはしてないし。ただまあ……なんだ」

 肩越しに振り返り、要津はどことなく困ったような赤い顔で言った。

「人生、何がどう転ぶかわかったもんじゃないってことじゃん」


   ●


 現実に変えると、そこは照明の点いた居間だった。

 サヤに行く時とまったく同じ光景……いや、少し違った。

 テーブルの向かい側、そこで雪奈が腕に頬を預けてすやすや寝息を立てていた。

 机上には俺の前と雪奈の前に、それぞれマグカップが並んでいる。

 俺のにはミルクティーが、雪奈のには白いミルク。

 カップに触れてみると冷たく、口に含んだ琥珀色の液体はすっかり冷めていた。


 カップを机に置いた俺は、囁くような声で雪奈に言った。

「……ありがとな」

 一拍置いて、雪奈の口から「んぅ……」と声が漏れて、薄く目が開いた。


「すまない、起こしちゃったか」

「……お兄ちゃん。ううん、平気だよ」

 軽く首を振って、くぁああと大きく欠伸。

「布団まで運ぶか?」

「ううん、お風呂入らなきゃだし……」

「その状態じゃ、風呂の中で寝落ちしそうだけどな」

「……コーヒーでも飲もうかな」

「淹れるよ」

「うん、ありがとう。あ、でもその前にカップ空にしないと」


 雪奈は両手でカップを持ち、喉を僅かに上下させてミルクを一気飲みした。

 そんな飲み方をすれば、「ぷはぁ」とカップを空(あ)ける頃には口に白い髭ができているのは必然であり。

 わかっているにもかかわらず、どこぞから笑いが込み上げてくるのだった。

「え、な、なに? どうしたの?」

「いや、おまっ、ヒゲ、ヒゲ……ぷぷっ」

「え、あ……」

 雪奈は制服のポケットからハンカチを取り出し、口元を拭った。

 俺はその姿を微笑ましく眺めつつ訊いた。


「コーヒーは砂糖とミルク、塩と梅はどの割合で?」

「うーん。2:2:6:0:0で」

「……それはもはやコーヒーではないのでは?」

「目的はコーヒーを飲むことじゃなくて、目を覚ますことだからね」

「カフェインさえ体に入ればいいってことか……。コーヒー農家の人が悲しむぞ」

「お兄ちゃんだって昔、一人でコーヒー飲む時によく『獄炎に熱されし漆黒の邪水で、我を苛みし睡魔に永久の眠りをもたらさん』って言ってたじゃん。あれを農家の人が見たらどう思うんだろうね?」

 聞いている内に、己の顔面が獄炎に焙られたかのごとく熱を持ち始める。


「うぉおおおおおっ、やめろっ! 健全な男子の古傷を抉るんじゃないッ!」

「しかも眠りをもたらされてるのは、お兄ちゃんの方だったよね。あれじゃあただの熱湯を飲んでるのと一緒だよ」

「いいんだよっ、コーヒーは美味いんだから! あの苦味とコクがわかるようになってこそ真の大人になれるんだよ!」

「コーヒーをストレートで飲めるのを自慢するのは、余計に子供っぽくない?」

「ぐっ……だ、だが、味覚というのは脳に作用するから――」


 と言いかけたところで、俺のスマホが鳴りだした。

 着信音からすると、SNSへのメッセージだ。

「なんだ、こんな時間に……」

「いい加減、着信音の設定をアニソンにするのやめなよ。本月さんに嫌われちゃうよ」

「本月はそんなことで人を差別するようなヤツじゃないっ」

「うわぁ、恋は盲目」

 通知を見ると、送ってきたのは真琴だった。

「なんだアイツ、こんな時間に」

「桐ヶ谷さん?」

「どうしてわかるんだ」

「ヒントは交友関係」

「……直接言えないのは、自分も引きこもりだからか」

「墓穴を掘る趣味はないからね」

 ロック画面を指紋認証で解除し、SNSのアイコンを押す。

「こんな時間に非常識だな。どうせソシャゲで最高レアでも……」


 しばし我が目を疑い、ためつすがめつ画面を眺めた。だがいくら経てども現実は変わらなかった。眼前のメッセージは、無情にも信じ難い事実を俺に突きつけてくる。

「どうしたの?」

「い、いや……」

 かぶりを振ったが、首を構成する歯車が錆びているかのように上手くいかなかった。

 俺は震える手で電源ボタンを押し、スマホをスリープモードに戻した。

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